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坂東 三津五郎 (九代目)

ばんどう みつごろう
本名守田光伸
俳名・舞踊名舞踊名も九代目坂東三津五郎
屋号大和屋
定紋三ツ大、花かつみ(替紋)、梶の葉(代々三津五郎のみ使用)
生没年月日 昭和04(1929)年05月14日 ~ 平成11(1999)年04月01日
出身東京都

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プロフィール

三代目坂東秀調の三男で、次兄が十代目市川高麗蔵である。実父が早逝したため、六代目尾上菊五郎の部屋子となった。大層可愛がられ、六代目菊五郎の升六で『鳥羽絵』の鼠を演じ、顔を見せないと可哀相だからと着ぐるみから顔が出るようにしてくれた。その後は鼠の役が顔を出して踊るケースが多くなった。肺を患っていた時期に同じ部屋子の大川橋蔵とともに『三社祭』で菊五郎(ろくだいめ)から厳しい稽古を受けたことは語り草となっている。それだけに踊りの腕は確かで、七代目坂東三津五郎に見込まれて八代目の長女と結婚し、坂東家を継いだ。

小柄なので損をしていて、主役より二番手三番手に廻ることが多かった。が、『め組の喧嘩』の鳶に扮すれば、誰よりもいなせに決めるのは、さすが世話物得意の菊五郎劇団生えぬきを示すものであった。『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』の又平など、朴訥な役にほのぼのとした味をみせたし、『蘭平物狂』の蘭平は二代目尾上松緑譲りの当り役で、自身とんぼが返れるだけに身体の動きにキレがあり、見事なタテをみせた。中年以降は『助六』の髭の意休に風格が加わり、『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』の老一官、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』の渡辺外記など、重要な老け役に扮して大きな位置をしめた。すべてに当てっけのない、真向からの押し相撲をみるような正攻法の舞台が特徴であった。不思議なもので、だんだん舞台顔が八代目や七代目に似てきて、七代目以来坂東家お得意の『大原女・国入奴』や『山帰り』、『舌出し三番叟』などを確実に受継ぎ、九代目襲名の折の『喜撰』は洒脱な味わいが加わってきていた。また坂東家の当主として、主宰する「登舞の会」や追善の会で、『網打』『老女』などを復活上演したことは意義深い。長男の十代目三津五郎がその志をついで健闘している。

【小宮暁子】

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経歴

芸歴:

昭和8年11月坂東光伸を名乗り新歌舞伎座(新宿第一劇場)『時雨の炬燵』の勘太郎で初舞台。昭和10年9月実父の没後、六代目菊五郎の部屋子となり市川男女丸時代の大川橋蔵とともにその薫陶を受ける。六代目没後は二代目尾上松緑が親代りとなる。昭和30年八代目三津五郎の長女と結婚してその養子となり、同年5月歌舞伎座『吉野山』早見藤太などで四代目坂東八十助を襲名。昭和37年9月歌舞伎座『黎明鞍馬山』金王丸、『太十』佐藤正清などで七代目坂東簑助を襲名。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第一次認定を受ける。昭和44年訪米歌舞伎公演に参加。昭和62年9月歌舞伎座『吃又』又平、『喜撰』喜撰法師、『釣女』太郎冠者で九代目坂東三津五郎を襲名。〈舞踊歴〉昭和44年8月「みの助の会」を主宰し、以後47年・49年と三回開催する。昭和50年1月八代目三津五郎の死に伴い舞踊名として九代目坂東三津五郎を名乗る。昭和55年より「みの助の会」を「登舞の会」と改めて主宰。

受賞:

平成3年6月第四十七回日本芸術院賞。平成5年11月紫綬褒章。

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舞台写真 (写真をクリックすると拡大画像をご覧いただけます)

  • 『六歌仙容彩』喜撰
    九代目坂東三津五郎【喜撰法師】

    昭和62年9月 歌舞伎座
  • 『与話情浮名横櫛』見染
    (左)利根川金十郎【噺家相生】、(右)九代目坂東三津五郎【鳶頭金五郎】

    昭和44年4月 国立劇場

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