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市村 吉五郎 (二代目)

いちむら よしごろう
本名市村義直
俳名・舞踊名俳名は橘衛、舞踊名は二代目藤間勘治郎
屋号橘屋
定紋根割橘、渦巻
生没年月日 大正07(1918)年01月18日 ~ 平成22(2010)年02月17日
出身東京・銀座

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プロフィール

 古風でおっとりした顔立ち。『おちくぼ物語』で兵部少輔を演じたのがきっかけでお公家さんの役がふえた。衣冠束帯姿がよく似合い、悠揚迫らぬ雰囲気で、気品と風格が滲み出た。十六代目市村家橘から百五十年ぶりに二代目市村吉五郎を襲名した時の披露狂言の一つ『業平吾妻鑑』で在原業平を踊ったが、品位が備わり、見事なほどの存在感を示した。
 吉五郎の公家姿を気にいった劇作家の北條秀司氏が『建礼門院』で謀議に加わった小松少將有盛に配役。平家滅亡の中での狂える公家が印象的で、いつまでも当たり役と言われるようになった。若尾文子主演の『建礼門院』(日生劇場 昭和60年1月)では新大納言成親と大納言左局を演じている。円地文子の『源氏物語』では源氏につく公家、『仮名手本忠臣蔵』「大序」の足利直義、『毛抜』の小野春道など、公家姿はどれもぴたりとはまった。『忠臣蔵』「七段目」の斧九太夫は二千石の家老の風格を滲み出した。
 おっとりと品がある反面、覇気に欠け、病いがちでそれ以上のものを残せなかった。オートバイや車の運転、機械いじりに熱中するエネルギーを舞台に注いでいたら、役者としてもっと活躍できたと思う。平成10年4月、大阪松竹座『寺子屋』の涎くり親父吾作を最後に亡くなるまで十二年間舞台に立たなかった。
 十二代目片岡仁左衛門の次男。長兄が十三代目片岡我童(十四代目片岡仁左衛門追贈)。弟が六代目片岡芦燕。松嶋屋の血が流れているのだが、十五代目市村羽左衛門に望まれて養子となり、名門橘屋の若手として甘やかされて育った。終戦直前に養父の十五代目羽左衛門を亡くし、戦後の混乱期に実父の十二代目仁左衛門の不慮の死に見舞われた。さらに義兄に当たる十六代目羽左衛門も若くして亡くなり、名門橘屋のすべてが吉五郎の肩にのしかかった。ある意味で、歌舞伎界の孤児的存在のまま重圧をはねのけられず、若手たちに次々追い抜かれていった気の毒な役者だったとも言える。何事にも研究熱心だが、それが演技のプラスにならず、そのジレンマに押しつぶされたのではないだろうか。『髪結新三』の車力善八、『石切梶原』の六郎太夫、『女暫』の家老、『褌医者』の外人役など、たまに出演しても脇にとどまった。藤間宗家の所で振付の手伝いをしたり、十七代目中村勘三郎の所にいくなど転々としたが結局は一匹狼のままだった。もし養子に行かずに松嶋屋として活躍していたらもっと役どころを広げられたのではないかと思う。

【横溝幸子】

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経歴

芸歴:

十二代目片岡仁左衛門の次男。兄に十三代目片岡我童、弟に六代目片岡芦燕がいる。大正11年12月天満八千代座『三日月次郎吉』の三太で片岡義直を名のり初舞台。昭和15年十五代目市村羽左衛門の養子となる。昭和16年1月歌舞伎座『鞍馬山だんまり』の牛若丸で二代目市村又三郎を襲名し名題昇進。昭和22年2月東京劇場『対面』の八幡三郎で十六代目市村家橘を襲名。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第一次認定を受ける。昭和42年10月歌舞伎座『業平吾妻鑑』の業平ほかで二代目市村吉五郎を襲名。

受賞:

村上元三賞、北條秀司賞。

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  • 『女暫』
    二代目市村吉五郎【家老根井主膳行親】

    平成10年2月 歌舞伎座

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