市川 子團次 (2代目) イチカワ ネダンジ

本名
須原通夫
俳名・舞踊名
俳名は子猿
屋号
高島屋
定紋
三舛に子、松皮菱に蔦
生没年月日
大正9(1920)年07月17日〜平成3(1991)年12月28日
出身
東京

プロフィール

小柄で、キリッと引き締まった、典型的な江戸っ子タイプの役者だった。十七代目中村勘三郎の『一本刀土俵入』の茂兵衛に掘下根吉はこの人と決まっていた。やくざ稼業の中、大した人間でもない親分の手下にはなっているものの、人を見るだけの意地と気概のある男の、他のうぞうむぞうとは違う鋭い視線、すきのない身のこなしが見事だった。一方、『文七元結』なら長兵衛を迎えに来る角海老の若い者、藤助さん。大廓の酸いも甘いもかみ分けた男の軽い身のこなしと心遣い、博打で身ぐるみはがされ、女房の着物を着て出る長兵衛にサラリと自分の羽織を貸す思いやりなど、こういう役どころの見本のような感じだった。『仮名手本忠臣蔵』六段目の判人源六の小粋で意気のいい啖呵の裏にある女衒(ぜげん)という稼業の苦み。稼業と言えば『暗闇の丑松(くらやみのうしまつ)』の板橋の妓夫の巧さもそうである。『髪結新三』の大家の女房のこすっからい愛嬌。『高坏』の大名のユーモラスな味。勘三郎が重用しただけに実力派で、粋な名脇役だった。

【秋山勝彦】

経歴

芸歴

父は二代目市川米升。昭和11年10月明治座『連獅子』の三郎吾で市川鯱丸を名乗り初舞台。昭和16年3月明治座で二代目市川子團次を襲名、名題昇進。昭和24 年菊五郎劇団に入団。この頃は女形、若衆役が中心で、『妹背山』「杉酒屋」の子太郎、『弁天小僧』の浜松屋宗之助などのほか、木下順二作の民話劇『彦市ばなし』の子天狗が傑作として高く評価された。健康を害したため舞台を離れ、昭和29年よりテレビに出演していたが、昭和38年11月歌舞伎に復帰。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。

受賞

昭和54年8月『村井長庵』早乗り三次で、昭和60年12月『一本刀土俵入』の老船頭で国立劇場優秀賞。昭和61年4月歌舞伎座『暗闇の丑松』の三吉で松竹社長賞。昭和61年7月第6回伝統文化ポーラ特賞。昭和63年『四谷怪談』の宅悦で第4回関西で歌舞伎を育てる会(現 関西・歌舞伎を愛する会)賞優秀演技賞。

舞台写真