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松本 幸右衛門 (初代)

まつもと こうえもん
本名蛭間清枩
俳名・舞踊名舞踊名は立花中扇
屋号高麗屋
定紋四ツ花菱
生没年月日 昭和03(1928)年01月03日 ~ 平成23(2011)年06月27日
出身神奈川県

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プロフィール

 小芝居華やかなりし昭和の初め頃までは、小芝居で主役を張る腕達者が大歌舞伎では脇役に回るため、芝居に厚みがあったといわれる。戦後、浅草のスミダ劇場を拠点に活動し“最後の小芝居”とよばれた「かたばみ座」の役者たちが、のちに大歌舞伎に出ていた姿は、私も幾らか実見しているが、そうした経歴を持つ役者の、本当に最後の人となったのが松本幸右衛門である。大歌舞伎に移ったのは昭和30年。八代目市川中車の弟子となって三代目市川中之助を名のる。中車没後は八代目松本幸四郎(白鸚)の預かり弟子となり、56年、現・九代目が幸四郎を襲名した際、初めて松本姓となった。本公演で、ちょっと目に立つ役がつくようになったのもこの頃からだが、平成に入ると先輩の死去などで重要な敵役や老け役がこの人に回るようになり、俄かに重用される存在となった。
 大歌舞伎のキャリアも長いだけに、いわゆる“小芝居臭”といわれる卑俗味などはなかったが、それでも生粋の大歌舞伎育ちの人にはない苦味や雑味があり、それが演じる役に複雑なニュアンスを付け加えていた。「眼鏡の番頭」と呼ばれる役柄では、悪の要素を含む『法界坊』の長九郎が面白かったし、『源平布引滝』(「義賢最期」「実盛物語」)の九郎助や『義経千本桜』「鮓屋」の弥左衛門、『石切梶原』の六郎太夫のように、百姓・町人ながらも気骨ある老人、という設定がよくはまった。その一方で、『直侍』の蕎麦屋の亭主、『一本刀土俵入』の老船頭などでは人生の年輪を感じさせたし、主役の邪魔にならずに突っ込むところは突っ込む老練さは、代表的な当り役だった『河内山』の北村大膳などに発揮された。
 神奈川県海老名の出身。父が座頭を勤める小芝居で中村福次を名のり、『伽羅先代萩』の鶴千代に出たのが初舞台。戦後、復員してからは修業のため、「相模の団十郎」とよばれていた厚木の三桝源五郎(京桝屋)の一座に加わり、三桝京次郎を名のった。ここでは、義太夫狂言を中心に色々な大役を覚えたほか、口立てで新作を作るなどの経験もしたという。「かたばみ座」にも、三桝京次郎の名で昭和28年から二年間出演。『仮名手本忠臣蔵』「九段目」の力弥や『絵本太功記』の十次郎など、二枚目役を勤めていた。大歌舞伎へ移る直前のことである。
 伝統歌舞伎保存会会員の勉強会として昭和58年に始まった「葉月会」は、やがて現・中村歌江を中心に、小芝居系の演目や、珍しい復活狂言を見せる会となった。幸右衛門は第2回から最後の16回(平成9年)まで、ほぼ毎年参加し、歌江の相手役を勤めた。色悪系の役で示した古風な感触や、珍しい散切り物の演技などが印象に残っている。

【石橋健一郎】

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経歴

芸歴:

昭和11年9月、父・蛭間吾助の一座で座間の三浜館『伽羅先代萩』の鶴千代を演じ中村福次を名のって初舞台。21年、三桝京次郎と改名。昭和30年1月八代目市川中車(ちゅうしゃ)の門下となり、三代目市川中之助を襲名。昭和37年名題昇進。昭和47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第二次認定を受ける。昭和56年九代目松本幸四郎の門下となり松本幸右衛門と改名。平成8年幹部昇進。

受賞:

昭和46年、54年に国立劇場奨励賞。昭和53年と平成4年に国立劇場優秀賞。昭和62年眞山青果賞奮闘賞。昭和63年関西で歌舞伎を育てる会奨励賞。平成7年第一回日本俳優協会賞。平成13年文化庁長官表彰など。

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舞台写真 (写真をクリックすると拡大画像をご覧いただけます)

  • 『暗闇の丑松』
    松本幸右衛門【中どん六造】

    平成18年6月 歌舞伎座

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