歌舞伎 on the web

市川 門之助 (七代目)

いちかわ もんのすけ
本名相馬孝至
俳名・舞踊名俳名は白魚、舞踊名は花柳蔦寿郎
屋号滝乃屋
定紋四ツ紅葉・杏葉紅葉
生没年月日 昭和03(1928)年09月07日 ~ 平成02(1990)年10月13日
出身東京都

プロフィール |  経歴 |  舞台写真 |  ページ先頭へ

プロフィール

おきゃんな町娘がいつまでも似合うような明るい芸風で、実際の人柄も開けっぴろげで親切な江戸っ子気質がみられた。器用なのか、小唄のレコードを吹き込んだり、テレビのジェスチャーゲームでも活き活きした姿をみせた。

二代目市川左團次の相手役で人気の高かった二代目市川松蔦の名前養子になって三代目を継いだが、のち三代目市川左團次の引き立てにより、その父親の名である門之助を襲名した。昭和30年代の東横ホールには最も回数多く出演、はじめは十代目岩井半四郎、十四代目守田勘弥、のち三代目河原崎権十郎の相手役として、『十六夜清心』の十六夜、『お祭佐七』の小糸、『小猿七之助』の滝川など、特に世話物向きの個性をみせた。

『夏祭浪花鑑』のお辰の紗の薄物に身を包んだ色香と女ながらも侠気の人柄、『嫗山姥(こもちやまんば)』の白菊のきりっとした立廻りに“きりりしゃん”とした芸風が光った。また国立劇場で『義経千本桜』が通し上演された折、二代目尾上松緑の権太に女房小せんを務めたが、女郎上がりの色気を包んで、しっかりした世話女房ぶりが無類だった。一方、『黒手組の助六』の女郎白玉が鼻の下の長い番頭権九郎をだまして、情夫の牛若伝次と駈け落ちして行く姿は、ちょっぴり悪女だけれどユーモラスで陽性の持味が生きた。その後は三代目猿之助一座の立女形として、さまざまな復活物やスーパー歌舞伎でも活躍したが、『義経千本桜』「渡海屋」の典侍局の十二単衣姿の立派さもきわ立っていた。六十を一つか二つ越えたばかりでの急逝は歌舞伎界にとっても少なからぬ損失であった。

【小宮暁子】

プロフィール |  経歴 |  舞台写真 |  ページ先頭へ

経歴

芸歴:

昭和9年4月東劇『お夏狂乱』の里の子で初代市川たか志を名乗り初舞台。二代目市川松蔦の名前養子となる。子役時代は十五代目市村羽左衛門に可愛がられ、その『実盛』に太郎吉、『盛綱』に小四郎、『すしや』に六代君など、子役の大役を数多く務めている。羽左衛門歿後、二代目市川猿之助一座に移り、昭和21 年8月東劇『新説牡丹燈籠』(川村花菱作)のお露などで三代目市川松蔦を襲名、名題昇進。昭和37年2月『出雲お国』(伊原青々園作)のお国、『草摺引』の舞鶴で七代目市川門之助を襲名。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第一次認定を受ける。昭和56年訪欧歌舞伎、昭和60年訪欧歌舞伎、昭和62年訪欧歌舞伎、昭和63年8月国際演劇協会「歌舞伎ワークショップ」に参加。長男は現・市川門之助。

受賞:

昭和13年6月歌舞伎座『盛綱陣屋』の小四郎で松竹社長賞。昭和29年5月歌舞伎座『源氏物語』の命婦の君で菊五郎劇団賞。『壺坂』のお里で「演劇界」賞。昭和58年6月イタリア・ボローニャ市文化功労。

プロフィール |  経歴 |  舞台写真 |  ページ先頭へ

舞台写真 (写真をクリックすると拡大画像をご覧いただけます)

  • 『艶容女舞衣』酒屋
    (左)七代目市川門之助【女房お園】、(中)二代目市川左文次【半七親半兵衛】、(右)三代目市川福之助【半七母お幸】

    昭和38年4月 東横ホール
  • 『江戸育お祭佐七』
    (左)七代目市川門之助【芸者小糸】、(右)三代目河原崎権十郎【お祭佐七】

    昭和42年1月 東横ホール
  • 『人情噺文七元結』
    (左)初代市川猿翁【左官長兵衛】、(左から二人目)七代目市川門之助【女房お兼】、(右から二人目)現・中村又五郎【手代文七】、(右)四代目坂東秀調【和泉屋清兵衛】

    昭和33年6月 新宿松竹座
  • 『鳴神』
    (左)尾上佳緑【黒雲坊】、(中)七代目市川門之助【雲絶問姫】、(右)二代目市川たか志【白雲坊】

    昭和43年8月 国立劇場(荒磯会)

プロフィール |  経歴 |  舞台写真 |  ページ先頭へ