Home > トピックス一覧 > 【公演延期】團蔵が意気込みを披露~「八世市川團蔵五十回忌追善 四国霊場一番札所 霊山寺奉納歌舞伎~さらば四国~」

トピックス

【公演延期】團蔵が意気込みを披露~「八世市川團蔵五十回忌追善 四国霊場一番札所 霊山寺奉納歌舞伎~さらば四国~」

※公演は延期になりました。歌舞伎美人のページもご確認ください。

 八世市川團蔵は昭和41年、歌舞伎座での引退興行を勤め上げ、長年の夢であった四国霊場のお遍路に出ましたが、八十八番札所で結願した直後に、瀬戸内海を航行する船上で行方不明になり、帰らぬ人となりました。
 八世團蔵の50回忌を迎える本年8月22日・23日に徳島県霊山寺で「八世市川團蔵五十回忌追善 四国霊場一番札所 霊山寺奉納歌舞伎~さらば四国~」を開催する事が決まり、市川團蔵が記者懇親会で意気込みを披露しました。

【市川團蔵】
 この公演が実現しましたことは、大変ありがたいことでございます。また、祖父の五十回忌という節目で『勧進帳』の延年の舞を勤めさせていただくという栄誉を得まして、大変喜んでおります。祖父八代目をはじめ初代から連綿と繋がって来た、各團蔵の魂のご冥福を祈りながら全身全霊勤めさせていただきたいと思っております。

 祖父は昭和41年、84歳の引退興行で『菊畑』の鬼一と『助六』の意休という大役を勤めあげて四国へ旅立ちましたが、その時私は15歳で、『書写山』の鬼若丸という後の弁慶を勤めさせていただきました。その引退興行のお役もあって、今回『勧進帳』の延年の舞をいただいたのでしょうか、という思いもございます。
 祖父は大変キッチリして、何と言いますか、明治の昔気質な役者でした。足もしっかりしており、口跡も凄く良く、衰えぬ口跡を引退興行の時もご披露しておりました。

 旅立つ前に祖父は「私は、お遍路をしながら気に入ったところがあったら、そこで仙人になるかもしれませんから」ということを申しておりました。行方不明という連絡があった時は、家も引っくり返るような騒ぎになり、状況から判断してこれは入水したことに間違いないであろう、と聞きました。涙が出るというよりも、どうしておじいさんはそういうことをしたのかな、15歳の私では理解のしようもございませんでした。
 祖母から伺いましたが、七世團蔵という明治期の名優、その大名優の名前をもっと大きくできなかったということも、祖父には心残りだったようです。もうあれから50年経ったかなというのが正直な実感でございます。