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壱太郎が吾妻流家元を襲名~記念舞踊会に向けて意気込みを披露


 歌舞伎俳優の中村壱太郎が七代目として吾妻流家元を襲名し、9月20日(土)・21日(日)に国立劇場で「吾妻徳穂十七回忌追善 三世宗家・七代目家元襲名披露 記念舞踊会」を開催します。
 壱太郎と共に、三世宗家となる吾妻徳彌が会見を行い、記念舞踊会開催に向けて意気込みを披露しました。

【吾妻徳彌】
 祖母の先代宗家(初代吾妻徳穂)が亡くなり十七回忌という節目を迎えた本年、三世宗家として祖母の名前・吾妻徳穂を継ぐことを決意いたしました。祖母が再興した吾妻徳穂という名を後世に伝えるということも私の使命です。9月20日・21日には、祖母の代からご縁のある大和屋の坂東三津五郎さん、紀尾井町の尾上松緑さん、日頃おせわになっております藤間宗家の勘十郎さんにご出演いただき、国立劇場で記念舞踊会を開催させていただきます。

 20日と21日午前の部には『重ねたちばな』を群舞で流儀の門弟達と囲み踊ります。私が家元を継がせていただいた思い出深い曲ということ、また名前の通りこれからもさらに「重ねていく」という意味も含めております。20日の『隅田川』は、祖母と先代の九世坂東三津五郎のおじ様が「みの助の会」という自主公演で共演しています。その時、私はまだ高校生くらいでしたが、実に印象深く、いつかいつかと思っておりました。今回、世代をひとつ越えて三津五郎さんと一緒に踊らせていただきます。21日の『鐘の岬』は祖母が晩年大変好んで踊っておりました。思えば傘寿の祝に歌舞伎座で踊ったのが最後になりましたが、80歳であのような素晴らしい娘方を演じられる、その踊りを肝に銘じながら勤めさせていただくつもりです。

 祖母はとにかく舞台というものを大事にしておりました。もちろん門弟を指導することも大切ですが、舞踊家として舞台に上がった時にどのぐらいそこにハートがあるかということを追及しておりました。その魂を最後まで持ち続けてどんな舞台も勤めたいと思っております。また今回の襲名を機に歌舞伎の方から、例えば息子の壱太郎を歌舞伎で観てくださったお客様が「壱太郎君は日本舞踊の会にも出ているんだ」と舞踊会にも足を運んで下されば、日本舞踊界の活性化にも繋がるのではないかと考えております。



平成25年11月に行われた吾妻流継承式の様子

【中村壱太郎】
 この度、吾妻流七代目家元・吾妻徳陽を襲名させていただきます。これも一つの節目、ゼロからのスタートという思いで頑張っていくつもりです。まずは、吾妻流を知るということが大切です。踊りの上でもそうですが、どういう思いで皆さんが吾妻流を続けて来られたのか、その気持ちをしっかりと汲んでいきたいと思っています。そして曾祖母の「アヅマカブキ」というものを私は名前しか存じませんが、やはり歌舞伎をする者として縁を感じますし、いつか流儀の方々と絆を深め「アヅマカブキをやろう」というような目標を立て進んでいくことができたらという思いも持っています。

 21日午後の部の『団子売』は、祖母の十三回忌の会でも打ち出しの狂言で、当時、揚幕から三津五郎のおじ様と母の踊りを見て、坂東流の踊り込む踊りに凄く憧れを持った想い出深い舞踊です。今回は三津五郎のおじ様に教えていただき、ご子息で公私ともに仲良くさせていただいている坂東巳之助さんと一緒に勤めます。また21日午前の部の『かさね(色彩間苅豆)』は、母が徳彌家元襲名の際に(初代)辰之助おじ様と、また20日の『子宝三番叟』は、曾祖母の一周忌に現(藤間)勘祖先生と、それぞれ母が勤めた舞踊です。それを今回松緑さん、勘十郎宗家とご一緒させていただくというのは、図らずも世代が一つ下がり新たな一歩を踏み出す、そういう気持ちにさせてくれます。歌舞伎も舞踊の世界も、一人で何かをするということはできません。他の流儀との繋がり、そうしたものを深く考える狂言立てになっています。

 これからは、吾妻流の踊りというものをどう残していくのか、それが家元としてやらなくてはならない事でもあり、一番難しいことでもあります。皆さんからは「この家元襲名を歌舞伎にどう反映するか」と尋ねられる事も多いのですが、歌舞伎はずっと続けてきているものですから、自ずとどこかでそういう色というものが舞台に出てくると思っています。歌舞伎役者・中村壱太郎にどう影響してくるのか、心配というよりもむしろ楽しみにしています。