中村 吉五郎 (初代) ナカムラ キチゴロウ

本名
高久良雄
屋号
播磨屋
生没年月日
昭和5(1930)年09月17日〜平成2(1990)年10月15日
出身
岩国市

プロフィール

初代中村吉右衛門の最後の内弟子で、初代の没後は八代目松本幸四郎(初代白鸚)一門となり、東宝にも行き、新作や女優との芝居も経験し、やがて松竹に復帰した。押し出しのいい太めの体格にどこか愛嬌のある猪首の丸顔が特色で、時代物なら『石切梶原』の大庭 (おおば)方の大名、世話物なら『御所五郎蔵』の土右衛門門弟などの端敵(はがたき)役が役どころだった。東宝歌舞伎の勉強会だった「木の芽会」で『東海道四谷怪談』が上演されたとき、二代目中村又五郎のお岩に宅悦をつとめたこともある。真面目でどっしりと落ち着いた風格があるので御用人の色裃がよく似合い、真山青果の『元禄忠臣蔵』で奥田孫太夫を演じるなど、地味ながらちょっと目立つ存在だった。ドスのきいた潰れた声だったが、新歌舞伎の詰んだせりふに実力を見せた。『颶風(ぐふう)時代』で、長州藩邸にたむろする若い過激派の青年たちの世話役でやかまし屋の世木老人を演じたが、女郎に惚れている弱みを逆手にとられて若者たちからやり込められる人柄がぴったりで可笑しかったという。『極付幡随長兵衛』では水野邸で長兵衛に挑む保昌武者之助に扮し、空威張りで小心な武士をユーモラスに演じていた。江戸の市井のどこかにいそうな、どちらかといえば短期で頑固な職人などもよく似合っていた。

【浅原恒男】

経歴

芸歴

昭和23年12月南座『吉田屋』の太鼓持で中村萬三郎を名乗り初舞台。昭和32年9月歌舞伎座『壬申の乱』(平田都作)の美濃の兵頭、『亡者妻』(宇野信夫作)の寺男で中村吉五郎と改名し、名題昇進。昭和54年4月伝統歌舞伎保存会会員の第5次認定を受ける。

受賞

昭和59年10月『極付幡随長兵衛』の保昌武者之助で歌舞伎座優秀賞。昭和62年第6回眞山青果賞奮闘賞。