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平成24年2月
◆源義経
歌舞伎の作品には義経がたくさん登場しますが、牛若丸時代か、頼朝に追われ落人になってからの義経がほとんどで、絶頂期の義経が描かれているのはこの「一谷嫩軍記」ぐらいではないかと思います。そういう意味ではこの芝居の義経はまずは颯爽とした風情がなくてはいけないと思います。
平家を滅ぼす手立てを考える軍略家でありながら、平家方の人々に温情をかける優しい大将にも描かれています。ただ、院の御胤である敦盛を救うために、熊谷の息子小次郎を身替りに立てろ、という実に非情な命令を下す冷酷な男でもあるのです。このバランスがまず難しいところです。 今回は大序の「堀川御所」で熊谷に制札を渡し、その冷酷な命令を下すところから始まりますから、「熊谷陣屋」で首実検のあと「ゆかりの人もあるべし、見せて名残を惜しませよ」というセリフがありますが、この言い方が難しいと思います。優しく言った方が情があるように聞こえるかもしれませんが、その苛酷な命令を下したのは自分自身であるわけですから、小次郎の母相模に対する同情は持ち合わせながらも、絶対的な命令として変にべたつかず、まったく別の次元から語りかける、天の声のようでなければならない、と考えています。
また陣屋で義経が身につける鎧ですが、緋縅をお使いになる方が多いのですが、曾祖父七代目の芸話に「この場の義経の鎧は『紫匂ひ』でないと、八幡太郎めいていけません」という一節があります。私はこの言葉の裏には、一谷嫩軍記において緋縅の鎧は敦盛(小次郎)の象徴として使われており、それと同じ鎧を義経が身に着けるという愚を避ける、という考えがあると思うのです。現に陣屋の場においても障子の中に敦盛の緋縅が置かれています。したがって今回も私は紫匂ひの鎧を身につけようと思っています。
◆岡部六弥太
義経の命令によって平家の大将薩摩守忠度に、千載集に選ばれた花の枝についた和歌を届けに来るという、腹にいやなところがひとつもない颯爽とした男です。抜け駆けをする卑怯な梶原景高と対照的な、華も実もある武将に描かれているので、やっていて実に気持ちのいい役です。 ただ、京育ちの風雅な平家の武将平忠度と、武蔵の国出身の岡部六弥太の颯爽とした姿の、微妙な風趣の違いはしっかりと描かなければいけないと思っています。
ちなみにこの衣裳の着物の柄は、六弥太格子といって、八代目團十郎が別の芝居で岡部六弥太を演じたときに考案した柄です。
平成24年2月
◆「土蜘」 源頼光
19年ぶり3度目です。ついこの間、と思っているうちにもう19年も経っていることに愕然といたします。
こうした御大将の役は、たとえば義経もそうですが、たいしてすることはなく、それでいて圧倒的な存在感を発揮せねばならぬという非常に難しい役であります。たとえば「勧進帳」。弁慶と富樫は腕の振るいどころがあり、努力をすればなんとか観賞に値する成果を得られますが、義経はしどころといっても少なく、それでいてこの人のためならば、と思わせる存在感、気品、哀れさを表現しなければいけないというのは、役者にとって至難のわざなのです。
弁慶よく頑張ったね、富樫良かったね、と言わせることよりも、あの義経は良かったね、と言わせることが実は一番難しいことなのだと思います。
まして私は絶世の美男子でもなく、色気もあまりある方ではありませんので、こうした役は本当は不向きであると思います。とにかく、小さい時から見守って来た勘太郎君の襲名に、少しなりとも華を添えた、と言っていただけるように品格を第一に、なるべくまろやかに仕上げたいと思っています。
◆「ぢいさんばあさん」 美濃部伊織
初役です。それどころかこのお芝居に出たこともありません。森鴎外の短編を宇野信夫先生が脚色して劇化したもので、ひんぱんに上演される演目ですが今まで縁がありませんでした。
仲の良い夫婦が、ふとしたことから引き裂かれ37年ぶりに再開する場面が見せ場になりますが、それ以前の仲の良い夫婦を見せるところに多少の誇張があるのが気になるところです。序幕の蚊を取るやり取りとか、京都で仲間に「恋しいか?」と聞かれて「恋しい!」、「夢を見るか?」「見る!」、「帰りたいか?」「帰りたい!」と答えるところなど、ちょっと背中がむず痒く恥ずかしい感じがします。仲の良い=べたべたする、ということではないと思うからです。
現実に私の両親は梨園きってのおしどり夫婦と呼ばれるほど仲が良かったですが、人前でべたべたすることなどなかったです。それよりも何気ない日常の中に深い信頼を伺わせていたものでした。ですからセリフを変えることはできませんが、そうしたセリフが浮き上がることなくお客様に届くようにすることが第一だと思っております。
その流れの中で、京都の床で思わず下嶋を切ってしまったあと、自責の念にとらわれ、思わず妻が渡してくれたお守りを取り出すという工夫を致しました。なるべく言葉でなく、行動の中で夫婦の信頼を表したいと思ったからです。
37年後の再会は、喜び一辺倒ではなく、埋めきれない時間のひずみをどう対処していくのか、辛酸をなめ切った夫婦ならではの再生の方法を編み出すところに主眼を置きたいと思っております。再会したからといって一気に37年の歳月が埋まるわけもありません。互いに埋めきれない37年の歳月を抱えながら、それをすべて甘受しまた新たに二人の生活を構築していく・・・。その行く末を見守るように桜の花びらが舞い散る、そのような幕切れにしたいと思っております。
平成24年1月
◆「金閣寺」 松永大膳
3度目です。この芝居には縁がなく、鬼藤太にも正清にも出たことがなくいきなり大膳に出たのが平成17年の8月納涼歌舞伎でした。
ところがやってみるとこんなに面白い役はなく、すっかり虜になってしまいました。
天下をねらう国崩しですが、日本一美しい金閣寺に立てこもり、日本一美しい美女の雪姫を桜の木のもとにくくりつけその萎れかかる風情を楽しむという、サディスィックでありながらも美に対するこだわりは並大抵のものではない英雄のあり方が、たまらなく魅力的です。
とにかく規格外の格の大きさを見せながら、美女に心を寄せ、しかもさっさと犯すでもなく、萎れかかった風情を楽しむ感性を持ち合わせ、なおかつ国家を狙う悪役という、歌舞伎でなくては演じられない破天荒な役ですので、それを演じられる歌舞伎役者の特権を甘受し、楽しんで演じたいと思っております。
◆「加賀鳶」 春木町巳之助
もう何度目になったでしょうか・・・。勢揃いにはたくさん出て、松蔵もやりましたが、一番多く演じているのは巳之助だと思います。とにかく喧嘩の発端を作った役ですから、頭から湯気が出るようなカッとした鳶頭の威勢の良さを見せなければいけません。しかも通し上演の事を考えれば他の鳶とは違う色気もなけらばならず、楽しいながらも責任の大きい役です。
◆「矢の根」 曽我五郎
正月にはぴったりの役です。障子が開いて姿を現すとき、まだ誰も歩いていない伊勢神宮の掃き清められた玉砂利を真っ先に進んで行くような独特の清浄感があります。
「長き夜のとうの眠りの皆目覚め波乗り船の音の佳きかな」という七福神の絵を枕の下に置いて寝るといい夢が見られるという言い伝えを、曽我五郎の仇討にうまく取り入れられていますが、さりとて深い内容がある芝居ではありません。だからこそ荒事の重要要素である声の良さ、体の美しさを極限まで追求して明るく楽しい舞台にしなければならず、役者としては難しい役です。ただその難しさは、苦渋に満ちた内面の苦しさではなく、お客様には何も考えていないスコーンと抜けた冬の空のような開放感と感じていただけるようにすることが、役者にとっての難しさです。しかし25分間、まったく人に気を遣うことなく、自分のことだけ考えて没頭できる爽快な役であり、正月にこの役を演じられる喜びをを感じながらステキな舞台にしたいと思っております。
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