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松本 白鸚 (初代)

まつもと はくおう
本名藤間順次郎
俳名・舞踊名舞踊名は錦升
屋号高麗屋
定紋四つ花菱、三つ銀杏
生没年月日 明治43(1910)年07月07日 ~ 昭和57(1982)年01月11日
出身東京

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プロフィール

最後の舞台は、当り役『井伊大老』だった。六代目中村歌右衛門との初演以来の名舞台である。死を悟った孤高の直弼と、長年影となって彼を支えた愛妾お静の方が、雪の雛まつりの宵に交わす温かく穏やかな心情が心にしみ入る名舞台だった。松本幸四郎から、白鸚と改名した披露興行の二カ月目で、途中一週間休演したあと復帰して千秋楽まで務め上げたが、翌年一月には他界したのである。

七代目幸四郎は名優であったとともに、長男の十一代目市川團十郎、次男の八代目幸四郎(白鸚)、三男の二代目尾上松緑と、次代のスターとなる三人の子を育てた功が大きい。いわゆる高麗屋三兄弟で、次男は初代中村吉右衛門のもとへ、三男は六代目尾上菊五郎のもとへ修業に出した。だから白鸚は父・幸四郎と初代吉右衛門の両方の芸系を担うことになり、それが白鸚の座頭役者としての魅力となった。『仮名手本忠臣蔵』なら大星由良之助が最適役の人だった。新作歌舞伎でも史劇の役者としての顔をもち、シェイクスピアの『オセロー』へ挑戦したり、福田恆存が「マクベス」を脚色した『明智光秀』で文学座と共演したり、真山青果の『元禄忠臣蔵』の大石を当り役にしたりと、二代目市川左團次の芸風まで包含した現代俳優でもあった。映画出演も多く、『忠臣蔵』の大石は数本主演し、テレビ時代劇シリーズ『鬼平犯科帳』での静かな凄みも忘れてはなるまい。

昭和36年に東宝へ移籍したことは演劇界に大きな衝激をもたらした。まだ若い市川染五郎(現幸四郎)、中村萬之助(現吉右衛門)兄弟と市川中車、中村芝鶴、中村又五郎らと共に東宝劇団を結成し、新しい演劇と古典との両立を目指した意欲は立派だった。因襲に捉われない進取の気風は父七代目譲りだったのかもしれない。『桑名屋徳蔵入船物語』の復活や『熊谷陣屋』の本行に則した上演、芸術座での『立場の太平次』や『東海道四谷怪談』など南北作品の上演など、歌舞伎には不向きな劇場で孤軍奮闘した。山本富士子ら女優との共演や、東宝歌舞伎での長谷川一夫との顔合せもあった。それより前の昭和34年、まだ共演が珍しかった文楽の先代竹本綱大夫・竹澤弥七と協力して『日向嶋』を上演したのも意欲の表われだった。

兄の團十郎襲名のころから古典歌舞伎への出演も増え、国立劇場の開場で歌舞伎俳優八代目幸四郎が復活し、以後は戦後の歌舞伎黄金期の一翼を担っている。『暫』や『毛抜』『鳴神』など、歌舞伎十八番のおおらかさ。とりわけ『勧進帳』の弁慶は父譲りの当り役だが、富樫の潔い重厚さも魅力があった。『幡随長兵衛』の貫禄。『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)』の源五兵衛の男の色気。『河内山』の豪快さ。『茨木』の綱や『関の扉』の黒主などの古怪な大きさは実父の芸系の魅力。『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』の次郎左衛門は歌右衛門とのゴールデンコンビで、その誠実さで朴訥で純な男の哀しみが滲み、だからこそ大詰の凄みが恐かった。義太夫狂言では『俊寛』『石切梶原』『一谷嫩軍記』の熊谷、『ひらかな盛衰記』逆櫓の樋口、『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』の南与兵衛、『盛綱陣屋』の盛綱、『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』「毛谷村」の六助、そして清正物など、岳父・吉右衛門系の魅力であった。英雄役者であり、実事師という表現もぴったりだったといえる。『金閣寺』の大膳では国崩しの王子の鬘に白塗りの古怪な風貌が異様で錦絵のような男の色気。貫禄とか重厚という言葉は、この人のためにある感じがした。新作『樅の木は残った』や『ひとり狼』といった佳品もあった。

大きい役者だった。風格のある人だった。そして、男の色気とはこういうものだと感じさせた、ダンディな魅力溢れる名優だった。

【秋山勝彦】

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経歴

芸歴:

七代目松本幸四郎の二男。大正14年1月松本純蔵(五代目幸四郎の幼名)を名乗り帝劇『奴凧』の太鼓持順孝で初舞台。昭和3年より初代中村吉右衛門に師事(正子夫人は吉右衛門の一人娘)。昭和6年4月明治座『車引』梅王丸で五代目市川染五郎を襲名、名題昇進。昭和24年9月東劇『勧進帳』弁慶、『逆櫓』樋口で八代目松本幸四郎を襲名。昭和36年2月松竹から東宝に移籍。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第一次認定を受ける。昭和47年4月よりフリーとなる。昭和56年9月長男に九代目松本幸四郎を譲り初代松本白鸚を襲名、同年10~11月歌舞伎座にて『忠臣蔵』七段目の由良之助、『井伊大老』の直弼などで襲名披露。長男は現松本幸四郎、次男は現中村吉右衛門。

受賞:

昭和23年芸術祭賞。昭和24年芸術選奨。昭和31年芸術祭賞。昭和34年演舞場『嬢景清八嶋日記』(日向島)の悪七兵衛景清で毎日芸術大賞。昭和34年『樅の木は残った』『日向島』などで第五回テアトロン賞。昭和47年11月紫綬褒章。昭和49年4月日本芸術院賞。昭和50年4月重要無形文化財人間国宝指定。昭和51年日本芸術院会員。昭和53年文化功労者に選定。昭和55年NHK放送文化賞。昭和56年文化勲章。

著書・参考資料など:

昭和56年『幸四郎三国志 菊田一夫との四〇〇〇日』(千谷道雄著、文藝春秋)、昭和63年『初代松本白鸚の世界』(北隆館)など。

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舞台写真 (写真をクリックすると拡大画像をご覧いただけます)

  • 『籠釣瓶花街酔醒』
    (右)初代松本白鸚【佐野次郎左衛門】、(左)二代目中村芝鶴【立花屋女房おきつ】

    昭和50年11月 歌舞伎座
  • 『籠釣瓶花街酔醒』
    『籠釣瓶花街酔醒』
  • 『積恋雪関扉』
    (左)六代目中村歌右衛門【傾城墨染実は小町桜の精】、(右)初代松本白鸚【関守関兵衛実は大伴黒主】

    昭和41年10月 帝国劇場
  • 『積恋雪関扉』
    (左)六代目中村歌右衛門【傾城墨染実は小町桜の精】、(右)初代松本白鸚【関守関兵衛実は大伴黒主】

    昭和46年5月 大阪新歌舞伎座
  • 『元禄忠臣蔵』大石最後の一日
    初代松本白鸚【大石内蔵助】

    昭和41年3月 明治座

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