市川 福之助 (3代目) イチカワ フクノスケ

本名
水鳥春男(旧姓浅井春男)
屋号
成田屋
定紋
瓢箪桐
生没年月日
明治37(1904)年03月21日〜平成2(1990)年08月04日
出身
大阪島の内大宝寺町

プロフィール

若い頃は美しい女形で、宮戸座や寿座などの中芝居や小芝居で赤姫や娘方の役を演じて活躍した人である。晩年は三代目尾上多賀之丞のすすめで主に老け役に転じ、多賀之丞亡きあと『仮名手本忠臣蔵』六段目のおかやを演じていた。どちらかと言えば控えめで、温かく優しみの勝った福之助のおかやは、若き日の現・尾上菊五郎や十二代目市川團十郎の勘平にぴったり合った姑ぶりで舞台を引締めた。成田屋の家にとっては大切な指導役、團十郎の乳母的な存在でもあった。『実盛物語』の小万の母、『義経千本桜』の「すしや」の権太の母など、老いた母の子を先立たせる哀れさがしみじみと客席に伝わった。若い役では、『縮屋新助』の松本の女将など、訳知りの粋な年増ぶりが特記される。

【秋山勝彦】

経歴

芸歴

印刷屋の跡取り息子だったが、俳優を志望して二代目市川右團次に入門し、大正9年10月大阪中座『六波羅栄華物語』(篠山吟葉作)の町の娘で市川鶴之丞を名乗り初舞台。昭和4年上京し浅草の宮戸座に入座。昭和7年11月宮戸座『時雨(しぐれ)の炬燵(こたつ)』のおさんと小春で名題昇進。昭和10年東宝劇団入座。同年9月三代目市川福之助と改名。昭和14年1月関西歌舞伎に復帰し市川宗家(五代目市川三升)の門下となる。昭和16年以降は東京に居着き、寿座、戦後はかたばみ座などの小芝居をへて、昭和25年から宗家九代目市川海老蔵(十一代目團十郎)に従って菊五郎劇団で活躍するようになった。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。

受賞

昭和54年7月『仮名手本忠臣蔵』六段目のおかやで国立劇場特別賞。昭和56年10月日本俳優協会功労者表彰。

舞台写真