市川 團蔵 (八代目)
いちかわ
だんぞう
| 本名 | 市川銀蔵 |
| 俳名・舞踊名 | 俳名は市紅・三猿 |
| 屋号 | 三河屋 |
| 定紋 | 縦長の三升、丸に結柏 |
| 生没年月日 |
明治15(1882)年05月15日 ~ 昭和41(1966)年06月04日 |
| 出身 | 東京・日本橋 |
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プロフィール
八十四歳の春、歌舞伎座で引退披露を行い、その足で四国八十八ヶ所巡礼に旅立ち、そのまま消息を絶った。そのことを網野菊が佳品小篇に書いている。
渋團と呼ばれたのが五代目。皮肉で狷介な名優だったのが七代目。個性的な團蔵の代々の中では、地味で実直生真面目な人だった。九蔵を名乗っていた若いころは主に小芝居で活躍して人気を得ていた。吉右衛門一座に入ってからは脇役にまわり、重要な役どころで重きをなした。晩年は老け役中心で、ベテランの実力派としてなくてはならない人だった。地味で淡白な芸風ながら、市川寿海の『盛綱陣屋』では北條時政で古怪な存在感を見せ、現富十郎や猿之助ら若手による『夏祭浪花鑑』での釣船三婦などは、老侠客の苦みがあって芝居の味をぐっと濃くさせ、『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』の繁斎の情味。八代目松本幸四郎(白鸚)と中村歌右衛門のコンビの『井伊大老』での仙英禅師など、サラリと演じながら悟った孤高の人となりがあった。最後の舞台となった『鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)』の「菊畑」の鬼一法眼は亡父・七代目團蔵も当り役にしていた役で、菊花爛漫の華やかな舞台の中に立って最後の光芒を放つ姿が見事だった。このとき序幕に「書写山」を復活させ、孫の市川銀之助(現團蔵)に弁慶の少年時代の稚児鬼若丸を演じさせた。芸を若い世代に託そうという真情だったのである。
九蔵時代、大冊『七世市川團蔵』をまとめ上げ、世に出した。父への大きな孝行であり、資料的にも実に内容の濃い名著である。
【秋山勝彦】
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経歴
芸歴:
七代目市川團蔵の二男で、兄に市川三猿(明治43年没)がいる。明治19年中村座『日蓮記』の稚児で本名の市川銀蔵を名乗り初舞台。明治31年1月浅草座で毒茶丹助と絹川与右衛門で市川茂々太郎と改名。明治41年3月歌舞伎座『鈴ヶ森』の白井権八で四代目市川九蔵を襲名。その前後から小芝居に多く出演していたが、大正14年親戚関係で吉右衛門一座に客分として入座。昭和18年10月歌舞伎座で七代目團蔵三十三回忌追善の『毒茶丹助』の若徒丹助をつとめて八代目市川團蔵を襲名。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第一次認定を受ける。昭和41年4月歌舞伎座「市川團蔵引退披露」で『助六』の意休、『鬼一法眼三略巻』菊畑の鬼一法眼を演じて引退。その足で四国八十八ヶ所巡礼に旅立ち、同年6月4日、消息を絶った。五代目市川九蔵は甥で名跡上の養子。現市川團蔵は孫に当たる。
受賞:
昭和40年度芸術選奨文部大臣賞。
著書・参考資料など:
昭和17年『七世市川團蔵』(石原求龍堂、昭和41年復刊)。
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舞台写真 (写真をクリックすると拡大画像をご覧いただけます)
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『艶容女舞衣』酒屋
八代目市川團蔵【舅半兵衛】
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『近江源氏先陣館』盛綱陣屋
(上段)八代目市川團蔵【北條時政】、(下段)三代目市川寿海【佐々木三郎兵衛盛綱】
昭和40年12月 南座
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『井伊大老』
(左)六代目中村歌右衛門【お静の方】、(右)八代目市川團蔵【仙英禅師】
昭和35年3月 明治座
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『水天宮利生深川』
(左)十七代目中村勘三郎【船津幸兵衛】、(右)八代目市川團蔵【差配人与兵衛】
昭和34年3月 明治座
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