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歌舞伎座で七代目清元延寿太夫襲名三十周年記念「延寿會」を開催

 平成30年2月26日、歌舞伎座にて、七代目清元延寿太夫襲名三十周年を記念した「延寿會」が開催されます。来年は、当代延寿太夫が七代目を襲名して30年、また六代目延寿太夫の三十三回忌という節目の年に当たります。この記念すべき「延寿會」では、併せて、長男で清元三味線方の清元昂洋が初代清元斎寿を、次男で歌舞伎俳優の尾上右近が七代目清元栄寿太夫を襲名します。11月17日(水)都内にて製作発表記者会見が行われ、清元延寿太夫、清元昂洋、尾上右近が開催への思いを語りました。

【清元延寿太夫】
  「延寿會」というタイトルは、父(六代目清元延寿太夫)の時代にできたものでございます。平成5年に父の七回忌の時に新橋演舞場でさせていただいたのが、私が「延寿會」を継承いたしました最初の公演でした。平成10年に歌舞伎座で第2回目をさせていただき、そして今回20年ぶりに「延寿會」を開催させていただきます。
 また、タイトルにもありますように、父の三十三回忌と、尾上菊五郎の兄さんの『助六』で私が延寿太夫を襲名させていただいてから来年で三十年を迎えさせていただくお祝いと、それから長男昂洋が清元斎寿を、次男の尾上右近が清元栄寿太夫を2月26日に襲名させていただくという運びとなりました。

 昼の部では、襲名披露の演目として『助六』を倅二人で演奏させていただきます。『四季三葉草』は二代目尾上松緑のおじさんに、栄寿太夫を襲名する際に大変厳しくいろいろとご指導いただきました。そんな関係から現尾上松緑さんにお出ましいただくことになりました。また、中村壱太郎さんにもお出ましいただきます。倅の右近は唄を唄った後に舞台で踊るというようなことをさせていただきます。そして、昼の部の最後に市川猿之助さんに『青海波』を踊っていただきます。曾祖父の五世清元延寿太夫の頃に初代市川猿翁のおじさんが清元の名取になりまして、以来大変懇意にしていただいております。また昭和24年の父の襲名披露の時に、体調の悪かった六代目尾上菊五郎に代わり、猿翁おじさんが私の父の口上をしてくださったという深いお付き合いがございます。このようなご縁で、今回、猿之助さんにお出ましいただくこととなりました。

 夜の部は私のいとこ(十八代目中村勘三郎)の倅達、中村勘九郎さん、中村七之助さんに出ていただきまして『吉原雀』を踊っていただきます。そして菊五郎のお兄さんに、私と倅二人の『口上』をしていただきます。尾上菊之助さんには初めて『お祭り』を踊っていただきます。松嶋屋(片岡仁左衛門)のお兄さんには本当にいろいろとお世話になっております。今回は『保名』を踊っていただきます。最後に、この三十周年を記念いたしまして、社中のほぼ全員に出演していただいて『喜撰』を演奏させていただきます。

 今の時代、なかなか、清元を聴いていただく機会が本当に少ないと思います。しかし、おかげさまで来年、倅達に橋渡しができる機会が出来ました。次男はお芝居にも出させていただいておりますので、そういうことも含めて子供達が清元を広めていってくれれば良いなと思っております。もっともっと清元の輪を広げることが出来る一つのきっかけになるのではないかと思います。


【清元昂洋】
 この度、来年の2月26日歌舞伎座におきまして、先代の三十三回忌並びに父の襲名三十周年、それから私と弟の襲名披露を「延寿會」にてさせていただく運びとなりました。父の勧めもあり、本名からとった昂洋から、斎寿という名前を初代として襲名いたします。この会を機に、気持ちを新たに兄弟で力を合わせて励んでいきたいと思います。

 最初は唄のお稽古をしておりました。地声が低いので、清元は高音がとても魅力な音楽ですので、高音を出すのが難しい中で日々厳しいお稽古をしておりました。そこで、三味線のお稽古を始め、それから段々、三味線が好きになっていきました。父は太夫でございますので、三味線を弾くわけではないので、清元美治郎師匠のもとに七つの時に伺わせていただきました。それからずっとお師匠さんのもとで、本当に父のように教えを受けさせていただきました。

 小さい時から弟は、すべて、一日中生活が歌舞伎みたいな感じの子供でしたので、とても変わった子供だなと見ておりました。やがて弟が役者として仕事を始めることになり、また舞台の上でも共演することもありますが、異常なほど我々兄弟は仲が良いです。自分で言うのも変ですが・・・。家の中でもいろいろな話が出来るので、お互いに話し合って感じることは、自分にないものを弟はしっかりと持っているし、弟にないものは私が持っているなということです。それをお互いに上手くフォローし合えているのではないかなと思っております。仕事も違いますので、そういう意味で尊敬もしあえるし、アドバイスも出来る良い関係性を築けていると思います。

 斎寿という名前は、父と相談させていただいて決めました。過去に清元斎兵衛という名前がございました。清元の三味線のベースを作った方のお名前です。その斎兵衛さんの斎の字と、父の延寿太夫の寿をいただきまして、初代として清元斎寿を名のらせていただきます。


【尾上右近】
 このような節目の会で、父の前名であります清元栄寿太夫を、役者を続けさせていただく傍ら襲名させていただくことに相成りました。このようなことを許していただけるということが、何よりも嬉しく思っております。役者としても人一倍、清元栄寿太夫としても人一倍、二倍努力して精進して参りたいと思っております。また、このような先輩方に華を添えていただきまして襲名させていただけること、父の助けがあり兄の助けがある恵まれた環境の中で清元の第一歩を踏み出させていただけることは、本当に嬉しく思っております。身を引き締めてしっかりと修業をしてまいりたいと思います。

 兄弟仲が良いですねと言われると「仲は、良いと悪いの間です!」と答えています。それは尊敬を込めて、お互いに尊重をしあっているという意味です。兄の尊敬できるところは、努力をひけらかさないところです。気づいたら出来るようになっているんですね。自分は努力しているんだ、修業しているんだということを家でも言わない、家族にもアピールをしないものですからたまに不安になることがあります。しかし、地に足をつけてしっかりと修業しているということが、舞台を見ているふとした時に芸の蓄積みたいなものを感じた時にわかります。

 襲名後の活動は、父や先輩方とよく相談をしながら決めていきたいと考えております。とにかく舞台に出て清元を演奏する、唄を唄うという経験が少ないので、これからしっかりと勉強させていただき、演奏会等で経験を積み、舞台に出させていただけるように、そこに向かって修業をしていくという段階です。
 小さい頃からお芝居と清元と両方お稽古していたので、清元も好きですし、今でも普段からお稽古は続けています。両立はなかなか難しいことだとは思っていても、両方させていただけることが出来たら嬉しいなと思っておりました。まさか本当に実現できるとは思ってもいなかったことなので、これから清元のプロとしての修業を本格的にしなければいけないと思っております。