片岡 市蔵 (5代目) カタオカ イチゾウ

本名
片岡太郎
俳名・舞踊名
俳名は我升
屋号
松島屋
定紋
銀杏丸
生没年月日
大正5(1916)年02月10日〜平成3(1991)年06月30日
出身
東京・芝宇田川町

プロフィール

ギョロッとした大きな眼とへの字に結んだ大きな口、敵役が本領だったのに、どこか憎めない愛嬌のある役者だった。十一代目市川團十郎傘下にあって、個性豊かな脇役として、芝居仲間から歌舞伎ファンまで“片市”の愛称で親しまれた。

『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』源氏店の蝙蝠安のこすっからい中年のチンピラの嫌みな味。若旦那の与三郎をこういう奴が悪くしたのか、とふと思わせるようなアク、軽すぎるともいわれたが、お富や与三郎に対して、安という役のワキとしての存在感、量感は本来あの位のものなのだろう。そして愛嬌と、ドスを効かしても憎めない独特の人間味があった。江戸の市井の片隅に生き、行き交う人に眉をひそめられそうなリアリティーがあった。『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』の釣鐘権八のげすな表情。『寺子屋』の玄蕃の嫌み。『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』「組討」の平山武者所は、悲劇の武将熊谷直実に対してまさしく敵役で、それも武士らしい潔さのかけらもない好色さ。『熊谷陣屋』の梶原や『道明寺』の偽(にせ)迎い、『曾我対面』の親梶原の脳天気な悪ぶりなど、すべて端敵の見本だった。『助六』の国侍は、戦後ほとんどこの人が独占的に演じたほどの当たり役だった。

素顔は、きわめて好人物で、愛酒家。年齢的にもまだ早い不慮の死は、多くのファンを哀しませた。

【秋山勝彦】

経歴

芸歴

父は四代目片岡市蔵。大正12年1月新富座『湯灌場吉三』の子役で五代目片岡十蔵を名乗り初舞台。昭和9年10月歌舞伎座『豊臣三代記』(吉田絃二郎作)の片桐元包で五代目片岡市蔵を襲名、名題昇進。兵役帰還後、七代目松本幸四郎一座に入り、師の没後十一代目市川團十郎の門に入る。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。長男は現・市蔵、次男は現・片岡亀蔵。

受賞

昭和55年8月『宿無団七時雨傘(やどなしだんしちしぐれのからかさ)』の高市数右衛門で国立劇場特別賞。昭和61年3月『與話情浮名横櫛』の蝙蝠の安五郎で松竹社長賞優秀賞。

舞台写真