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梅玉・松緑が「国立劇場11月歌舞伎公演」取材会で意気込みを披露

 国立劇場11月歌舞伎公演では、今回36年ぶりとなる山本有三作の史劇『坂崎出羽守』と、歌舞伎では41年ぶりとなる長谷川伸作の股旅物の代表作『沓掛時次郎』が上演されます。
 9月27日(水)都内にて取材会が行われ、中村梅玉尾上松緑が公演に向けての思いを語りました。

【中村梅玉】
 今回は新歌舞伎、それも、最近あまり上演されていない作品です。私自身、新歌舞伎は大好きなジャンルですので出演させていただくのを楽しみにしております。
 『沓掛時次郎』は長谷川伸先生のムード、世界というか、渡世やくざのそういう世界のお話ですので、ちょっと梅玉の芸風には合わないとお思いになる方も多いと思います。
 しかし、歌舞伎での初演が十五代目市村羽左衛門という私自身、神のように尊敬している大先輩です。その後、三代目市川寿海のおじさん、十四代目守田勘弥のおじさん、というどちらかというと二枚目系の役者さんが演じていらっしゃいます。自分が二枚目というわけではないのですが・・・そういう芸風の人が挑戦できるお役なんじゃないかなと楽しみにしております。
 『坂崎出羽守』は尾上松緑さんの出羽守で、徳川家康をお付き合いさせていただきます。前になさった、松緑さんのお父さんの初代尾上辰之助(三代目尾上松緑)さんとは同い歳でしたので、昭和56年に歌舞伎座で演じていらっしゃる舞台も拝見しております。その仲の良かった方の息子さんと共演できるというのも、すごく楽しみにしております。

 時次郎は簡単にいえばカッコイイ男ですよね。けっこうクールなところもあって、三蔵を切り捨てるところは渡世人の義理で、なんの思いもなく簡単に斬っちゃうわけですよね。そういうところもあるけれども、やはり後のことを頼まれたら、「女房、子を自分が守るから」と言って堅気の人間になって二人の面倒を見る事になる。女房おきぬのことは好きなのだけれども、それはぜったいに口には出さない。男のロマンというのかな、そういう格好良さが魅力のお役だなと思いますね。
 それは、長谷川伸先生の原作がすばらしいということですね。ただの堅気に憧れている渡世人ではない、そういう色んな面が時次郎の中に入っているというところが、とても魅力のある役だと思います。それを表現するのは、やはり並大抵の研究ではいけないと思うので、一所懸命、役作りをしようと思っております。

 長谷川伸先生とは、実は子どもの頃、初舞台をしてまもなくの頃ですが、毎年お正月に父(六代目中村)歌右衛門の名代で先生のお宅に年始のご挨拶に伺っていました。その時に先生が出てきてくださって、そんなに大作者なんてことは子どもの頃ですからわかりません。でも、とても良いおじいちゃんのような雰囲気をもっていらっしゃる方でした。それから暫くして先生が大作家だというのがわかって、先生の芝居にもいろいろ出させていただきました。
 今回、主役の沓掛時次郎を自分がやらせていただくことに、そういうご縁を感じるというか、先生に認めてもらえるような時次郎を演じたいと思います。



取材会の前に高福院で行われた、作家・長谷川伸の墓参の様子


【尾上松緑】
 今回は『坂崎出羽守』では坂崎出羽守と、『沓掛時次郎』では六ッ田の三蔵という二役を勤めさせていただきます。
 『坂崎出羽守』は皆さんご存知のとおり、六代目尾上菊五郎がまず初演されまして、その後は私の祖父(二代目尾上松緑)、父(初代尾上辰之助)と、ずっとうちの家で演じてきた作品でございます。私も幼少の頃に父の出羽守を観て、すばらしい作品だなと思っておりました。その役を演じる機会がここでめぐってきたことを嬉しく思っております。
 『沓掛時次郎』については、偶然ですが長谷川伸先生の作品には今年、6月歌舞伎座の『一本刀土俵入』に出演させていただいておりますので、一年の内に、二本も先生の作品に出演させていただけるというのも、これも何かのご縁かと思います。
 梅玉のお兄さんとは普段からよくご一緒させていただきますが、こうやってしっかりと、ガッツリ芝居をするというのは本当に久しぶりのことでございます。胸を借りるつもりで勤めていきたいと思います。

 出羽守のイメージというのは、私が生まれてからは、祖父は演じておりませんので父のイメージということになります。子どもの頃に観ていながらも出羽守の内面の葛藤というか、出羽守自身が決して二枚目であるとか、そういう主人公的な部分を持っている男というわけではないですが、その葛藤みたいなところを表現するのが父はとてもうまい人でした。子ども心にそういう、なんていうのでしょうか“ほの暗い情念”といいますか、そういうものに魅入られまして、いつかそういうことを表現できるようになればと思っておりました。出羽守の“執着”というようなものが、舞台の上に少しでも出せればと思い、今、研究をしているところです。

 長谷川先生の魅力は、渡世人の上辺だけではなく、心の内まで良く描けているような“心理描写”というか、現代人では中々理解できないような気持ちというのが台本を読むとスッと消化できるようなところです。男が憧れるような格好良さというものが台本の中に多数みられるところがあり、それは『沓掛時次郎』の時次郎や、『一本刀』に出てくる名前の無いような宿場の人達からして生き生きと描かれているのが長谷川先生の魅力です。そういう中に登場人物の一人として参加できるというのは、とても嬉しいことですし、その長谷川先生の作品らしく自分の六ッ田の三蔵という役が見えなければいけないのではないかと思います。