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中村 亀鶴 (初代)

なかむら きかく
本名渡辺栄治郎
屋号天王寺屋
定紋亀鶴菱
生没年月日 昭和23(1948)年08月30日 ~ 平成06(1994)年03月20日
出身京都府

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プロフィール

四代目中村富十郎と中村芳子の子。初代中村鴈治郎の孫、二代目鴈治郎は伯父、五代目中村富十郎は異母兄に当たる。関西きっての名門の出で、中村栄治郎を名乗り、順風満帆の出発をする。父の没後も、伯父鴈治郎の膝下で、可愛らしい子役として、もてはやされ人気者であった。昭和46年、初代鴈治郎の俳名、中村亀鶴の名を襲ぐ。おっとりとした芸風で、若衆役や娘役を本領とし、大いに前途を期待されていたが、亀鶴の不運は、子役を脱し、青年俳優となる大事な成長期に、本拠の関西歌舞伎が、衰退期に入ったことである。活躍の場が少なくなり、唯一のライバルであった、市川右之助が、東京に籍を移した後も、大阪に留まり、昭和52年11月の、上方俳優総出演の『仮名手本忠臣蔵』では、大星力弥を勤め、自身でも、出身地の京都で、研究会「翅(つばさ)の会」をたちあげた。昭和54年の第1回公演では、『雙生隅田川(ふたごすみだがわ)』を取り上げ、片岡秀太郎や、茂山千之丞の助演を得ているし、昭和56年の第2回公演では、千之丞の鳴神上人で『鳴神』の絶間姫を演じる意欲をみせている。しかし、最大の庇護者であった二代目鴈治郎の没後は、次第に関西で居場所を失い、東京に居を移し、出演の舞台も東京が主になった。相応の役を得、真山青果賞助演賞を受けるなど、一部では認められたのだけれど、やはり所を得ず、何か生彩を失っていった。後には猿之助劇団に加入することが多くなり、スーパー歌舞伎などにも顔を見せていたが、一座の若手が成長してくるとともに、脇に回るようになった。名門の御曹司らしい人の良さは、そのまま気の弱さになったのではなかろうか。舞台の悩みは、家庭にも陰を引き、私行も定まらなかったようだ。

平成6年3月、大阪新歌舞伎座での市川猿之助公演『十二時忠臣蔵(じゅうにときちゅうしんぐら)』の寺坂吉右衛門役で出演中、京都の知人の宅の窓から転落し、不慮の死を遂げた。まだ45歳。一時は期待の星であった俊秀の挫折はいかにも痛ましい。

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経歴

芸歴:

父は四代目中村富十郎、母は初代中村鴈治郎の娘・中村芳子。昭和29年1月中村栄治郎を名乗り大阪歌舞伎座『盲目物語』のお茶々の妹で初舞台。昭和46年9月歌舞伎座『操三番叟』千歳、『五大力』渚で中村亀鶴を襲名。昭和49年4月伝統歌舞伎保存会会員の第三次認定を受ける。異母兄に五代目中村富十郎がいる。長男は現・中村亀鶴。

受賞:

平成2第9回眞山青果賞助演賞。

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舞台写真 (写真をクリックすると拡大画像をご覧いただけます)

  • 『本朝廿四孝』
    (左)三代目實川延若【斉藤入道道三】、(左から二人目)現・中村芝翫【腰元濡衣】、(右から二人目)初代中村亀鶴【越名弾正妻入江】、(右)現・市村吉五郎【長尾景勝】

    昭和46年10月 国立劇場 
  • 『鳴神』
    (左)現・市川段四郎【鳴神上人】、(右)初代中村亀鶴【雲の絶間姫】

    昭和47年8月 国立劇場(青樹会)
  • 『仮名手本忠臣蔵』九段目
    (前列左)七代目嵐徳三郎【由良之助妻お石】、(前列右)初代中村亀鶴【大星力弥】、(後列左)現・片岡秀太郎【娘小浪】、(後列左から二人目)十三代目片岡仁左衛門【加古川本蔵】、(後列右から二人目)現・坂田藤十郎【本蔵妻戸無瀬】、(後列右)二代目中村鴈治郎【大星由良之助】

    昭和52年11月 中座
  • 『雙生隅田川』
    (左)初代中村亀鶴【人買い惣太実は淡路七郎俊兼】、(右)二代目中村太郎【県権正武国】

    昭和54年8月 京都府立文化会館(第一回翅の会)
  • 『雙生隅田川』
    (左)初代中村亀鶴【班女御前】、(右)現・片岡秀太郎【惣太女房唐糸】

    昭和54年8月 京都府立文化会館(第一回翅の会)
  • 『雙生隅田川』
    初代中村亀鶴【人買い惣太実は淡路七郎俊兼】 子役は不明

    昭和54年8月 京都府立文化会館(第一回翅の会)

  • (上段左)現・片岡秀太郎【娘小浪】、(上段中)十三代目片岡仁左衛門【加古川本蔵】、(上段右)二代目中村鴈治郎【大星由良之助】、(下段左)初代中村亀鶴【大星力弥】、(下段右)七代目嵐徳三郎【由良之助妻お石】

    昭和52年11月 中座

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