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市川 松尾 (三代目)

いちかわ まつお
本名吉良史郎(忠晃と名乗った時期あり)
屋号澤瀉屋
定紋澤瀉
生没年月日 昭和04(1929)年07月17日 ~ 平成21(2009)年10月
出身三重県

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プロフィール

二代目市川猿之助(猿翁)最初の内弟子で、一門にあっては唯一ともいえる女形だった。喜太郎時代から美貌と才気が目立ち、昭和20年代後半には一門の若手俳優の勉強会「さつき座」で『妹背山』のお三輪、『合邦』の玉手、『修禅寺物語』の桂などの大役を好演。春猿襲名後は一座の花形岩井半四郎や市川松蔦(七代目門之助)らに伍し、東横ホール、常盤座、新宿松竹座(新宿第一劇場)などの公演では、『太功記』の初菊、『文七元結』のお久などに起用されている。『明治一代女』でお梅と張り合う芸妓秀吉、落語の『子は鎹(かすがい)』を劇化した『兒故(こゆえ)の春』で母親の芸妓役を演じたこともあるが、この種新派劇の女方は、近代的な容姿と芸風に叶って特に好評だった。

八代目市川中車の幼名だった松尾を襲名。その以前から立役を務めることも多くなり、『黒塚』の讃岐坊は襲名後も持ち役にしている。日常では事務的な能力にも長じていたので、猿之助の秘書役のようなことも務めた。

若くして廃業したのが惜しまれたが、それから三十年以上も経った現在、郷里の三重県桑名で「こども歌舞伎」の指導をしているという。かつて子役の発声や動きについて親切に面倒を見ていたのを思うと、雀百まで踊りを忘れず、というところか。

【松井俊諭】

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経歴

芸歴:

昭和22年10月市川喜太郎を名乗り東劇で初舞台。昭和28年6月歌舞伎座『伽羅先代萩』の侍女梅野で市川春猿と改名して名題昇進。昭和38年5月「三代目市川猿之助襲名興行」において『黒塚』の讃岐坊ほかで三代目市川松尾を襲名。昭和47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第二次認定を受ける。昭和49年限りで引退。その後は三重県桑名市に在住し、同県員弁郡東員町(いなべぐんとういんちょう)で行われる「こども歌舞伎」の指導などをしていた。

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舞台写真 (写真をクリックすると拡大画像をご覧いただけます)

  • 『妹背山婦女庭訓』道行恋苧環
    三代目市川松尾【烏帽子折求女実は藤原淡海】

    昭和33年3月 常盤座花形歌舞伎
  • 『浮世風呂』
    三代目市川松尾【なめくじ】

    昭和49年6月 南座

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