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市川 鯉紅 (初代)

いちかわ りこう
本名竹田和夫
屋号成田屋
定紋丸に梅枠つくね牡丹
生没年月日 昭和02(1927)年02月20日 ~ 平成23(2011)年12月27日
出身神奈川県横浜市

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プロフィール

 長い舞台歴を持った女形だった。戦前、横浜の劇場で子役を経験し、戦後の一時期は関西歌舞伎にいた。三代目市川寿海や二代目中村鴈治郎の演し物に一座し、大阪新歌舞伎座、御園座など名古屋以西の舞台に出ていた。その上方で十年ほど経験を積んで、昭和31年、九代目市川海老蔵(のち十一代市川目團十郎)の『与話情浮名横櫛』で浜の娘を勤め、成田屋一門に加わった。活動の場を東京に移してからは十一代目、十二代目團十郎らの芝居に出演した。市川鯉紅襲名の舞台で『其小唄夢廓』の新造、『菊畑』の腰元を演じ、四十代の頃は成田屋の勉強会「荒磯会」で『雪暮夜入谷畦道』(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)の新造千代春、『弁慶上使』の妻花の井など大きな役をした。体つきもあってか、やがて、ぼってりとした存在感が観客の目を引く特徴となった。古典の時代物の腰元、女中、局の役を勤めるほか、河竹黙阿弥の『筆屋幸兵衛』の長屋婆お百など、庶民の女房役を受け持った。幕開きや端場の役で、芝居にあった雰囲気をつくる役を担った。
 後輩に気遣いを見せる優しさもあり、明るくて愛敬のある芸風で愛されたが、在りし日、南座の顔見世公演の後、夜の店で、底抜けに陽気な姿を見かけた。主人に頼まれたか、三味線を抱えて体を踊らせ唄をうたう芸達者ぶりであった。
 平成15年、1月に『助六』の遣手おてつを演じ、11月に現・海老蔵の『宮本武蔵』の巡礼の女に出演したのを最後に舞台を遠ざかった。役者という呼び方が似合う昨今得難い昔風の女形だった。

【朝田富次】

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経歴

芸歴:

昭和6年横浜喜楽座にて『酒屋』のおつうで初舞台。昭和44年11月歌舞伎座〈十代目市川海老蔵襲名披露興行〉を機に、市川新二郎から市川鯉紅と改名し名題昇進。昭和49年4月伝統歌舞伎保存会会員の第三次認定を受ける。

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舞台写真 (写真をクリックすると拡大画像をご覧いただけます)

  • 『鶴賀松千歳泰平』上意討ち
    市川鯉紅【笹原らく】

    平成14年9月 新橋演舞場

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