中村 富十郎 (5代目) ナカムラ トミジュウロウ

本名
渡邊一
俳名・舞踊名
俳名は慶舟・一鳳、舞踊名は吾妻徳隆
屋号
天王寺屋
定紋
鷹の羽八ツ矢車、杏葉桜
生没年月日
昭和4(1929)年06月04日〜平成23(2011)年01月03日
出身
東京

プロフィール

 四代目中村富十郎と日本舞踊家初代吾妻徳穂の間の長男として昭和4年に生まれ、家庭の事情で中学を卒業するまで東京で過ごした。幼時から母方の祖母の藤間政弥と坂東三津之丞に舞踊を厳しく教えられた。14歳の時、関西歌舞伎に所属していた父のもとに行き、四代目坂東鶴之助を名のり『鏡獅子』の胡蝶で初舞台を踏み注目を集めた。昭和24年に始まった武智鉄二指導の「関西実験劇場」、いわゆる武智歌舞伎で『熊谷陣屋』の熊谷、『勧進帳』の弁慶、『妹背山御殿』の鱶七、『石切梶原』の梶原、『白浪五人男』の弁天小僧など大役を次々に演じて天性の才能を発揮した。当時二代目中村扇雀を名乗っていた四代目坂田藤十郎とともに「扇鶴」と呼ばれ、関西の花形歌舞伎で一時代を築いた。20年代後半になって関西歌舞伎が次第に衰退していったため、30年には母の主宰する「アズマカブキ」の訪米公演に参加、帰国後は新劇団を結成したり、三代目市川寿海が主宰した花梢会に所属したりした。精神的にも経済的にも不安な日々だったと思うが、芸の面では益々光彩を放ち、古典から新作、舞踊に至るまで幅広い役柄を演じ分けた。31年9月の明治座での関西歌舞伎公演では昼夜で『いざりの仇討』の勝五郎、『実盛物語』の小万、『鎌倉三代記』の三浦之助、『二人椀久』の椀久、『頼朝の死』の重保、『切籠曙』の佐市郎を演じた後に『羽根の禿(かむろ)』『浮かれ坊主』を踊っている。32年に菊五郎劇団に加わり、二代目尾上松緑のもとで黙阿弥物をはじめとする江戸狂言を学び、舞踊の腕をさらに磨いた。その一方で東横ホールの花形歌舞伎で四代目中村雀右衛門(当時七代目大谷友右衛門)、四代目藤十郎、九代目澤村宗十郎(当時五代目訥升)、現・市川猿翁(当時三代目猿之助)らと共演して多彩な役を演じた。39年4月に歌舞伎座で『仮名手本忠臣蔵』「九段目」の力弥、『二人椀久』の椀久、『頼朝の死』の重保で六代目市村竹之丞を襲名した。その後は十七代目中村勘三郎や六代目中村歌右衛門の一座に加わって活躍したが、並行して新橋演舞場の花形歌舞伎で『夏祭浪花鑑』の団七、『勧進帳』の富樫、『絵本太功記』の光秀、『義経千本桜』の権太、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』の勝元など大役を演じた。39年8月にはハワイ公演に参加している。

 47年9月歌舞伎座で五代目富十郎を襲名した。披露狂言が家の芸である女形舞踊の大作『娘道成寺』と義太夫歌舞伎の豪快な立役『ひらかな盛衰記』「逆櫓」の樋口だったことでも芸域の広さが分かるだろう。

 53年に自主公演「矢車会」を始め、昼夜で『二人椀久』『鏡獅子』『藤娘』『勧進帳』の弁慶(富樫は十七代目勘三郎、義経は七代目中村芝翫)、『隅田川』の舟長(班女は六代目歌右衛門)の5役を演じた。矢車会は断続的に9回続き、『連獅子』『船弁慶』『棒しばり』『妹背山道行』『娘道成寺』『俊寛』『関の扉』の関兵衛などを演じ、最後の公演は平成21年5月に「傘寿記念」と銘打って『勧進帳』の弁慶を演じ、息子の中村鷹之資と『連獅子』を踊った。

 海外公演にも昭和57年の訪米歌舞伎をはじめ多数参加、平成9年のフランス公演で雀右衛門と踊った『二人椀久』は「世界の宝」と絶賛された。

 富十郎は1つの場所に止まらず、様々な先輩の教えを受けるという一匹狼のような流浪の人生を送ったが、それは一方で、様々なジャンルの歌舞伎の芸を体得することに繋がり生涯の財産になった。不遇に見えた時代でも、一度も芸が荒れたりスランプを感じさせたことが無かった。朗々とした台詞に代表される口跡の良さ、切れのいい動きや舞踊で見せた優れた演技力、鋭い芸の勘と間の良さ、稀有な才能を持った俳優であった。その芸の集大成を見せたのが平成5年の歌舞伎座の顔見世で、富十郎は『勧進帳』の弁慶、『扇屋熊谷』の姉輪、『源氏店』の与三郎、『お土砂』の紅長を演じた。順に七代目松本幸四郎、六代目尾上菊五郎、十五代目市村羽左衛門、初代中村吉右衛門の当たり役であった。昭和前期の名優4人の当たり役を継承して、1人で演じ分けたところに芸域の広さと実力が現れている。

 晩年は歌舞伎界のリーダーとして後輩を指導する立場に立ち、人間国宝、文化功労者など数々の栄誉に輝いた。

 当たり役には荒事では『車引』の梅王丸、『国性爺合戦』の和藤内、歌舞伎十八番では『勧進帳』の弁慶、富樫、『鳴神』、義太夫歌舞伎では『夏祭浪花鑑』の団七、『忠臣蔵』の平右衛門、『逆櫓』の樋口、『千本桜』の忠信、江戸狂言では『源氏店』の与三郎、上方狂言では『封印切』の八右衛門、新歌舞伎では『頼朝の死』の重保、『元禄忠臣蔵』の助右衛門、舞踊では『二人椀久』『船弁慶』『浮かれ坊主』『供奴』『娘道成寺』『三社祭』などが印象に残っている。

 最晩年は二代目吉右衛門一門の上置きになり、平成23年正月の新橋演舞場で『三番叟』の翁を演じることになっていたが1月3日に急逝した。享年81歳。

【水落潔】

経歴

芸歴

四代目中村富十郎の長男。昭和18年8月大阪中座『鏡獅子』の胡蝶の精で四代目坂東鶴之助を名のり初舞台。昭和39年4月歌舞伎座『頼朝の死』の畠山重保ほかで六代目市村竹之丞を襲名。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。昭和47年9月歌舞伎座『逆櫓』の樋口と『娘道成寺』で五代目富十郎を襲名。昭和53年より自主公演「矢車会」を主宰(平成21年まで9回を数える)。長男は現・中村鷹之資。

受賞

昭和35年と40年にテアトロン賞。昭和47年度芸術選奨文部大臣賞。昭和55年芸術祭賞優秀賞。昭和60年と平成12年に眞山青果賞大賞。昭和61年度日本芸術院賞。平成2年紫綬褒章。平成6年松尾芸能賞大賞。同年重要無形文化財保持者(人間国宝)。平成8年日本芸術院会員。平成15年旭日中綬章。平成20年中国芸術研究院名誉教授。同年文化功労者。歿後正四位と旭日重光章を贈られる。ほか多数。

著書・参考資料

平成6年写真集『五代目中村富十郎-五十年の芸』(中村富十郎文、渡辺文雄写真、講談社)、平成27年『珠玉 天王寺屋 五世中村富十郎』(山田涼子著、天狼プロダクション)、平成29年『父、中村富十郎-その愛につつまれて』(渡邊正恵編、冨山房インターナショナル)

舞台写真

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