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中村 富十郎 (四代目)

なかむら とみじゅうろう
本名渡辺圭章
俳名・舞踊名俳名は楽水・慶子
屋号天王寺屋
定紋八本矢車
生没年月日 明治41(1908)年06月01日 ~ 昭和35(1960)年10月17日
出身東京・築地

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プロフィール

二代目坂東彦十郎の三男。三代目坂東鶴之助時代、新宿第一劇場を本拠とした青年歌舞伎では、人気実力共に抜きんでて活躍した。昭和14年、阪東寿三郎の女房役に迎えられ、関西歌舞伎に籍を移し、實川延若、中村梅玉、中村扇雀(後の二代目中村鴈治郎)の向こうに廻り、東宝帰りの中村もしほ(後の十七代目中村勘三郎)とも共演し、古典に新作に、次々にヒットを放ち、若女形坂東鶴之助を売り出した。

昭和18年1月、大阪歌舞伎座で、大名跡中村富十郎の四代目を襲名、ゆかりの『京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)』で華々しく披露し、名実共に関西歌舞伎の立女形の地位を確保した。門閥外から出た役者としては稀有な出世だが、その裏付けには、強固な意志と並外れた努力があった。

戦後は、関西に移ってきた市川寿海の相手役も勤め、引く手数多の存在ぶりを誇示した。その寿海の『助六由縁江戸桜』では、常に揚巻を演じ、格調の高い立女形の貫禄を十二分に堪能させた。

芸風は、上品で端正だが、愛嬌に乏しく、理知的で冷たいと言われたが、激しい意欲と情熱を内に秘め、表立たせなかったところに富十郎の真価があったのではないだろうか。古典の立女形格の数々の役、新作でも『少将滋幹の母』をはじめ多くの役々などで、富十郎独自の良さを見せたが、あえて『心中宵庚申』の女房お千代、『鳥辺山心中』のお染、『仮名手本忠臣蔵』「七段目」のお軽を代表作としたい。

やがて関西歌舞伎が次第に振わなくなっていく。上方生まれでないという理由で「七人の会」にも加えられず、中村扇雀(現坂田藤十郎)、大谷友右衛門(現中村雀右衛門)の台頭と共に、活躍の場が少なくなってきた。その頃、富十郎の存在を大きくアピールしたのが、自主公演「矢車座」の旗上げであった。『法成寺物語』や『女団七』で見せた気力こそ、富十郎の芸術的な情熱のほとばしりで、一入感銘が深かった。

年齢を加え、大きな歌舞伎役者になっていく可能性を秘めたまま、昭和35年10月17日、巡業先の福山で急逝した。時に53歳。若くして立女形の地位を極めたとはいえ、まだまだ若い退場であった。

【奈河彰輔】

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経歴

芸歴:

二代目坂東彦十郎の三男で、兄に四代目尾上菊次郎がいる。明治44年名古屋末広座『すし屋』の六代君で本名(当時渡辺亀蔵)のまま初舞台。大正元年演技座『鼠小僧』の禿で坂東亀の子を名乗る。大正8年6月坂東一鶴と改名。昭和5年4月東劇で三代目坂東鶴之助を襲名。戦前の新宿第一劇場を本拠とした青年歌舞伎では、当時の澤村訥升(後の八代目澤村宗十郎)、中村福助(後の六代目中村歌右衛門)とともに花形女方として活躍。昭和14年三代目阪東寿三郎の相手役として迎えられ関西に移籍。昭和18年1月大阪歌舞伎座『京鹿子娘道成寺』などで四代目中村富十郎を襲名。長男は五代目中村富十郎、次男は初代中村亀鶴。

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舞台写真 (写真をクリックすると拡大画像をご覧いただけます)

  • 『仮名手本忠臣蔵』六段目
    (左)四代目中村富十郎【おかる】、(左から二人目)八代目浅尾奥山【母おかや】、(中)二代目中村鴈治郎【早野勘平】、(右から二人目)十代目嵐雛助【一文字屋お才】、(右)三代目市川九團次【判人源六】
  • 『与話情浮名横櫛』源氏店
    四代目中村富十郎【お富】
  • 『鳥辺山心中』
    四代目中村富十郎【若松屋お染】
  • 『少将滋幹の母』
    四代目中村富十郎【北の方】
  • 『堀川波の鼓』
    (左)十代目嵐雛助【お藤】、(右)四代目中村富十郎【お種】

    昭和33年1月 道頓堀文楽座

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