澤村 鐵之助 (5代目) サワムラ テツノスケ

本名
北見良重
俳名・舞踊名
俳名は有子
屋号
紀伊国屋
定紋
釻菊、波に千鳥
生没年月日
昭和5(1930)年08月22日〜平成24(2012)年03月13日

プロフィール

 江戸の長屋の鼠壁が似合うような、古風な味わいと陰影があり、独特の存在感が漂う女形だった。武家の局から廓の遣り手、庶民の女房まで女形としての守備範囲は広く、古典の時代物、世話物でも活躍したが、晩年の舞台で印象深かった1役を挙げるとすれば長谷川伸作『暗闇の丑松』で演じたお熊であろう。金目当てに娘を売り飛ばそうとする強欲で非情な義母役を、古風ながらリアルに、かつ手強く演じ、ヒロインお米の悲劇を一層際立たせていた。実家は横浜の青果商で、子供時代から横浜の芝居小屋に通って小芝居に親しんでいた。学校を出て役所勤めをしていたが、芝居好きが昂じて役者になる夢を捨てきれず、百貨店に勤めると言って実家を飛び出した。大阪に行って八代目澤村訥子の門をたたき弟子入りしたという異色の経歴を持つ。途中で十四代目守田勘弥の一門に移って紀伊国屋を離れたこともあったが、49歳で澤村藤十郎門下となって澤村藤車(とうしゃ)を名乗り、65歳で五代目鐵之助を襲名して幹部に昇進するまで紆余曲折の役者人生をたどった。芝居に対しては人一倍勉強熱心で、初代中村歌江が夏に行っていた自主公演「葉月会」などに出演し、珍しい『白浪五人女』でお六を演じたこともある。70歳を超え、幼い頃に親しんだ小芝居の演目を復活しようと自主公演を行い、『老後の政岡』『良弁杉由来』『大石妻子別れ』といった珍しい演目を見せてくれたこともあった。同じ演目でも、小芝居の演出は大歌舞伎と違って万事派手なのが特徴。田圃の太夫(四代目澤村源之助)などに連なる芸についても詳しかった。小芝居を見たことのある観客が少なくなり、演じた経験のある役者もほとんどいなくなる前に、何とか少しでも復活しようという意欲を持っていたが、様々な事情でそれを続けることができなかったのは心残りであっただろう。幹部となってからの晩年は、九代目松本幸四郎(現・白鸚)一門などと一座することが多くなり、『文七元結』の長兵衛女房お兼、『髪結新三』の家主女房おかく、『加賀鳶』の道玄女房おせつなど、世話物の女房役に存在感を示していた。晩年の4年間ほどは腰を痛め、舞台で十分活躍できなかったのは惜しまれる。鐵之助の芝居は、大歌舞伎の中にあって必ずしも「本格」とは見なされないこともあったが、他にない独特の味わいは貴重なものであった。一口に紀伊国屋と言ってもさまざまな芸の系譜があるが、四代目源之助系統の芝居などは、この人の存在なしには今後復活、継承は難しくなるだろう。

【石山俊彦】

経歴

芸歴

昭和28年5月八代目澤村訥子に入門し、大阪・中座『平将門』の村の若者で澤村国之助を名のり初舞台。同年10月澤村訥記弥と改名。昭和30年8月十四代目守田勘弥の門下となり坂東守若と改名。昭和42年7月歌舞伎座『真景累ヶ淵』豊志賀の死の女中おたけほかで坂東佳秀(かしゅう)と改名し、名題昇進。昭和49年4月伝統歌舞伎保存会会員の第3次認定を受ける。昭和54年9月現・澤村藤十郎門下となり、澤村藤車と改名。平成8年6月歌舞伎座『鮓屋』のおくらで五代目澤村鐵之助を襲名し、幹部昇進。

受賞

昭和53年8月『毛谷村』のお園ほかで、平成16年12月『花雪恋手鑑』の女髪結お倉で国立劇場優秀賞。平成8年6月歌舞伎座『義経千本桜』すし屋のおくらで歌舞伎座賞。同年放送文化基金賞番組賞。平成10年眞山青果賞特別賞。平成16年文化庁長官表彰。平成20年11月『江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)』の老婆百御前で国立劇場特別賞。

舞台写真

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