片岡 愛之助 (5代目) カタオカ アイノスケ

本名
三原幸三郎
屋号
松広屋
定紋
丸に二引、銀杏づる、銀杏がさね
生没年月日
明治37(1904)年10月10日〜昭和48(1973)年10月26日
出身
大阪府

プロフィール

子役から上方の芝居で修業し、若いころは『酒屋』の三勝などで評判を取ったという。晩年は老巧な演技で世話物や新作の脇役、老け役で活躍した。『仮名手本忠臣蔵』六段目のおかやでは、手強さを抑えた演技で若手の勘平を引き立てた。

『近頃河原の達引』「堀川与次郎内」の盲目の母が、晩年の当り役の1つ。市井の片隅で、貧苦の中、孝行な伜(せがれ)と遊所に身を売った娘を持つ、優しさに肩身の狭さを滲ませた小さな母親。与次郎の祝いの猿廻しに盃を干した娘が、殺人を犯した恋人と死出の旅に立つ。それを見送る母の哀しみ。幕切れに見えない目からワッと涙がこぼれ、娘の後ろ姿を追う。哀れな、悲しみに耐えた母を演じた愛之助の目に光る涙。老練な女形の独特の味わいに、上方の匂いが自然に立ち上ってくる。『堀川』の幕開きはこの母が少女に三味線の稽古をつけている場面から始まる。「それでは音にしおれがない」ツツツン……「おっと、よしよし」ここでもう主役の与次郎の出を待つ義太夫狂言の温度や色が醸し出される。ベテランの味に加えて、三味線も巧い人だった。新派の花柳章太郎の『京舞』の初演で、舞の稽古三味線を弾くお三重という役に買われて出たこともある。

【秋山勝彦】

経歴

芸歴

初代中村鴈治郎の門弟だった中村成若(のち市川新昇)の養子となり、明治42年5月大阪本町座『志渡寺』の坊太郎で市川新左衛門を名乗り初舞台。養父の没後いったん実家に戻ったが、大正13年1月四代目片岡我童(のち十二代目仁左衛門)に入門し、片岡我久三郎を名乗る。昭和3年4月名題昇進。昭和18年4月歌舞伎座『源氏店』の下女で五代目片岡愛之助襲名、準幹部昇進。昭和21年、師の急死後は六代目市川寿美蔵(三代目寿海)一座、二代目市川猿之助(初代猿翁)一座、三代目中村時蔵一座などを転々としてフリーになった。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。

舞台写真