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吉右衛門が公演への思いを語りました~国立劇場12月歌舞伎公演


  国立劇場12月歌舞伎公演は「知られざる忠臣蔵」と題し、数多くの「忠臣蔵物」の中から、新歌舞伎『主税と右衛門七(ちからとえもしち)-討入前夜-』、上方の古典歌舞伎『いろは仮名四十七訓 弥作の鎌腹(いろはがなしじゅうしちもじ やさくのかまばら)』、趣向を凝らした舞踊『忠臣蔵形容画合(ちゅうしんぐらすがたのえあわせ)-忠臣蔵七段返し-』という全く味わいの違った三作品が上演されます。溢れる詩情、劇的な展開、卓越した趣向など、いずれも見どころ満載の作品ばかり。
 公演に先立ち記者会見が行なわれ、松貫四として『弥作の鎌腹』の監修も勤める中村吉右衛門、『忠臣蔵形容画合』振付の藤間勘十郎、『主税と右衛門七』演出の織田紘二が公演への思いを語りました。

【中村吉右衛門】
『弥作の鎌腹』は初代中村吉右衛門が播磨屋の家の芸として選定した「秀山十種」のうちの一つに入っており、いつかはやらなくてはと思っていた作品です。四十七士に関係のあるお百姓さんが、武士にも劣らぬ心意気を持って鎌で切腹をし、弟の義侠に華を沿えるというお話です。最初は皆さんがお腹を抱えて笑えるようなことができたら、そして最後は・・・これがこの作品の重要なテーマですが、忠義や忠節はなにも武士だけが持つものではなく、何でもない庶民の一人が、武士にも劣らず自分の命を賭けて人のために尽くし、弟に対する愛情をもって自分の命を捨てることになります。お客様には、笑って笑って、そして最後にほろりと、ジーンと胸に迫る思いをなさっていただければ、大変幸せでございます。

最初の『主税と右衛門七』は、昭和34年(1959年)1月に兄 松本幸四郎(当時16歳:市川染五郎)が右衛門七を、私(当時14歳:中村萬之助)が主税を勤め、新宿第一劇場で初演された成澤昌茂先生の処女戯曲です。当時、細かく演出をしていただいた記憶もございますが、今回は織田先生に演出していただき、若い人達による若々しいお芝居になるのではないかと思います。『弥作の鎌腹』の悲劇の後は『忠臣蔵七段返し』という楽しい踊りで幕となります。最初に純粋な若者の気持ちを、続いて人を思う心の尊さを感じていただき、最後は大笑いをして暮れを迎えていただければ有難いなと思っております。


左から藤間勘十郎、中村吉右衛門、織田紘二

【藤間勘十郎】
『忠臣蔵形容画合-忠臣蔵七段返し-』で振付を勤めます。忠臣蔵のパロディーと言っても過言ではない作品ですが、忠臣蔵の本筋は知っていても歌舞伎の忠臣蔵を観たことのない方もいらっしゃると思うので、そうしたお客様が初めて観ても歌舞伎の忠臣蔵というものはこういう物なんだなということが分かりながら、また、舞踊として楽しんでいただける作品をめざして作っております。またこの度は作曲という大役も仰せつかりました。あまり奇をてらった曲ではなく、なるべく古風な、これはもしかしたら初演の時から、こんな曲だったのではないかなと思っていただけるような曲に仕上げています。播磨屋さん(吉右衛門)はじめ、若手の方々が総出演ということもありまして、華やかに肩肘張らない舞踊になればと思っております。

【織田紘二】
『主税と右衛門七』には2つの大きなテーマが討ち入り前夜の短い時間の中に込められています。1つはお美津という討ち入りを知らない15歳の町娘から、身分を隠した義士 右衛門七が惚れられるというテーマ。苦衷の中で、娘の恋心をどうさばくのかが見どころです。もう一つは、家老の息子の主税と、足軽の息子の右衛門七、この2人の身分の違いです。親の跡を継ぐため必然的な運命にある主税と、足軽であるが為、息子を義士に加えて貰いたいと嘆願し命を捨てた両親の心を明日の一夜に掛けようとしている右衛門七。奥から聞こえてくるお美津の華やいで慶びに溢れた琴の音を聞きながら、若い2人が味も分からないままにお酒を酌み交わします。三人三様どういう気持ちでこの前夜を過ごすのか、そのあたりが今回の山場になるであろうと考えています。