京蔵の気まぐれ日記。 バックナンバー
雀右衛門伝説 第1章
2月23日15:55
師四代目中村雀右衛門が突然旅立った。いづれ覚悟はしていたが、いつも唐突に電話をしてくる(真夜中だろうが、明け方だろうがお構い無く)、旦那らしい最期だった。
正直云って、自身の美学、スタイルも大事にする師匠だったから、病床の雀右衞門なんてありえなかった。私も見舞いに行くのが辛くて辛くて、のんべんと生きている自分を恥じた。
91歳。歳に不足はないものの、師は150歳まで生きたい、いや、生きなきゃ算盤が合わねえ!と豪語していたから師の無念いかばかりか。
それといふのも、いつだったか歌舞伎座の楽屋で支度をしていた時(道行の静だったと思う)、前に回っている私に「おい、京蔵。どっかの国の亀は150年くらい生きるんだってよ」と羨ましそうに云ったので、私は、その日の新聞の朝刊に写真入りでその亀の記事が出ていたのを思い出し、ははあ、師は亀のやうに150年生きたいのだと納得した。
そこで私は「そうらしいですね、旦那はお丈夫ですから、それくらい生きられますよ。でも私達弟子も、松っちゃん(衣裳の 松本さん)もその時分はもう誰も居ませんから、この衣裳は全部ご自分ひとりでお付けになってくださいね!」と云ったもんだから一座大爆笑!旦那も苦笑いしていた。
この話しを、師が息を引き取った時の聖路加の病室で、廣太郎(友右衛門さんの長男)さんにしたら、「僕はまだ生きていると思います、70台だから」と真顔で云われたので、私は「そうか!」となんだか遠い先の話しなのか、そんなに遠くない話しなのか、頭がこんがらがって気絶しそうになった!
さらにその話しを、師が愛宕の自宅に戻られて落ち着いた頃、藤間ご宗家が弔問にいらした時にしたところ、勘祖師は「でも、おじちゃまは150年くらいの内容を生きられたのよ」としみじみおっしゃった。すると、永平寺の今村源宗導師も「ほんとうに、それくらい中身の濃い花の生涯でいらっしゃいましたね」と同感された。
私は師の、元気な頃を彷彿とさせる美しい引き締まった顔にじっと見入った。師は今にもムックリ起き上がり「まだ死んでたまるか!算盤が合わねえや!」と低い声で呟き出しそうだった!合掌
◆◆◆
4月9日
11:00 国立大劇場 若柳秀次朗三年祭「吉蝶会」
父親のやうに親しく、公私共にお世話になった秀次朗師の三年祭に、ご長男の市川新十郎さんと共に「振袖山姥」を踊らせて頂いた。
「振袖山姥」は先代若柳吉三次師が伝承されていた貴重な演目で、師雀右衛門も三回ほど演じていて、師も大変好んでいた舞踊。
秀次朗師も上演を望んでいたが果たせず、今回、夫人圓師が私に勧めて下さった。
有難かった!嬉しかった!夢中で踊った!
秀次朗師のご冥福を心からお祈り申し上げます。
3月27日
14:00 紀州道成寺境内野外舞台  奉納舞踊「豊後道成寺」
三年目となる「桜・舞・道成寺」という地元日高町のイベントで、素踊りで「豊後道成寺」を踊らせて頂いた。
震災直後でもあり、今年は震災復興チャリティー公演として開催実現。
招聘下さった日高町の皆様、道成寺院代小野俊成様に心から御礼申し上げます。
3月11日
14:46 東日本大震災発生。  1000年に一度の大地震!だと云う。
言葉が出ない。どう受け止めていいのか・・・・・茫然自失。
地震、津波、牙を剥いた自然に人間は為す術もない、この無力感・・・・。
しかし、原発事故は自然災害ではない!驕るな人間!
普通に暮らしている自分に罪悪感さえ感じる。驕る人間は自分自身でもある。
2月22日
8:51(日本時間)ニュージーランド クライストチャーチでM6.3の地震発生。
クライストチャーチは2004年8月の歌舞伎レクデモ公演で訪れた。
ニュージーランド南島中部に位置するこの都市はガーデンシティーと云われるほどの美しい街で、また訪れたいとずっと思っていた。
都市直下型の地震で震源も浅く、大聖堂をはじめ建物の被害甚大。日本人留学生の死者多数。ご冥福を心から祈る。
1月3日 天王寺屋旦那逝去
私は天王寺屋の旦那に「旦那の芸風は、青年が青春の真っ只中をいつも疾走しているようですね」と臆面もなく申し上げたことがある。すると天王寺屋の旦那は「そうかもね」とニコニコして頷かれた。

昭和39年1月日生劇場での「勧進帳」。天王寺屋の弁慶は滝流しでの段で、花道揚幕までクルクル回りながら、まさに疾走した!9歳の私は、このまま弁慶は引っ込んでしまうのか!?と本気で驚いた!
昭和42年3月歌舞伎座夜の部 「忠臣蔵」11段目討ち入り奥庭泉水の場。 天王寺屋の小林平八郎、澤潟屋の竹森喜多八の一騎打ち!遂に浪士にとどめを刺された天王寺屋の小林は、断末魔よろしく泉水の橋の上で海老反りになる。舞台はそのまま炭小屋に回って行く。その眼をカッと見開いて両手を合掌して海老反る様が今も鮮やかに眼に浮かぶ。
そしてそのあとの切り狂言がなんと天王寺屋と澤潟屋の「連獅子」!両雄の獅子が石橋に見立てた二畳台の上を縦横に跳躍し、紅白の獅子の毛が名刀よろしく空間を切り裂く。後にも先にもこんなすごい連獅子を観たことない!
某年某月某日 NHK芸能百選 「二人椀久」 「団子売」。うちの旦那と天王寺屋の旦那の舞踊二題。年月日は失念した。椀久と松山が松林の中を疾走するスタジオをめいっぱい使ったテレビならではの「二人椀久」。 テレビに噛り付いて夢中で観た!再放送まで観た!月日は経って、役者になってからNHKの方に聞いたらその画像は消失したとのこと!嗚呼!なんたること!無念やるかたない。
昭和53年6月 第1回「矢車会」昼の部「二人椀久」。ふたりの恋の狂騒が頂点に達し松山がセリに消えた瞬間、客席は興奮のるつぼと化した!その一瞬を私は絶対に忘れない!

思い出は尽きない!旧演舞場での「娘道成寺」、「勧進帳」。平成9年12月のフランス公演での「吃又」、「二人椀久」・・・・・・・・・・・・・。しかし天王寺屋の旦那は、疾走したまま花道の彼方に忽然と消えて行ってしまった!
100歳まで生きると云っていたのに・・・・・・・・・。合掌
2011年
9月21日
午後 台風15号首都圏直撃
3月11日の震災同様、また帰宅難民となる。今度は風雨烈しいので徒歩帰宅もままならず、演舞場を17:30に出て、東銀座の地下道を通って銀座に出て、4丁目地下の「ライオン」でビールとワインを飲みながら2時間半ほど時間をつぶすうち、銀座線が「表参道」まで動き出したので、それに乗って「表参道」ですし詰めの「半蔵門線」に乗り換えて渋谷に出たところ、雨は上っていたが、東横線はまだ不通なので、喫茶店と書店をはしごして、1時間後ようやく東横線が動き出したので、やっとの思いでうちに辿り着いたら23:00を回っていた!天変地異には為す術もない人間の無力さを再度実感・・・・・・・
8月26日 
19:00 渋谷セルリアンタワー能楽堂 開場10周年記念
「月下氷身〜世阿弥「融」のバリエーション」
1、袴能「融」曲水の舞  シテ 塩津哲生 ・ ワキ 宝生閑
2、地歌「融」による新作ダンス「水銀の月」 立方 勅使河原三郎 ・演奏 富田清邦
塩津哲生師と宝生閑師の削ぎ落とされて透徹した世界!堪能した。
8月20日
師雀右衛門 満91歳の誕生日!
8月19日 正午 国立大劇場 第9回「亀治郎の会」初日
「博奕十王」は40年ほど前!?歌舞伎座の「春秋会」で観て以来だから懐かしかった。その時は、「傾城反魂香」の又平を中心にした半通しとの2演目で、澤潟屋丈が元信と又平の二役、天王寺屋丈の女房お徳だった!学生の私は3階席から夢中で観ていた!嗚呼!往時茫々・・・
8月5日 19:00 多摩美術大学上野毛キャンパス講堂
2011年度 映像演劇学科「身体表現VI」成果発表会 「修禅寺物語」
萩原朔美学科長からのご依頼で、非常勤講師として今年度前期の歌舞伎の授業を仰せつかる。歌舞伎のかの字も知らない学生達に僅か40時間ほどの歌舞伎の授業をして、なにかを発表せよと云ふ!困惑する私に、萩原学科長は「いや、こんな世界もあるんだと学生が解ればいいんですよ」と私を説得された。そんなの無茶だ!と顔で反応した私に学科長は呑気に笑っている。

困り果てた私はあることを思い出した。郡司正勝先生の最後の作品「歩く」をお手伝いした時のこと。俳優は皆新劇系小劇場系の若手で勿論歌舞伎は観たこともない連中ばかり。私はだんまりの振付を担当したが、その稽古の折郡司先生が俳優達に「歌舞伎の真似をしたってはじまりません、出来っこありません。歌舞伎から気、パワーを貰いなさい!」とおっしゃった。隣りで聞いていた私はそういうやうに指導せよ!と私に云われた気がして緊張した。

そうだ!だからこの多摩美の授業もそれでいいのだ!出来るわけないんだ!とひとり納得して、とにかく歌舞伎とは?の坐学もそこそこに身体の使い方の訓練を始めたが、まあ今時の学生達の体力のなさには呆れるほど!助手の松山君と相談して、早く演目を決めてその稽古に入ったほうがいいということになり、学生達は、やれ見得が切りたいだの、かっこいい仕草がしたいだの呑気なことを云っているが、時間がないし彼らの将来に役に立つものがいいと考え、新歌舞伎の「修禅寺物語」を選んだ。これにはもう一つ思惑があって、むかし、先師武智鉄二先生の鞄持ちでオペラの稽古に立ち会った時、演目が「修禅寺物語」で、先生の演出がその幕切れで、なるほどと納得させる素晴らしさだったので、私が演出する以上、先師のひそみにならって及ばずながらそれを再現したかったのである。また多摩美との折角の出会いだから、音楽や効果音、映像や照明などテクニカル的にもすこし遊ばせてもらった。しかし予算がまったくないから、全員浴衣姿、大道具も平台と箱足のみ、小道具も若干手作りと扇のみの素舞台!?しかしその簡素な舞台もなかなか捨てがたいものがある。負け惜しみではない!

さて、肝腎の学生達はといふと、台詞はなかなか覚えないし、それって日本語!?とびっくりするほど古い言葉を知らない。歩けない、お辞儀が出来ない、物が持てない、着物が捌けない!皆一様に眼を白黒させている。ザマァ見ろだ!こっちが一生掛かって修業することをたった40時間で習得されてたまるものか!しかし、やるとなったらとことんやらねば気の済まない私は、郡司流のきれいに纏まらない初々しいパワフルな舞台を心掛けつつ、武智流のとことん台本を読み抜く理詰めの作業をシツコク学生達に要求した。当然授業時間内だけではおっ付かないので、本番直前に3日ばかり個別の補習をしたが、直前の1対1の稽古はそれなりの効果を上げて、学生達の眼の色が変わった。

当日の舞台成果は、私は当事者なので客観視出来ないが、萩原学科長が「こんなに本格的な舞台だとは思わなかった!びっくりした!」とコメントされたので肩の荷が下りた思いだった。終演後の打ち上げで、「気持ちよかったです!」と嬉しがる学生達に、開いた口が塞がらない私だが、終わってみれば可愛い憎めない学生達で、萩原学科長の云うごとく「こんな世界を垣間見て、こんな世界があるんだと学生達が解ればいいんですよ」とまさにその通りになった!その通りにはなったが、シツコイ私はこの舞台を見届けるだけではやはり消化不良この上ない。学生達よ!これで終わりだと思ふなよっ!

8月1日 読書三昧
今年に入ってから3月11日の震災前後までに購入した書籍が、積ん読?で未読だったので、この休みを幸いと一気に読了した。すなわち、

1、「吉原十二月」 松井今朝子著  幻冬舎刊
2、「尾上多賀之丞の日記」 大槻茂著 青草書房刊
3、「日本語教室」  井上ひさし著  新潮新書
4、「武智鉄二という藝術」  森彰英著  水曜社刊

再読した書
1、「和数考」  郡司正勝著  白水社刊
2、「三島由紀夫の美学講座」  谷川渥編  ちくま文庫
3、「劇的な人生こそ真実」  萩原朔美著  新潮社刊

どれもお薦めの好著!ご一読を。
7月30日
13:00 千駄ヶ谷国立能楽堂 馬場あき子作 「影媛」
日本書紀」の一挿話から想を得た新作能で、馬場氏はこれまでも「晶子みだれ髪」、「額田王」などの新作能を発表されてきたが私は初見である。死に赴く恋人鮪大丈夫を見送る影媛(塩津哲生師)の後ろ姿が哀れを誘い、ラスト、「はたてを見れば春霞」のヨワ吟の甲グリで、橋掛かり一の松から、袖を翻して正先をぐっと見込んだ影媛が美しく、古代の美姫がそこに居た!
7月11日
21:10 日劇TOHOシネマズ「ブラックスワン」
自虐的双面サイコスリラー!? ラスト、絶命寸前の主人公のひと言「完璧だわ」がよく効いている。
7月9日
16:00 江古田日大藝術学部ホール 日舞コースの実習成果発表会
宮西芳緒氏に誘われて拝見に伺う。私は高校が豊島高校だったので、3年間 江古田の駅から日大藝術学部の前を通って通学していた。江古田の駅に降り立ったのはそれ以来だから、あまりの様変わりに呆然・・・・。今は日藝の教授になられた藤崎周平氏(私にとっては周平ちゃんだ)と30年振りに邂逅!三人で遅くまで飲みあかした!
6月30日
12:30 丸の内東映「デンデラ」
姥捨て山伝説の後日談。その目の付けどころが面白い。浅丘ルリ子丈、草笛光子丈など錚々たる女優軍が美を捨てて?の大奮闘!原作は未読だが、ラストが熊との対決に終始するのは物足りない。
6月23日
18:30 麹町セルバンテス文化センター「歌舞伎の粋」(松竹 製作)
ノーベル文学賞受賞者のマリオ・バルガス=リョサ氏を迎えての歌舞伎講座。<br />私がまず女方の化粧、着付など藤娘の扮装を実演したあと、「藤音頭」(テープ演奏)を踊り、そのあと、中村壱太郎丈と松竹の岡崎哲也氏の対談。終演後に、その建物の最上階にある「メゾン・セルバンテス」というスペイン料理店で打ち上げ。本場のスペイン料理で抜群の美味しさ!お薦めのお店。
6月8日
22:00 NHKBSシネマ「グリーンマイル」(1999年 フランク・ダラボン監督・脚本)初見。
刑務所を舞台に人間の尊厳を問う奇跡の物語。主演のトム・ハンクスはじめ俳優陣が素晴らしい。米国流の死刑執行を目の当たりにしてビックリした!
6月7日
22:00 NHKBSシネマ「エディット・ビアフ 愛の讃歌」(2007年 オリビエ・ダアン監督)初見。ピアフの壮絶な生涯。多少駆け足なのが残念だが、主演のマリオン・コティヤールがピアフそっくりで力演!ラストはやはり「水に流して」ではなく「愛の讃歌」で締め括ってほしい。
6月6日
22:00 NHKBSシネマ「レインマン」(1988年 バリー・レビンソン監督)初見。
ダスティン・ホフマンとトム・クルーズの兄弟愛が泣かせる。この作品も介護問題を内包していて切なく重い。
5月29日
22:00 NHKBSシネマ 「恍惚の人」(昭和48年 豊田四郎監督)初見。
今から38年も前の作品だが、原作者の有吉佐和子は「三婆」もそうだが、着眼点が凄い。現時点でも切実に身につまされる作品。
5月4日19:00自宅
演舞場を終えて、19:00近くに帰宅すると、ドアの前に菖蒲の花包みが…!
明日の端午の節句を前に、花太郎二代目当主大槻さんのお心入れとすぐ知れた!(写真)
花弁の鮮やかで凛とした白と紫のコントラスト! 刺し貫くやうな緑葉の直線美!男の節句に相応しい季節の花!
5月1日 11:00 演舞場初日
籠釣瓶の復活場面、二幕目佐野内の雇い婆お百を仰せ付かる。松竹からは、筆幸の長屋の婆さんみたいな感じでとの注文で、届いた補綴本と原作を照合するとやはりその通りの婆なので、衣裳もあたまもそんな感じで発注していたが、稽古場で播磨屋の旦那から「婆ではつまらないから若くやれ」とダメだしがあったので、はてどうしたものかと思案し、おばさんだとあとの浪宅の雇い女とつくので、いっそ子守上がりの小おんなでいくこととし、あたまは銀杏返しで朱のザンザラを掛け、衣裳は格子木綿に半幅帯を吉弥結びにし、襦袢と蹴出しは赤、襷も赤の両襷、縞柄の前掛け、刺し子のつぎはぎの黒足袋、ズーズー弁で頬っぺたの赤い、山出しの超三枚目に拵えてみた。
補綴本の、奥の間での村自慢の台詞は原作通りだが、せっかく竹本も入るのだから、剣豪尽くしでも新たに入れて、「そのお歴々にも勝とも劣らぬ都築先生」ともっていこうと私案し、播磨屋の旦那に相談しやうとしたが、あんまり長くなっても難だし、今回はこれくらいで大人しくしておこうと思い留まった次第。剣豪尽くしはまた次回のお楽しみ!?
こういうお役はふっ切って照れずにやらねばならないことは重々承知之助だが、初日の客席がウンでもなければスンでもないのは私の力不足とは云い条、ホトホト参った(涙)
4月25日 午後 長野県野沢温泉村
此処は、長野新幹線長野駅から車で1時間ほどの山間の鄙びた温泉郷。
当地は歌舞伎や邦楽研究家の高野辰之由縁の地でもあり、彼の業績を記念した「おぼろ月夜の館ー斑山文庫ー」がある。その記念館の招聘で8年振りに歌舞伎講座が実現した!
おまけに私の写真展まで開催してくださったので恐縮の至りである。
小島様はじめ関係者の皆様に心より御礼申し上げたい。山櫻が美しい温泉地だが、終演後に二度、ドーンと地震がありビックリした!東日本震災の直後に長野県北部でも大きな地震があったが、その余震は此処でもまだ継続していると実感。

3月31日16:00 目黒呑川緑道
今年も枝垂れ桜が咲いた、木蓮も咲いた(写真)
被災地でも梅が芽吹いた。どんなに辛くても春は確実にやって来る!
悲しい春は嫌だ!
前向きな春としたい!



3月27日14:00 紀州日高道成寺境内野外舞台
「桜・舞・道成寺」公演
この催しは地元日高川町興しとして開催されるもので、今年で三年目を迎える。
昨年もご依頼があったが日程上叶わず、本年ようやく実現した。
しかし、この震災で開催が危ぶまれたが、震災復興チャリティ公演として二日間の日程を一日に絞って開催の運びとなった。
はじめに女流長唄の皆様による「娘道成寺」の演奏。次に私の清元「豊後道成寺」(素踊り・テープ演奏)、切に道成寺院代の小野俊成師と私の対談。
今年は桜の開花が遅いそうだが、境内の枝垂れ桜は丁度見頃(写真)
風が強くて、舞台に置いた扇が飛んで行きそうでヒヤヒヤしたが、まず無事に勤め了せた。
肌寒い中で、私の拙い舞台を最後までご覧くださった客席の皆様に心から御礼を申し上げたい。
そして、地域振興、日本文化普及の為に尽力される道成寺様や日高川町役場の皆様の誠意と熱意が、日本を元気付ける原動力となって、義援金と共に被災地に届くことを切に願う。
微力ながら私もお役に立てたことが嬉しかった!

3月11日14:46 東日本大震災発生
私は演舞場昼の部「先代萩」の腰元を終え、別件の打ち合わせの為、表の地下の会議室に居た。
打ち合わせが始まって間もなく、隣席の女性が「地震?」と呟いた。ふと部屋の隅の観葉植物に目をやるとかすかに揺れている。
次の瞬間、地鳴りとともに部屋がミシミシと揺れ出した!かなり大きい。慌ててテーブルの下に潜り込んだ。しばらくして揺れが収まると「この建物は安全です」と云う館内放送が流れた。打ち合わせをそこそこに切り上げ、私は楽屋に戻った。丁度「御所五郎蔵」の幕が開いたところだったがすぐ幕を閉め、観客を避難誘導したそうだ。三階の楽屋の窓から見下ろすと道端や劇場脇の公園は人で溢れ返っている。その日は即刻公演中止。しかし、交通網は全てストップしているから徒歩で帰宅するしか術はない。
途中、溜池山王辺りで渋谷行きのバスが来たので、すし詰めで乗り込んだが、これが大渋滞でちっとも動かない。しかたないので降りてまた歩き出した。帰宅難民とは正にその通りで、駒沢通りをひとつ方向に向かって多くの人々が黙々と歩いている。その人混みを自転車が疾走していくので危なくてしかたない!
今日は細めの靴を履いて来たので、むくんだ足が痛い。
それでも3時間程で帰宅出来た。あとで聞くと4時間も5時間も掛けて帰宅した仲間や演舞場に泊まり込んだ先輩や後輩もいたとのこと。
自宅にたどり着いてテレビを点け、その被害の惨状を目の当たりにして息を呑んだ!声も出ない…。
阪神淡路大震災、米国同時多発テロ、東日本大震災、インドネシアやニュージーランドの地震などなど……。「悲しいことの数々が続けば続くものぞいなう」
私は千本桜二段目の典侍の局の慟哭を我知らず呟いていた…。

2010年
12月30日 午前中  田端 大久寺
歳の終わりの父と祖母の墓参り。と云うより自分自身の懺悔と罪滅ぼし。少しも罪が癒えぬまま今年も暮れる。嗚呼!

11月28日 16:00 祇園甲部歌舞練場 「三人の会」
祇園の竹蝶さん、宮川町の冨美蝶さん、先斗町の来葉さんと云う錚々たる姐さん三人の会。ゲストに井上八千代師と成田屋の旦那。司会進行は山川静夫氏。舞台も豪華なら客席もすごいのなんの!南座の稽古が14:30に自分の出番が済んだので、余裕で間に合った!来葉姐さんの浮かれ坊主!がまさに芸に遊ぶ悠々たる境地。眼福のひと刻。

11月15日 20:00 渋谷シネビューラ 「日本橋」
市川昆監督作品の連続上演の一環。市川昆監督独特のセットの人工美がよく鏡花の世界を描き出す。淡島千景、山本富士子、若尾文子、柳永二郎ら俳優陣も素晴らしい!上田茂太郎氏の衣裳考証が流石!

11月6日 17:30 新宿 桃
サンフランシスコの土居由利子氏来日。1年振りの再会。由利子女史の思いのたけを存分に伺う。ここ桃の、鶏のせせりの卵とじが抜群の美味しさ!

9月24日 19:30 祇園川上
五條家元ご夫妻上洛。川上で晩夏の京の味を満喫する。

9月17日 午前中〜 妙心寺→竜安寺→仁和寺
今日は全て初めて訪れるお寺ばかり。まず、妙心寺で法堂の雲竜図を拝観。竜安寺のお庭も素晴らしいが、シーズンでもないのに人出が多く、しんと静かな・・・というわけにはいかない。仁和寺は、低木の御室櫻の名所で花見時に是非来てみたい!明治期に再建されたとは云え、御室御所の渡殿は1度殿上人になったつもりで歩いてみる価値あり。

9月10日 午前中〜 京都小町寺→妙満寺→円通寺
今月の南座は変則公演で、週に二日休みがあるので、これ幸いと京都探訪に出掛ける。
今日はまず、鞍馬街道沿いの小町寺から岩倉の妙満寺。小町のあなめ塚と道成寺2代目の釣鐘をお参りしたあと、そこから歩いて円通寺。ここは初めて訪れる。
しんと静かな夏の庭は三島由紀夫の「豊饒の海」第4部「天人五衰」のラストシーンを連想させる。素晴らしいお庭。

9月17日 17:00  日比谷シャンテ 「瞳の奥の秘密」
人妻の殺人事件を廻るミステリーと、その真相を追う下級検事のラブストーリーが交錯する。よく出来たストーリー展開で飽きさせない。アルゼンチンの俳優陣も皆個性豊かで上手い。

7月20日 16:20  テアトルシネマ 「ぼくのエリ・200歳の少女」
スウェーデンの白銀世界に鮮血が舞う異色のバンパイア映画。吸血鬼の少女に恋したいじめられっこの少年の成長物語と思いきや、とんでもない結末が・・・(唖然) その救いやうのない少年の心根が悲しく、しかし極めて現代的だ。

7月5日 21:30  信州松本 七輪屋
コクーン歌舞伎「佐倉義民伝」の引っ越し公演が松本市民会館であり、その4日目、ホテルと会館の往き帰りの路肩に、七輪屋という居酒屋があって、気になっていたので終演後に立ち寄る。豚や蛸などの炙りものの美味しいこと!以前沖縄公演で嵌った泡盛の白百合も置いてあり、従業員の和平君とも意気投合!松本でも馴染みの店が出来、嬉しい限り!

◆◆◆
10月24日
15:00前 無事成田に帰着。
中野さんの挨拶、私の挨拶、又之助さんの音頭で一本締め。同志の人々15人と再会を約して、さらば、さらばと西と東にそれぞれ帰路についたところでチョンと柝が入り、この度の旅日記もまずはこれ切り!

10月21日
11:00前 劇場入り。本日のテグシガルパ公演をもって目出度く千穐楽。
会場のマヌエル・ボニージャ国立劇場は、旧市街の中心に立地する650席の中劇場。築年数は聞きそびれたが、かなり古いらしく楽屋にエアコンはない。今日は湿度が低くカラッとしているから、一階の私の楽屋は扇風機で凌げるが、劇場の熱気、温気は上方にかなり篭るらしく楽屋が二階にある又之助さん達は暑くて堪らない。客席は一階席を取り囲むやうに一段高くバルコニー席がぐるりとあり、二階席はバルコニー席のみ。その上は少し空間があって天井が低く迫っている。
築年数が古いはず、井口さんいわく「舞台の天井に蝙蝠が住んでますよ」 、えーッ!(仰天)
歌舞伎座ではむかし猫と鳩、ベトナム、ホーチミンの劇場では鼠と守宮(ヤモリ)にお目に掛かったことはあるが、蝙蝠は初見参。
リハーサル中、飛行する黒い影を確かに確認!大道具の藪田君は今朝早々、蝙蝠のオシッコ飛来の浮き目に遭ったそうだ!よく見ると一文字の黒幕に所々糞尿の痕跡がある。
鷺娘の古い演出では、烏四天が絡んだそうだが、鷺娘に蝙蝠とは新趣向!なんて冗談はさておいて、いやはや戦々恐々の楽日である(汗)

舞台はやはり傾斜があり、所作板を敷いたメキシコは別にして、地舞台では今公演会場中、最大傾斜(2005年に行ったイタリア、ラベンナの劇場ほどではない。その時は足がつった!)。危ないので鷺娘の下駄はカットさせて貰う。上手にハの字で地舞台に坐る長唄の伊千四郎お師匠さんはバランスが悪くて気分が悪くなったそうだ。次回からは傾斜舞台用の合引を特注しなければならない(ほんとに)
三味線の左敏郎さんに聞くと、上手ハの字の場合は大丈夫だが、むしろ正面に並んだ場合、前のめりになるから演奏は辛いだろう?とのこと。
大使館側から、終演が遅くなると、帰路につく観客が治安上危険なので、二時間強で納めてほしいとの要請があり、協議の末、鷺娘と石橋はそのまま。レクチャーを所々カットして、休憩も5分縮めて、2時間35分を2時間15分に短縮することで合意。その為、幕開きは、又之助さん、通訳のイレーネさん、長唄連中、お囃子連中全員板付きとし、歌舞伎の歴史の解説もそこそこに、すぐに長唄の解説に移り、ご当地の文句を織り込んだ唄入り、大小入りの「吉原騒ぎ」の演奏としたところ、これが壮観で賑やかでとてもいいので、次回からはこの演出でいくことに決める。

15:00過ぎリハーサル終了。昼食に頂いたラザーニャがとても美味しい。
開演30分前、一座全員と千穐楽の挨拶を交わして、18:00、大使のご挨拶のあと18:05に開演。又之助さんのレクチャーも快調な滑り出し。鷺娘では、楽日なので、大道具の藪田君が猛吹雪の大盤振る舞い!
鷺娘は2004年以来、この海外レクデモ公演では必ず上演しているが、海外版としてのアレンジは一切なし。師匠の演じ方、教えを忠実に守っている。師は「鷺娘は藤間流の古い型を踏襲し、それに六世勘十郎師が私の身体に合わせてアレンジてくれたものだ」と云い、さらに「衣裳は初演の折、鳥居清忠先生にデザインをお願いして、柄(雪持ち柳に鷺)は同じで、色目が次々替わって行く道成寺方式をとった」と常々私に話していた。
さて、女方のレクチャーも順調に、客席の乗りもよく一安心。、石橋も傾斜舞台で前のめりになるところを必死に踏ん張って毛を振り切り!、三人決まって無事打ち出し。初参加の喜之助さんは目をウルウルさせている。カーテンコールで明るくなった客席を見上げると、なんと二階バルコニー席と天井との間に人々が十重二十重にひしめいているではないか!!あそこにも客席があったのか!? 鷺娘とレクチャーの時は暗くて気が付かず、今朝楽屋入りの時も、客席を見上げた限りでは天井桟敷がある構造だとは全く気が付かなかった!(不覚!鷺娘でもレクチャーでも、もっと目線を上げればよかった!)
大使館の斎藤さんに聞いたところ、天井桟敷は立見を含めて定員の倍以上詰め込んだので、キャパ600人のところ総人数1300人もの方々が入場したとのことだった!

はじめての歌舞伎公演で正直不安はあったが、中米諸国でこんなにも歌舞伎に関心と反応があったこと、それは、昨今の日本のアニメブームがここ中米も例外ではないから、それにより日本に関心を持ったり、日本語を学ぶ若い人々が増加したということの影響もあるだろう。しかし、どのやうな取っ掛かりにもせよ、歌舞伎や日本文化に興味を持ち、それを実際目の当たりにして面白がってくれる、体感して感動してくれる、歌舞伎にたずさわる者としてこんな嬉しいことはない!指命達成である!
撤収の時間が迫っているので、化粧したまま楽屋浴衣に着替えて、客席2階ロビーのレセプションに駆け付け、大使にご挨拶して乾杯したあと、楽屋に戻ろうと階下に降りると、劇場入り口にはまだ黒山(人々はほとんど黒髪です)の人だかり!興奮醒めやらぬ若い人々が多いのが頼もしい限り!
懸念した蝙蝠君も開演中はおとなしく、微動だもしなかった!私はこの蝙蝠様はこの劇場の守り神だと確信した!
ホテルに戻って、22:30よりプールサイドの中庭で打ち上げお疲れ様会。皆さん晴々とした表情。伊千四郎お師匠さんが、「こうなったら世界制覇を目指しませう!」と上機嫌。達成感と開放感から会話は尽きず、杯を重ねる。
中天に掛かる白い月が美しい。
この度も、各大使館の皆様、現地スタッフの皆様、助監督としてお骨折り頂いた笹本さん、喜代田さん、通訳の山脇さん、イレーネさん、そのほか多くの現地関係者皆様のお力添えを頂きました。感謝の言葉が尽きません。この場を借りて心より御礼申し上げます。


10月20日
9:00 30チャンネルのテレビ生出演の為、又之助さん、喜之助さん三人共、紋付羽織袴の正装でホテル出発。
10:30より30分間、まず大使館の吉澤さんが公演内容、劇場、日時等を告知したあと、我々三人のインタビュー。何処でも必ず聞かれるのが、なぜ全て男性のみによって演じられるのか?という質問。私は、女方は世界のあらゆる演劇、舞踊の原点に必ず存在したもので、それが21世紀の今日まで存続継承されて来たのは歌舞伎のみであり、歌舞伎は400年の歴史の中でそういった形態を維持して成熟して来た演劇であり、女方が女優に取って替わられたら私達は失業するでしょ?(笑)と締め括ることにしている。解説書には必ず、女方は女優の代替えとして発生したとあるが、もはや女方として自立した芸が確立している今日、海外のレクチャーでそこまで言及する必要はない。「女優の代替え品ではない」、それは私自身への女方としての自覚と自戒の言葉でもある。
11:00過ぎにホテルに戻って、昼食、休憩後、14:30より10チャンネルのテレビ生出演。紋付羽織袴姿に興味を示すのは何処も同じ。石橋の映像を観ながら、肉体トレーニングについて詳しく聞かれる。
18:30 塩崎大使主催夕食会。大使公邸は山の頂上にあり、気温も低くヒンヤリと寒いくらい。松林越しの夜景が美しい。 大使が、ホンジュラスでのはじめての歌舞伎公演について、「ホンジュラスの人々に理解出来るかなぁ〜?」とおっしゃったので、私の中に眠っていた負けず嫌いの闘争心が久々にメラメラと燃え上がった!大使のお言葉は、私達の舞台に臨む気持ちを鼓舞するものと前向きに捉えたい。お心尽くしの和食を堪能して、21:00過ぎ公邸を辞した。

10月19日
15:50 最終公演地ホンジュラス共和国の首都テグシガルパに到着。
当国も元はスペイン領。中南米最貧国のひとつだという。面積は日本の三分の一。日本円に換算して5000円あればひと月なんとかやっていけるそうだが、収入が5000円以下の人々が人口の70パーセントもいて、とんでもない大金持ちは一割、九割が貧困に喘ぐという。ここでも貧富の差は顕著。おもに農業国だが日本との直接の交易はない。が、日本からの経済援助、技術協力、海外青年協力隊の活躍などは顕著で、そういった意味での関係は深い。勿論治安も悪いから、ここでも大使館のご配慮で移動は全て護衛付き。殺人、強盗、誘拐などが増加の一途だという。空港からホテルも、まず警官ふたり乗りのバイク二台が先導し、マイクロバスを挟んでパトカーが後方を守るという陣営!それも先頭のバイクがサイレンを鳴らしっぱなしで渋滞の車を蹴散らかすから、マイクロバスの飛ばすこと!飛ばすこと!
前号その6、16日の項で、護衛付きの移動は二度とない経験と記したが、ここホンジュラスで、サンサルバドルを上回るインパクトで二度目の経験をするとは思いもよらなかった!実際大層な渋滞で、聞けば鉄道はないから、移動は車かバスだけ。車も教習所はなく、手数料を払えば免許を取得出来る!?というアバウトさ!信号もないから、人々も到るところで車をかい潜って横断!
緊急車両よろしくマイクロバスはホテルに到着(そんなに急がなくてもいいのに〜)し、 ロビーで再度、大使館の方から治安の悪さとくれぐれもひとり歩きは厳禁ですとの告知を受けて、でも飲料水だけは確保せねばならないから、又之助さんと喜之助さんと三人身を固くして、ホテルの前の車道を摺り抜け、向かいのショッピングモールの一番奥のスーパーまで辿り着いて、三泊四日分の飲料水を買い込む。いやはや、買い物も命懸けである!
溜まった洗濯物を部屋で一気に片付けた後、日記の更新原稿を日本に送信しやうと思ったら(ノートパソコンは日本に置いて来たので、携帯から送っています)、さぁ、これが圏外で通信不能(涙)さすが中米!?とリアルタイムでの更新を断念した。そんな次第で日記の更新が大幅に遅れております。申し訳ございません。
さて、原稿だけ作って保存したあと、外に出るのも憚られるから、夕食はホテル内でひとりで済ますことにする。そこで頂いた海老(ブラックタイガー)のグリル、ガーリックソース添えと木の実入りの黒パンがなかなかの美味。
プールのある中庭を取り囲むやうに建てられたこのホテルはリゾートホテルの様相を呈し、利用者は地元の富裕層か、投資家の外国人ビジネスマンがほとんどだと云う。
貧困国の新市街に建てられたこの資本主義の権化のやうなホテルは、砂漠の中のオアシスの様で、複雑な感慨に囚われた。

10月18日
18:30 サンタアナ公演開幕。
ここはサンサルバドルから車で一時間ほどの地方都市。午前中にマイクロバスで向かう途中、長閑な田園風景が続くが、放牧されている牛や馬は皆やせ細っている。街の中心の広場の前に立つサンタアナ国立劇場は、築100年ほどで普段は劇場そのものを見学の為に開放している。雰囲気も金比羅の金丸座や秋田の康楽館を想像して頂きたい。
サンタアナは長閑な田舎街で、治安が悪いなんて思えぬいい感じ。護衛の警官の皆さんも少しリラックスした様子で、すっかり顔見知りになったので、打ち解けて、広場で記念撮影!?
楽屋の窓から見下ろすと、目の前が雑貨屋らしきお店でその左角が小さな交差点。そのコーナーを後ろ手に手錠を掛けられた少年が警官ふたりに連行されて行き過ぎ、行商のおばちゃんふたりが、果物が山盛りになった大きな籠を頭に載せて談笑しながら行き過ぎる。人生こもごも…。

ところで、保存博物館みたいな劇場だから設備は不備で、エヤコンがないから暑くて堪らない!開演間近か湿度がどんどん増して来る。蒸し暑い!
案の定、開演後間もなく激しいスコール!今公演はじめての雨。
こちらも長蛇の列で、入りきれない観客が400人ほどいたという。申し訳ない。鷺娘の幕が開く。舞台は多少傾斜があるが、まず問題ない。が、大変な湿気で息苦しい!体力がどんどん消耗する。やっと酸素不足地獄から開放されたと思ったら今度は湿気焦熱地獄!トホホ(涙)しかし、早拵えの為舞台袖に引っ込むと、大使館の辻本さんはじめ、運転手さんまで皆さん総動員で、扇いで風を送ってくださる。その親切に涙が出るほど嬉しくて、気を取り直して必死に踊って無事に幕。
だが、レクチャーでも頭がボーッとして呂律が廻らない。そこを必死に踏ん張って、ラストの石橋は限界ギリギリで毛を振って、私も又之助さんもぐったり。
この劇場でもいい間で三人に掛け声が掛かる、どなただろう?
とにかく、はじめて観る異国の歌舞伎と云う演劇文化に、サンサルバドルでもサンタアナでも観客の皆さんがストレートにいい反応を示してくださるので、大変やり甲斐があり、手応え十分だった。

終演後、雨も上がった。荷物をまとめて、片道1時間の距離をサンサルバドルのホテルまで戻ると、はたして、加來大使ご夫妻がご持参の日本酒を携えて、我々を待ち受けてくださっているではないか!早速、ホテルの日本食レストランで打ち上げパーティー。
大使のお喜びやうはひとしおで、お心尽くしの日本酒で乾杯したあと、「皆さんは歌舞伎の伝導師ですよ!」と過分にして最高のお褒めのお言葉を頂いて感無量。我々の苦労が報われた思いである。それもこれも大使館の廣田、辻本、曾田さんはじめ、職員の方々の獅子奮迅の働きがあったればこそで、ことに辻本さんの現地スタッフへの采配はお見事!舞台監督の井口さんの助監督として完璧だった!大使館の皆さんの親身なる対応に心から感謝申し上げる。
ところで、私の勘が当たって掛け声の正体はやはり大使御自身だった!歌舞伎通の奥様のご指導宜しき故と納得(笑)
すでに午前零時近く、大使ご夫妻も我々も名残りは尽きないが、またいつか何処の国での再会を固く誓ってお別れした。

10月16日
18:30 サンサルバドル公演開幕。
会場のサンサルバドル国立劇場大ホールは、旧市街の中心に立地し築100年ほどの建物。長らく閉鎖されていたらしいが、7年前に改装し再開場した。劇場の隣りは教会で、正面向かいは広場。多くの店が立ち並び、人々が集い、喧騒を極めるが活気に溢れている。
昼間のリハーサル前の休憩時間に、又之助さんと喜之助さんがふたりの護衛警察官と私服警官と大使館の曾田さんに守られて、街を散策に出掛けたが、じろじろと好奇の目で見られるし(護衛付きだから尚更)、街中も一種異様な雰囲気だそうで、ソソクサと帰って来た。
護衛と云えば、今朝のホテルから劇場までの運行も、私達が乗ったマイクロバスをパトカーがサイレンを鳴らしながら先導し、渋滞の車を大地が裂けるやうに掻き分け掻き分け(喜之助さんいわく「モーゼの十戒みたいですね!」)、猛スピードで行くさまは、まるで映画のワンシーンのやうで、そんなに急がなくてもいいし、悪目立ちするから止めてほしい〜ッと心で叫んでドッと疲れた!後にも先にもこんな経験はない(ある訳無い) 貴重!?な体験。
話しは戻って、当公演は大使館の主催だから無料(メキシコ公演は交流基金の主催だから有料)。そのせいもあってか、開演2時間前から400人もの長蛇の列!それでも人々は劇場の周りを十重二十重に取り囲んで、結局、招待客が230人ほどいるから、入場出来た一般客は400人で、入場出来なかった人々はなんと4〜500人にも及んだそうだ!
人々は、明日も公演してほしい!とか終演後11:00からもう一回公演してほしい!と詰め寄ったそうだが、大使館の皆さんが、次週の日曜日にテレビで公演全演目を収録放送すること、明後日サンタアナでも公演することを告知して、ようやく納得して引き取ってもらったそうである。嬉しい悲鳴!

舞台は板目で、リノリュームでないのはおおいに助かるが、硬いから足腰、膝が堪らない!大使のご挨拶のあと、定刻に開幕。又之助さんがこれはなんの音でせうと客席に尋ねると、「雪の音」と名解答!
鷺娘で、引き抜きの度に拍手が来るのはやはり嬉しい。ラテンの乗りというか、熱狂的ないい感じ。地舞台だから足は辛いが、酸素はたっぷりあるので!(笑)呼吸は楽。つくづく酸素と所作板の有り難さを痛感した次第。女方のレクチャーも反応がいいので助かる。
石橋も毛振りを余裕で仕了うせた後、スタンディングのカーテンコールを頂いて、21:05に打ち出し。開演中、三人それぞれに掛け声がグッドタイミングで掛かるので、どなたが掛けているか探ったが正体不明?終演後、大使ご夫妻がわざわざ楽屋にお越しになり労いのお言葉を頂いた。「サンタアナにも参りますよ!」と熱意溢れるお言葉にただただ恐縮するばかり。
ふと、楽屋の窓から外を見下ろすと、昼間の喧騒とは打って変わって人通りが途絶え、街灯も乏しく暗い。楽屋口を出やうとすると、小さな子供達がたむろしていて、私達が手にしている夜食のサンドイッチの包みやコカコーラの缶を物欲しげに見詰めている。よっぽど与えやうかと思ったが大使館の方に癖になるからやめてくださいと止められた。貧富の差の激しい中米諸国のこれが現実だ。
この子供らはこの公演を見ることが出来たのだろうか? 昨夜の大使のお言葉が胸に堪える。

10月15日
8:20 地元テレビに生出演の為、寝ぼけまなこに朝食抜きで、紋付羽織袴の正装で、大使館の廣田女史に付き添われて(勿論、パトカーに守られて!)6チャンネルテレビ局に向かう。
朝の情報生番組「今日も元気で!」という番組で、9:00過ぎより5〜6分出演。昨年のロスでの私の鷺娘の映像を流しながら、廣田さんの通訳を交えてキャスターの方の質問に答え、公演の宣伝に努める。「歌舞伎は日本のほかの演劇とどう違うのか?」とか「エルサルバドルの人々になにを伝えたいか?」とかの質問の数々。好意的なテレビ局の方々の対応に感謝。
10:00前にホテルに戻って、又之助さん、喜之助さんと合流して新聞一紙の取材。ホテルの庭(上天気で心地よい風が吹き爽快)で三人揃って紋付羽織袴でポーズを決めて写真撮影。
11:00より別の新聞二紙の取材と撮影。しかしながら各紙の記者さんは皆さん歌舞伎をよく調べられていて、興味本位でなく、誠実に歌舞伎を理解しやうとされているのが伝わり嬉しい。12:00取材終了。紋付を脱いで、ホテル内の日本食レストランでやっと今日はじめての食事にありつける。
15:00 ホテル内のスパで90分間のアロマオイルマッサージ。首、肩、腰が耳鳴りがするくらい凝り凝りで、ハードにやってくれと頼んだら、華奢な女性スタッフなのに、まぁ、ボキボキ系の整骨院みたいに揉むわ!揉むわ!でも、揉み返しもなくスッキリ。

19:30 加來日本国大使主催夕食会。
実は、2004年に同じ歌舞伎レクデモ公演でニュージーランドのウエリントンを訪れた時、加來大使は公使として赴任されており、大変お世話になった経緯がある。その時の斎藤大使とは、昨年の台湾公演で再会しており(台湾では日本交流協会代表)、つくづく、偶然とは思えぬ人と人との縁の深さを噛み締めた次第。
加來大使は6年振りの再会を大変喜ばれ、歌舞伎通の奥様(聖心女子大学歌舞伎研究会のご出身)共々、大歓待でお迎えくださった!
各日本国大使館は、国際交流基金に様々な日本文化の派遣要望を提出し、それを基金がコーディネイトするのだが、歌舞伎のやうな大掛かりなものは遠隔の小国に回って来ることはめったにない。それが今回、メキシコとの交流400周年記念事業として歌舞伎舞踊公演が開催されることになり、隣国のエルサルバドルとホンジュラスでも巡回が可能になったわけで、加來大使はこの初の歌舞伎舞踊レクデモ公演実現を心底喜ばれて、「親日国のエルサルバドルで、歌舞伎のやうな日本の伝統文化を紹介することは大変意義のあることで、人々も心待ちにしていましたよ!」とおっしゃた上で、エルサルバドルの国情を述べられた。大使はこの国のよいところ悪いところを把握し、全てを理解しておられ、なんとかこの国をよくしていかなければならないと真摯に語られた。「だから、日本の技術協力は勿論、こういう文化交流が必要なんです!エルサルバドルは今まさに石の橋を渡ろうとしている、それを先導するのが獅子ならぬ日本国なのです!皆さんの明日の公演を期待しています!」と我 々を激励してくださった。私は大使のお言葉を聞いてつくづく感に堪えた。赴任された国を愛し、祖国を愛し、平和を願う大使のお心。特命全権大使の鑑のやうな方だと尊敬の念をあらためて深くした!
ふと我に返って、6年前のニュージーランドでも私は鷺娘を踊った(その折はテープ演奏) 今回も大使ご夫妻の前で同じ鷺娘を踊る。私は自分の進歩のなさに暗然とし、背筋がぞっとした。明日の舞台は、褌を締め直さねばと自戒して、大使公邸を辞した。

10月14日
16:48 メキシコシティ発 TA231便
栄七郎さん達帰国組と別れて、本隊は次の公演国エルサルバドルへ向かう。メキシコはサマータイムなので一時間の時差があり、二時間ほどのフライトののち、18:00前に首都サンサルバトルに到着。
ここでエルサルバドル(救世主)共和国の概観を記すと、中米七ケ国のひとつで面積は九州の約半分。ここも元スペインの植民地で、公用語はスペイン語であるが通貨は米ドル。火山国で各地に火山が点在する。中でも休火山のサンサルバドル山は再噴火間近と云われている。高温多湿だと聞いていたが、空港に降り立った感じでは、標高が800メートル(軽井沢辺り)くらいあるせいか、また乾期に入ったせいか、そんなに暑くなくカラッとしていて過ごし易そう。
しかし、銃器を用いた犯罪が多発。青少年凶悪犯罪集団マラス絡みの事件が顕著で、殺人発生率は日本の70倍だと云う!えらいところへ来てしまったものである(怖気)
空港では、大使館のご配慮で、パトカー、護衛車などが待ち構え、ホテルへの移動も、まず荷物を積んだトラックが先頭に、次に護衛車、その次に我々の乗ったマイクロバス(私服警官同乗)が連なり、最後尾にパトカーという物々しさ!これから6日間の滞在中、ホテル内以外での我々の行動はすべて彼等警官の監視下に置かれる。夜間の外出はもっての外の厳禁!昼間のひとり歩きももちろん禁止である。
ホテルに着いて夕食は近所の中華飯店に行くことになったが、歩いて5分ほどのところなのに、全員またマイクロバスに乗り、パトカーが警備するという念の入れやう。帰りにみんなでスーパーに立ち寄って飲料水を購入することになったが、レジで支払いをしていると、目の前で機関銃を構えた警官が見守っているのでビックリ仰天!
とにかく、メキシコの疲れがどっと出たのと、当地の警備の厳重さに目を白黒させて、シャワーを浴びて23:00前早めに就寝。

10月13日
20:30 メキシコシティ公演第二日目開幕。
招待客の多かった昨日より客席は確実に埋まっているのは嬉しい限り。
鷺娘は昨日より苦しくないが、白無垢から赤への引き抜きが0、2秒遅れたのは、油断した私が、やるべき作業を忘れたからで、最大の痛恨事!
女方のレクチャーは昨夜以上に盛り上がって一安心。だが、やはり酸素不足は侮れない。石橋は苦しくてたまらない!又之助さんも毛振りが絡んだのが最大の痛恨事!お互い痛恨事をひとつずつ抱えて、ともかくスタンディングのカーテンコールを受けて、二日目も無事閉幕。
酸素不足と闘い、交流400年記念公演という大任の重圧感から、精も根も尽き果てた!嗚呼!
このメキシコ公演で三味線の栄七郎さんと唄の寿典さんと大道具の坂元さんが帰国されるので、そのお疲れ様会を兼ねて、ホテルのレストランで24:00から中日パーティー。山荘太夫の舟別れではないが、北と南、西と東に別れ別れの空の旅で、地ビールとワインでたっぷり別れを惜しんで、さぁ、明日からは今公演最大の難所、エルサルバドルと ホンジュラスに向けて、いざ出陣!!!

10月12日
20:00 メキシコシティ公演第一日目開幕。今日あすと今公演眼目の二日間である。会場のメキシコ市立劇場は1920年頃に建てられた建物は古いが、雰囲気抜群のオペラハウス。四階席までほぼ満席。定刻に開幕。
又之助さんのレクチャーで、大太鼓の雪音をなんの音でせうと客席に尋ねると、心の音(モンテレイでは心臓の鼓動)だとの解答が返って来た!のは初めての経験。確かに、雪音はしんしんと心に凍みいる雪の象徴の音だと納得。
さて鷺娘は、銀柳の釣り枝を下げ、銀葦も増やし、長唄連中もひな壇の山台を組み、大バックも清長風の川の流れ(近頃は湖風なのが多いが鷺は川に棲息するものだ)で舞台設営も万全。しかし、肝心の私は、高地故の酸素不足で、苦しいのなんの!昨日の舞台稽古から楽屋に酸素ボンベを用意して貰ったが全然追っ付かない(涙)昨年の米国デンバーでも酸素不足は経験したが、標高が600メートル以上も高いメキシコシティはデンバーの比ではない。苦しい〜ッ!
中野さんが、「高地に慣れるには半年以上掛かります」とか、喜代田さんが「メキシコでは運動とお酒は控えろって云いますから、こんな激しい踊りは踊っちゃいけませんよ」なんて平気な顔して宣う。そんな〜ッ!(唖然)長唄さん、お囃子の皆さんも酸素不足がいかに大変かは同様である。
どうにか踊り了えて、楽屋で酸素吸入して15分の休憩のあと、息付く暇もなくレクチャーの幕が開き、客席に「只今、鷺娘を踊りました中村京蔵です」と挨拶をしたら、さぁ、万来の拍手が鳴り止まない!と、こんなことを書くなんて手前みそもいいところで厚顔の至りだが、私はこんな地鳴りのやうな拍手を貰ったことはこれまでついぞない。本当に嬉しい!有り難い!

歌舞伎の役者をやっていてつくづくよかったと思う!やっと師匠孝行、親孝行が出来た!そう思ったら、その夜、師が夢に出た!現在、病床に居る師が杖こそ突いてはいるがすっかり元気になって、歌舞伎座と覚しき楽屋口にすっくと立って居て、扮装をした私がそこを通り掛かって師に気付き、ビックリして駆け寄って「旦那、すっかり元気になられましたねッ!」と声を掛けると、師匠はいつものポーカーフェースで「あともうちょっとなんだよ」とすぐにも舞台復帰出来そうな素振りを見せ、迎えの車に乗り込むのを、私は扮装したまま、外へ見送りに行ったところで目が覚めた。これが正夢になること願うや切!

話しは戻って、メキシコシティの人々はシャイだと聞いていたが、「さぁ、ご一緒に!」と促すと、女方の泣いたり笑ったりを積極的に演じ参加して楽しんでくださるので、一気に舞台と客席がひとつになって盛り上がったのでホッとする。しかし、自分を指差して年齢を表す仕草(梅の下風に図解入りであります)は、モンテレイでもメキシコシティでもあまり反応がなくて、ピンと来ていない様子なので、高齢者に対する失礼な表現と受け取られたか?と案じて、笹本さんや喜代田さんに聞いてみたところ、メキシコには、なんと自分を指差す表現がない!?からだそうである。
さて、切幕の「石橋」。私も又之助さんも酸素不足と傾斜舞台に必死に闘いながら毛を振って、なんとか無事に第一日目を打ち出した。終演後、2階ロビーでのレセプションで、にこやかな小野大使から労いのお言葉を頂き、まずは大任を果たせた安堵感からホッとして、ワイングラスをグッと干したのでした。

10月11日
正午 小野駐墨大使公邸にて歓迎昼食会。小野大使ご夫妻の厚きおもてなしに深謝。
同 18:30 初日通り舞台稽古。劇場はいわゆるオペラ劇場様式だから傾斜舞台。それを大道具スタッフの皆さんが苦労して板木をかませて所作板をフラットに敷き詰める。若干傾斜が残るがまず問題ない。劇場の照明スタッフも苦労して歌舞伎の照明に挑んでくださる。通訳のイレーネ飯田さんは、元宝塚の男役だったと云う!(ビックリ) 又之助さんと多少息が合わないが、十分打ち合わせをすれば容易に解決。
全て通して2時間35分で終了。21:30に劇場を出て、又之助さん、喜之助さん、衣裳の武村さん、床山の宇田川さんと五人で「みかど」で夕食。メキシコシティ公演の成功を祈って乾杯!

10月10日
9:00 今日は休日でテオティワカン遺跡を見学。紀元前2世紀頃にこれだけ高度な文明が発達していたことに驚異!数学、天文学もさることながら、上下水道などの都市整備も完璧。
絶壁のやうな石段を必死に登り、太陽のピラミッドの頂上に到達。もとはここに神殿が立っていたという。地球の中心に立ったやうな崇高な思いがする。ここはパワースポットとして地元の善男善女が大勢詰め掛け、小さく光るパワーストーンに触れたり、瞑想したり、お祈りする人々が絶えない。月のピラミッドにも登り、パワーをたっぷり充電させて頂いて、舞台稽古も含めて明日から三日間のメキシコシティ公演に備える!
ガイドを勤めてくださった地元スタッフの清田さんの名解説に聴き入る。感謝!感謝!

10月9日
16:00過ぎ 第二公演地メキシコシティ着
醤油味が恋しくなって、日本食レストラン「みかど」で夕食。酢の物と烏賊下足の塩焼きと海老天麩羅と〆に笊蕎麦。大関の冷酒にコロナビール。私が経験した海外の日本食レストランの中では内容もきちんとしていて上位。ただ、蕎麦は乾麺は仕方なくても茹で過ぎで×。久々に日本酒を飲んで目が回り、21:00には就寝。

10月8日
20:00 モンテレイでの初日開幕。招待券も出ているそうだが、1400席はほぼ満席で、販売チケットはSOLD OUTで、観られなかった方がかなりいたらしい。有り難いやら申し訳ないやら。
又之助さんのレクチャーが始まると、山脇さんの丁寧な通訳もあって、客席の反応はいい。雪音の解説で、紙の雪をチラチラ降らすとホォー!という歓声が上がる。
鷺娘の幕が開く。モンテレイでは初めての歌舞伎公演だから、この初めて目の当たりにする異国の演劇の女方という存在を、客席は固唾を飲んで見守っている。集中度は高い。
衣裳を引き抜いても、なんの反応もないのは習慣の違いだから、全然気にならない…、と云うのは嘘で(汗)やはり手が欲しいところだから、次のレクチャーで、「畏まらずに、劇中でもいいな、面白いなと感じたら遠慮なく拍手してください」というレクチャーを追加しやうと思って、「鷺娘は如何でしたか?」と客席に振ったら、立ち上がらんばかりの歓声と拍手を戴いたので(手前味噌ですみません)、安心して追加レクチャーは止めにした。
やはり女方についてのレクチャーは何処の国でも興味津々で大受け。又之助さんの隈取りの化粧も熱心に見入って居る。
さて石橋は、今回グレードアップし、大道具も清涼山のバックも石橋も牡丹の切り出しもきちんと飾って、前シテこそないが、寂昭法師(喜之助丈)を出して清涼山に分け入る様を見せ、幕切れも石橋を渡る寂昭法師とそれを先導する雌雄の獅子という藤間勘十郎師苦心の振付が功を奏し、切狂言を一気に盛り上げる。スタンディングのカーテンコールを受け、22:55打ち出し。全体で2時間45分掛かり少し長いが、最後まで観客もほとんど席を立たなかったし、反応も十二分にあったので、今回はこれで行くこととする。
身体が慣れたせいか、きのうの舞台稽古ほど汗もかかないし、疲れもしなかった。モンテレイでの初日が無事に開き、手応えもあり、まずはひと安心!
今夜も地ビール一杯で目が回った。
(写真:開演前の舞台袖にて)


10月7日
正午過ぎ、劇場入り。すでに午前中から井口さん以下スタッフの面々が舞台設営を開始している。この度のメキシコ公演3ステージは、日本よりコンテナで所作板、鷺娘と石橋の大バック、銀柳の釣り枝、石橋と牡丹の切り出し、山台、定式幕等々を運び、長唄連中も三丁三枚、お囃子連中も四人と、私がこれまで携わった海外公演では、最大規模となった。
12:30、楽屋で通訳担当の山脇女史と打ち合わせ。初のスペイン語によるレクチャーである。毎回、通訳の方との入念な確認とすり合わせが大事で、レクチャーのいい流れと成否も、通訳の方の腕に掛かる。山脇さんは大変誠実なお人柄で、私のアドリブにも難無く対応してくださり、おおいに助かる。喜之助さんが初参加してひとり増員したので、彼にも出てもらって、又之助さん担当の音楽と付打ちのレクチャーをふくらます。19:00前、後発隊の杵屋栄七郎氏と杵屋寿典氏が無事到着!彼等はたったふたりで日本時間10月7日の8:40に関空から成田へ向かい、成田での6時間のトランジットを経て、コンチネンタル航空で成田からヒューストンへ11時間55分掛けて向かい、あの身ぐるみ剥ぐやうな米国の厳戒チェックをくぐり抜け、そこで2時間30分ほどのトランジットのすえ、17:49にモンテレイ着、そして空港から直接劇場入りと云う難行程、強行軍を制覇して来たのである!脱帽!拍手!
19:45 当地メディアを招いての公開舞台稽古。15:00から入念な照明リハーサルをしたおかげで、照明に関してはほぼ完璧。大掛かりになった分だけ転換が手間取るが、段取りさえつけば大丈夫。舞監の井口さん、大道具スタッフ、そして劇場の現地スタッフとの橋渡しに尽力してくださる当地の笹本さん皆さんに感謝!感謝!23:00近く全て終了。長時間にもかかわらず、メディアの方々は最後まで熱心に見入ってくださり手応え十分!ホテルに戻って、24時間営業のホテル内のレストラン(とても助かる!)で松竹の中野さん達と、無事到着の栄七郎さんを祝って?乾杯!着いてすぐ舞台稽古だから、機中では一滴もアルコールを飲まなかったと云う栄七郎さんは開放感と安堵から赤ワインをしこたま飲んで絶好調!同じく三味線の勝進良さんは京都出身のお公家さん的風貌で、真顔で嘘をつくおとぼけ振りが堪らない(笑)しかし、いくら不死身の私も長旅と舞台稽古の疲れがどっと出て、くたびれ果てて、地ビールとワインを飲んでそのまま爆睡。


10月6日

8:00 起床して12階のホテルの窓から見下ろすと、昨夜は暗くてよくわからなかったが、ホテルの前は大きな川で、水はかなり濁り、河中は土砂が堆積し河川敷はかなり荒れ果て、工事現場の様相を呈しているので?あとで伺うと、三ヶ月前の巨大ハリケーンで氾濫し、河川敷の施設が壊滅的な被害を被った由。復旧ははかどっていない様子。

10:00 劇場下見。会場のモンテレイ市立劇場は1417席の大劇場だが、舞台と客席との距離が近く緊密ないい空間。間口、たっぱとも程よく、歌舞伎には丁度いい。

12:30 舞台監督の井口さんが市場を見学に行くと云うので同行する。生鮮食料品の市場に行きたかったが見当たらず、衣料品や日用雑貨が立ち並ぶエリアを見て歩く。縫いぐるみの店にNHKBSのドウモ君が居てビックリ!
話しは変わるが、ここモンテレイはメキシコ第三の都市で工業が盛ん。観光地ではないから、外国人はほとんどおらず、まして日本人は大変珍しいらしく、道行く人々は奇異な眼差しで我々を振り返る。明後日の初日の客席の反応がとても楽しみ。

16:00 新聞社の取材を受け、17:00より小野正昭駐墨大使、地元の有識者ご同席のもと、私、又之助丈、喜之助丈三人揃って記事会見。自分のひいおじいさんはサムライだったと云う日系人のご婦人に話し掛けられ本日2度目のビックリ!

20:30 在メキシコ国際交流基金主催の夕食会。夕刻、繁華街で発砲事件があって、外出は危険だとの判断から、急遽ホテル内のレストランに変更。23:00過ぎ、夕食会解散後、再三の忠告にも拘わらず、我が勇敢なるサムライ魂の大道具スタッフと鳴物連中は2ブロック先のセブンイレブンまで平気で買い出しに出掛けたのでありました!
(写真は劇場正面前にて)

10月5日
15:55 成田発のコンチネンタル航空006便にて出国。ひとまず乗り換え地の米国ヒューストンに向かう。
機中で読んだ新聞に、「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」と云う、昨今の坂本龍馬人気に疑問を投げかける、精神科医で評論家の野田正彰氏のインタビュー記事があった。「人は年齢を重ねるとそれなりに成熟していかないといけない。なのに青春像にしがみつくのは(中略)人格的に未熟だからです。」と云う言説には考えさせられてしまった。閑話休題。
コンチネンタルの機体は最新型だが、機材を軽くしている為か、かなりの騒音である。

13:50 ヒューストン着。トランジットするだけなのに、靴は脱がされるわ、上着は脱がされるは、ベルトは外されるわと、米国は相変わらずの厳戒チェック!4時間あまりの乗り換え待ちで睡魔が襲う。同5日19:30過ぎ、無事に第一公演地メキシコのモンテレイに到着。日本を夕刻に出国して、到着が夜半だから時差ぼけは全然ない。基金の大野氏らの出迎えを受け、ホテルにチェックイン。地ビールを飲んで午前零時前に就寝。

◆◆◆
6月3日  18:00 渋谷東急文化村シアターコクーン「佐倉義民傳」初日
私はコクーン歌舞伎は初参加である。コクーンは楽屋は狭いが、長年様々な演劇人がここで芝居をしてきた息遣いと風格というものが感じられ、たしかにここにはここの演劇の神様が居るのを実感する。アンサンブルの男優の中に、私の住居の2軒隣りに住み、地元のショットバーでの飲み仲間である神田敦士が居て、稽古場で出っくわしてビックリ!敦士は、小劇場系の俳優の卵だから、お互い舞台の接点がなかったのである。
5月23日  22:00  名古屋鈴蘭南座
御園座花形歌舞伎公演の打ち上げを兼ねた大タンカラスーパーショー!澤潟屋顔負けの亀治郎さんの企画力と演出力に脱帽!負けず嫌いの私も、舞踊劇「シェルブールの雨傘」!?と翫雀丈との「深川マンボ」で必死に応戦!しかし、なんといっても竹三郎丈の肌も露わな「女遊侠傳」が天然記念物的!文化財的!貴重品で絶品!皆様にお見せしたかったなあ〜(溜息)
4月30日  正午・16:00  歌舞伎座閉場式
これで本当に現・歌舞伎座ともお別れだが、感傷的になってばかりもいられない。3年後の新生歌舞伎座開場に向けて、我々歌舞伎座改築プロジェクト委員は、責任をもって議論を重ね、観客・俳優・スタッフ全ての為のよりよい歌舞伎座を目差さねばならない!そしてなにより、歌舞伎の神様が居心地のいい歌舞伎座を!
4月15日  郡司正勝先生忌日
あっという間に十三回忌を迎えた。武智先生と同じく、限りなくご恩を蒙った先師である。生まれてこのかた飛行機にも乗ったことのない私が、初めて海外に出向いたのが、1994年10月、先生の「サロメ」を引っ提げての米国サンフランシスコ公演だった。初日のカーテンコールで、先生が客席に向って「歌舞伎にも門閥がなくてもこんなに頑張っている人がいますから、応援してください」と云って下さった。私は未だに先生の期待に応えられず、堂々巡りの年月を送っていることが歯痒く、時間は無駄にどんどん過ぎて往き、恥じ入るばかりである。嗚呼!
4月9日  午前中 目黒呑川緑道
うちから歩いて数分のここの櫻並木を歩くのが、毎春の楽しみ。今年もよく咲いた。私は紅色の枝垂れ櫻がことのほか好きだ。
3月29日  18:00  代々幡斎場 中村千弥さんお通夜
またひとり、歌舞伎の貴重な方が亡くなられた。千弥さんとご一緒したのは、一昨年のお正月、浅草歌舞伎が最後だった。神谷バーでの打ち上げの折、私が勤めていた「源氏店」のおよしを大層褒めてくださった。「あなた、益々頑張りなさいね」とおっしゃって下さった声がいまだに耳に残る。合掌。
3月21日 17:00 青山銕仙会「川口秀子追善 舞の会」
昨年亡くなられた川口秀子師の追善と三代目川口流家元を継承する孫娘の千枝さんのお披露目の会。また今年は、武智鐡二先生の二十三回忌でもある。私がいま、曲りなりにも歌舞伎の俳優を続けていられるのも、武智・川口両師のご教導の御蔭である。私は舞台に立つ時、いつも両師の眼差しを感じて恐れ、両師の叱咤する声に耳を澄ます。
1月28日  19:00  有楽町有楽座 「Dr パルナサスの鏡」
あの「未来世紀ブラジル」のテリー・ギリアムの監督作品。人工美に彩られた画像は監督の独壇場だが、主演のヒース・レジャーは撮影半ばで急逝した(享年28歳)。しかし、現実場面は撮り終えていたので、幻想場面は、ヒースの親友ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの3人が代演して撮影続行。ラストは物足りないが、早世したヒースの永遠の若さと孤影がこの作品に奥行きと深みを与えたことは間違いない。
1月28日  13:00 埼玉県立近代美術館「小村雪岱展」
装幀、挿絵、舞台美術と幅広く活躍した雪岱だが、私の興味は、やはり芝居の道具帳にある。「かさね」、「小袖物狂い」、「鳥羽絵」、「鞍馬獅子」、そして「藤娘」等々。六代目あっての雪岱、雪岱あっての六代目という感を深くした。
1月25日  21:30  銀座竹富島
昨年10月の台湾公演でお世話になった陳さんが来日。その時の出演者・スタッフ有志が集まり、沖縄料理店で歓迎会。
1月19日  16:30  歌舞伎座夜の部「春の寿」
病気療養中の師雀右衛門が1日だけ出演。師の健康を願うや切。
2009年
12月24日 18:30 日比谷日生劇場 東宝ミュージカル「シェルブールの雨傘」
大好きな映画の舞台化であり、魁春丈のお弟子の春花さんのお薦めもあったので、大いに期待して拝見に伺う。ギイ役の井上芳雄丈が期待に違わぬ歌唱力で抜群!かくして今年のクリスマスイブは、ミシェル・ルグランの名曲「シェルブールの雨傘」に 終始したのでした!耳から離れません(笑)
12月12日 19:00  銀座MAKOTOシアター
高瀬一樹氏 訳・演出によるファスビンダー作「ブレーメンの自由」
実話を基にした猟奇的なドイツの現代戯曲。それを高瀬氏が、彼独特の詩的で静謐で繊細な仕立てで纏める。土壇場での主役交代というアクシデントがあったので気の毒だったが、単調に終始したのがなんとしても惜しい。
11月14日 14:00 国立小劇場 「舞の会」
楳茂都梅咲師に久々にお目に掛かる。自分の出番と重なって舞台は拝見出来なかったが、出の前に、わざわざ私の楽屋を尋ねて来られ恐縮。そのまあ綺麗でお元気なこと! 大いに安心した。
11月8日 19:00 京都祇園 川上
翌日の国立の開演が16:30なのを幸いに、新幹線に飛び乗って、新生川上に掛け付ける!店内を改装、模様替えして心機一転!加藤さん以下、若い衆が結束して店を切り盛りしていることが手に取るやうにわかり清々しい。いい器はまあ追々揃えませう(笑)
11月7日 19:00  両国シアターχ
丸山里奈氏 訳・演出によるイヨネスコ作「授業」と「椅子」の二本立て。常磐津をト書き浄瑠璃や人物の内面の声として使うという試みにビックリする。もう少し整理したら、不条理なるものを表出する一助となるのではないか?
10月27日 19:00 六本木俳優座劇場
花組芝居のアガサ・クリスティ作「ナイル河殺人事件」
和洋東西折衷の衣裳・鬘・小道具等の傾奇趣味が抜群!
9月17日 9:45 港区赤坂 米国大使館
来月の米国公演のビザ取得の申告と面接の為、久々に米国大使館に赴いたら、辻々に警察官が居て、行き先を訊ねられたりして警戒の厳重なこと!しかし時期的なせいか、申告する人は少なくてスムーズに進行。面接時に「何をしに行くのか?」と訊ねられたので、「歌舞伎のパフォーマンスだ」と答えたら、満面の笑みで「オー、カブキか!楽しんで来てね!」と励まされたので、嬉しいやら拍子抜けしてしまった(笑)
8月28日  11:00  紀州日高町 道成寺
「舞踊の夕べ」の御礼のご挨拶。院代ご夫妻に再会を約してお別れし、新大阪に出て新幹線に飛び乗り帰京。
8月27日 19:00 京都祇園 川上
昨日の「舞踊の夕べ」を無事終え、午前中に挨拶回りを済ませて、午後の新幹線に飛び乗り、松井新七親方最後の包丁を見届けに川上へ掛け付ける!最後と云っても8月一杯は板場に立たれ、9月からはチーフの加藤さんに代替わりして引退する由。新七氏はしかし晴れ晴れとしたご様子。別れ際に、蜻蛉の絵柄のお皿を1枚頂き、それを胸に抱いて川上を辞した。
7月28日  19:00  神田神保町 ランチョン
澤村大蔵さんお薦めのビヤホールで、念願叶って初見参(笑)レジに陣取るオーナー未亡人と思しき老夫人の陣頭指揮宜しく、ホール係りの人々の手際のよさと感じのよさ!料理のボリュームと美味しさ!勿論、ビールの美味さ!ワイン類も充実していて、心温まる人情ビヤホール!
6月22日 21:00 BS2 「プロデュ―サーズ」
ブロードウェーで大評判を取ったストレートプレイのミュージカル映画化。映画化は2度目だが、ミュージカルに仕立てたことが味噌で、風刺が効いていて、演者の上手さと相俟って抜群の面白さ!映画館でも2度観たが、何度観ても飽きない。傑作!
5月29日 18:30 信濃町某店 「植本努さんを偲ぶ会」
私が勘定奉行のCMでお世話になった名プロデューサー。お人柄を偲んで多士済々が集結。もっともっと活躍して頂きたかったのに・・・・・、合掌。
5月11日 20:00 月島 浅尾
いつもお世話になっている方にご案内頂いた鮨の名店。ひかりものと貝類を堪能!
4月27日 夜半 中野斎場 市川升寿さんお通夜
成田屋三代に献身的に仕えた我々女形の先輩。巡業などで一座すると、よくお酒をご一緒していろいろなお話しを聞かせて下さった。お酒の武勇伝も数々。升寿さんの心残りを思うと無念この上ない! 合掌
4月22日 20:00 四谷 菊万
立ち退きの為、和食の名店がまたひとつ消える。おかみの包丁はまだまだ健在だし、残念のひと言に尽きる。お造りも鮮度ばかりでなく、きちんと仕事がしてあって、お椀、焼き物、焚き物、全て江戸前の仕事振りだった!
4月18日 午後 早稲田大学演劇博物館 「六世中村歌右衛門展」
昭和51年5月歌舞伎座上演の「金幣猿島都」の記録映像を上映しているというので掛け付ける。2時間半、ひとりで観入る。大詰めは2回観た。懐かしくて、興奮して涙が出た!巡回の職員が不審な面持ちで何度も来た。
4月6日 午後 呑川緑道  恒例の櫻並木散策。
毎年、ここの紅色の枝垂れ櫻を楽しみに歩く。夕風に染井吉野の花吹雪が舞う。
3月31日 16:30 代々木特設会場 「コルテオ」
シルクドソレイユの現代サーカス。男が寝入って、自分の葬列を夢で見るという内容。耽美的で哲学的で絵画的なサーカス。痺れた!
2月21日 14:00 横浜能楽堂 「武家の狂言 町衆の狂言」
山本東次郎師と茂山千之丞師の「宗論」絶品!至芸とひと括りで云うのも恐れ多い、味わいの豊かさ!深さ!
2月13日 19:00 新国立小劇場 「森山開次作品集」
コンテンポラリーダンスの逸材!能の世界観をベースにした暗い情念が魅せる。
--- 歌舞伎レクチャーデモンストレーション公演(台湾・米国)の間の日記はこちらに移動しました!---
2008年
11月24日、25日 夕刻
本巡業最終地は、熊本県山鹿市の八千代座。ここも私ははじめて訪れた。灯篭祭りや温泉地として有名なここ山鹿の街道脇の小高い丘に立つ八千代座は色鮮やかな広告画の格天井にシンプルなシャンデリアが下がる和洋折衷の建築で(写真)、地元の人々の熱意により、幾多の災害や危機を乗り越えて昭和63年に復興された。楽屋も整備されていて、受け入れ態勢万全。地元の方々の厚き声援に支えれれて2日間の公演も無事終了。今回の巡業は、三津五郎丈のご提案により、各地の芝居小屋やそれに準ずるホールを数多訪れることが出来たことが大変な収穫であった。しかし、私の勤めた菊茶屋女房は、これからも何度もさせて頂かないと、こういうお役は身に付かない。反省しきり。
11月22日 夕刻
今日は飯塚市の嘉穂劇場。私ははじめてで前から楽しみにしていた。はたして800席近い現役の芝居小屋は、水害の被害も乗り越えて健在!正面には朱塗りの太鼓櫓や欄干が掛かり、場内東西の桟敷席の襖障子や擬宝珠勾欄、すずらん灯など風情満点(写真)。大正時代、炭鉱の町の川筋に誕生した劇場は今も多くの人々に愛され続けている。
楽屋口やそこかしこに「十二月二五日」と墨黒々と書かれた札が逆さまに貼られているので、?と思って訊ねると、12月25日は石川五右衛門が釜茹での処刑にあった日で、それを書いて逆さまに貼ると泥棒除けになるそうである?! ロビーの売店で五右衛門の可愛いイラスト入りでそのお札が売られていたので、早速購入して、帰ってからうちのドアの前に貼り付けた。ところが、四谷の菊万のおかみにも一枚差し上げたが、店には貼らずに自宅に持って帰って貼ったところ、翌日の昼間、店に空き巣が入るというオチまで付いてしまった!霊験あらたか!唖然。
11月21日 14:00
今日は博多への移動日。強行軍も昨日で一段落、やれやれ。博多には正午過ぎには着いて、すぐにスポーツマッサージに掛かり、首肩腰のメンテナンスをして元気モリモリ! 夕刻から、まず遊膳→The Faces→bar Rail→陽一の店→ごっそう道楽→けんじ屋と経巡って旧交を温め、すっかりいい心持ちになって就寝。
11月20日 20:30
今日の公演地は近松門左衛門所縁の地、山口県長門のルネッサながと。この劇場は花道完備の812席という手頃で、場内も芝居小屋を模した近代的なホールで、歌舞伎にはもってこいである。こういう劇場が東京にも欲しい!ここの文化財団は独自の近松劇を創るなどソフト面でも頑張っており、困難なことも多いと思うが、何とか継続していってほしい。今夜は劇場から10分ほどの湯元温泉旅館に宿泊。
11月19日 午後
今日も強行軍!出雲市民会館で14:00と18:00の2回公演の後、バスで4時間掛けて広島に移動。生憎の雪模様となり、山越えは危険!?となり、遠回りすることとなった(嗚呼!) 無事に広島に到着し、疲れ切って早目に就寝。
11月18日 午後
今日の行程は大変である!早朝、まずバスで岡山から上郡へ向い、1時間の待ち時間の後、因美線スーパーはくとで鳥取へ行き、文化会館で14:00から1回公演をこなして、終演後またバスで2時間掛けて出雲へ向う。まさに山陽山陰日本列島を縦断横断の強行軍!夜半、出雲に着いて大蔵さんと差しつ差されつ芝居談義に花が咲く。
11月16日 午後
岡山経由で四国徳島へ移動。途中、バスのアクシデントがあったが、全員無事に到着。駅前もどんどん様変わりしているが、会館への近道の古い商店街は健在で懐かしい。夜半、大蔵さん、橘太郎さん、三津右衛門さん、三津之助さんと5人で、南沖州の海女料理「ししくい」へ。私は初めてだが、ほかの皆さんは徳島へ来ると必ず訪れるという。果たして噂通り、目の前の鉄板の上で、あわびや、団扇海老や、さざえや、蛤や、桧扇貝やらが踊るわ!踊るわ!その他にもあわびのお刺身やら、車海老のおどりやら、伊勢海老の味噌汁などなど、これだけ魚介類のてんこ盛りでこの価格!大満足のいち夜でした!
11月14日 夕刻
岸和田での公演を終え、今度は名古屋に移動。こう行ったり来たりがややこしいと、変に疲れる。到着後、うちの後輩連中を連れて、名古屋に来ると必ず行く中華料理の「大三元テン」に直行。
11月13日 夕刻
今日は終日お休み。2年ぶりの大阪でなんだか嬉しい。夕刻、常磐津の一寿郎お師匠さんをお誘いして、道頓堀の「赤井」へ。お父ちゃんの元気な顔を見て一安心。息子の亮ちゃんは生憎今日はお休みだった。明石直送の蛸はやはり美味い。東京にはほとんど明石の蛸は来ないから口惜しい!
11月12日 夕刻
岐阜羽島での公演を終え大阪に移動。途中、京都で下車して、祇園川上の加藤さんと落ち合い、いつもお世話になっている宇野和子さんのお誕生会に飛び入り参加。川上の若い衆も全員揃い、イタリアンの「藤井」さんで祝杯を上げ、その後、生バンドのクラブハウスに移動して、飲めや踊れの大騒ぎ!。私も名残を惜しみつつ、ひとり大阪へ(涙)。
11月10日 14:00 目黒パーシモンホール
ここは都立大学跡地に出来た目黒区立のホールで、私のうちから15分弱で歩いて行ける。私も実は今回初めてだったが、立地条件もよく、前庭を広くとったガラス張りの素敵な空間。しかし、多目的ホールだから、歌舞伎にはやや不向き。どちらかというとオペラハウスのようだ。
夕刻、松涛の藤間宗家に伺い、勘十郎師に面会。来年の舞踊の夕べの相談とお願い。夜半、花ノ本 海さんと、渋谷で豚尽くしの会食。
11月9日 20:30
所沢公演の帰途、友人のT氏と落ち合い、T氏がお薦めの北京ダックの「全聚徳」へお連れ下さる。北京ダックのフルコースで、これが大変な美味しさ!北京ダックの皮も肉も、様々に調理してもてなしてくれる。落ち着いた雰囲気といい、お薦めの名店。
11月6日 午後
東京へいち時帰宅。先月の舞踊の夕べとコンキチの疲れをまだ引き摺っているので、早速、掛かり付けのスポーツマッサージに駆け込む。
11月4日
今日は移動日で、秋田新幹線と羽越本線を乗り継いで盛岡から酒田へ向かう。車窓から眺める赤や黄色に色づいた山々が美しい。鳥海山も雪化粧を始めたようだ。しかし、地元新聞の専門家の証言によると、やはり温暖化の影響で、紅葉もまだらに染まっているそうだ。やんぬるかな(溜息)。
山形県酒田市は、往時は「西の堺、東の酒田」と云われたほどの湊町で、海運の要衝だった。文化遺跡も多く、また酒田出身の土門拳の記念館などもあり、見学したかったが、橘太郎さんと遅い昼食に出掛けたのが運の尽きで、芝居が休みなのをいいことに昼間っからふたりとも飲み出してしまい、土門拳どころではなくなってしまった!。
しかし、入った店が精肉店が経営する食堂で、お酒の持ち込みはOKだし、販売しているお肉やソーセージも如何様にも調理いたしますとのなんとも親切で、気のいい親父さん、お母さん、息子さんご夫婦なので、橘太郎さんも私も情にもろい(?)から、すっかりその気になってしまって、あれを焼けこれを焼け、あれが食べたいこれが食べたいと、果てはお土産まで作らせて、いい心持ちになってホテルに戻ったのでした!
11月3日 岩手県民会館
終演後、常磐津和英太夫師が同行されているので、久しぶりに一献交わすこととなり、和英さんが「南部どぶろく家」という面白い店を探してくれたので、そこへ赴いた。はたして民芸調の店内に入ると、強面のご主人が真ん中にどっかと鎮座ましまし、黒光りする木のカウンターには朱塗りの御膳がずらりと並び、その前の床机にお客が座るという仕組み。どぶろくははじめ躊躇したが、女将さん(?)が床に埋め込んだ瓶から杓で汲み上げて、片口に移してから塗りのお椀に注いだどぶろくを口にした時、その美味しいのなんの!何杯でも飲めてしまう!
ご主人曰く「その土地で採れたものを、その土地の料理法で食べていただく、これを土産土法と云う」のだそうだ。いろいろ食べ抜いたが、南部ひっつみ汁(野菜と海の幸の汁もの)が美味しくて、からだが温まった。おしながきに、どんこの一本揚げというのがあって、ふたりで「どんこって椎茸なのになぜ一本???」って質問したら、それは魚の名前でした!
11月2日 小坂町康楽館
ここは明治期に建てられた和洋折衷の芝居小屋。さすがに山間部だから、朝から大変な冷え込みよう。仕込みの作業中、花道にストーブが置いてあって、皆それぞれに暖を取っている姿が微笑ましい。客席と舞台が至近距離なので、「魚屋宗五郎」のような世話物にはピッタリで、観客の反応もとてもいい感じ。
ロビーの売店のお蕎麦が美味しくて幕内にも人気。あしたばの天麩羅が美味しかったので注文したが、夏場だけとのこと、残念!
元劇場付きの和田さんに久々に再会。小雨降る中、別れを惜しみつつバスで盛岡へ移動。
11月1日 秋田県大仙市大曲市民会館
福島を終えて、バスで秋田へ移動。ここの会館の大ホールは本花道が設置されていて本格的。
終演後、またバスで大館市に移動。2時間30分の長距離行程だから、車中で大蔵さんや橘太郎さん達と大宴会!?。
10月30日 神奈川県秦野市文化会館初日
秋季巡業は久しぶり。紅葉の景色が美しい季節だし、食べ物も美味しい時季だから、それぞれ訪れる土地は、どこも楽しみだ。
ここ秦野市は、富士山を遠景に望む自然豊かで風光明媚な土地柄。水のいいところだというが、街の真ん中を流れる川が水無川というのは面白い。たしかに水流はちょろちょろだが一年中こんな具合だという。川辺りの遊歩道がよく整備されていて気持ちがいい。桜並木が壮観で、桜時はさぞ美しいことでしょう!。
終演後小田急で新宿へ出て、中央線に乗り換えて東京へ行き、東北新幹線で福島に向かう。初日からこの強行軍!。夕飯は車中で済まそうと東京駅であれこれ物色。好きな日本橋弁当が見当たらず、東京弁当というのを購入したが、これもなかなかのオススメ。
5月30日 19:30 溜池山王「春秋」 五條珠實氏と会食
秋の私の会の打ち合わせを兼ねる。
3年前の欧州公演で「あなめ」を上演出来たことを、五條詠昇師は大変喜んで下さった。その折は東京でのお稽古しかご覧いただけなく、現地の本番に立ち合えなかったことを残念がられ、私達も申し訳ない思いだった。
今回やっと東京での再演が叶い、大袈裟だが凱旋公演の意味も含めて詠昇師にご覧頂き、また新たなご指導を頂くつもりだったが、年初の急逝は悔やんでも余りある。
詠昇師に捧げるつもりで、初心に返って頑張ろうと珠實氏と誓い合う。ここ「春秋」は眺めもよく、創作系?の和食もなかなか美味しい。
5月27日 19:00 新宿テアトルタイムズスクエア イギリス映画「つぐない」
イアン・マキュ―アンのベストセラー小説を、「プライドと偏見」のジョー・ライト監督が映画化。
物書きを目指す多感な少女が、姉の恋人への偏愛と嫉妬から思わずついた嘘がふたりの中を引き裂き、取り返しのつかない悲劇を生む。
姉に比べて決して美人ではない妹の屈折した心情と行動は、類型的な姉や恋人よりも面白い役どころで興味深い。後悔した妹が、せめて自分の書いた小説の中でふたりを幸せにしたいと綴るストーリが、実際のストーリーに絡められ、虚と実が様々に入り乱れて展開する構成が巧みで123分間を一気に見せる。また、戦時下のダンケルクの海浜の5分に渉る長回しも見事!
5月6日 16:25 日比谷シャンテ 米国映画「幻影師アイゼンハイム」
19世紀末のウイーン。貧しい家具職人の家の息子と貴族の家の少女の身分違いの恋。当然のごとく、ふたりの仲は引き裂かれ、失意の少年はウイーンを去る。十数年後、偉大なマジシャンになってウイーンに戻った少年は、今は皇太子のフィアンセになっている少女と再会する・・・・。
芝居巧者のエドワード・ノートンが主演だし、設定も面白そうなので期待したが、いかんせん、オチがなーんだっていう感じで期待はずれ。また、マジックの数々もCGを使った映像的処理だから、嘘めいて白々しい。ノートンも生気がない。当時にこんな凄いマジシャンがいて人気を博したら、為政者にとっては、人心を攪乱する危険人物として、魔女狩りにも等しい処分を下したであろう。その視点をもっと突っ込んで描いて貰いたかった。
同行した物書きの倫太郎氏と、終映後、赤坂と渋谷をはしごして憂さ晴らし。赤坂のフレンチビストロ「bilboquet」は五條珠實氏に紹介されたお店だが、自家製ロースハムもベーコンと温野菜の盛り合わせもキノコとチキンのパスタもたまねぎとベーコンのカリカリピザもムール貝の白ワイン煮も、何もかも塩加減抜群で実に美味しく、ワインも豊富で超お薦め!
5月2日 11:00 新橋演舞場初日
亀治郎さんが師雀右衛門指導のもとに挑む女形第2弾、「毛谷村」のお園を初役で勤められる。この後見も血の気が引くほどしんどくて、手順を飲み込むまでが一苦労。お園の亀治郎さんも後見の段之さんも「こんなに大変だったとは!」とお互い目を丸くしていた。
まず、衣裳を着る段階で、虚無僧のあいだは裾を端折っているので、その具合が難しい。形よく端折ろうとすると花道の出ですぐ落ちてしまうし、端折り過ぎると蹴出しが出過ぎて見苦しい。
木戸を入ったところで、下駄を脱がし編み笠と尺八を受け取り下箱を外す。またこの時、お園が懐剣を抜きやすいよう紐を御殿結びにする(この結び方は企業機密です!)。尺八は土間の上に置くことを忘れずに。お園が子供を抱える時、子供の下半身を支えるが、子役の頭に血が上らないように気をつける(補助の台を使わないのが本当)。お園が六助と知って、見惚れながら手甲の紐を口で解くところも、その結び加減が難しく、手甲も外しやすいように仕掛けがある。お園が後ずさりして、臼にポンと手を掛けるところも、本当は後見は手を出したくないところだが、お園の呼吸を見計らって、右手のいいところに臼を移動させる。袈裟は外したら裏返して白地を上にして縁側に置く(前掛けの見立て)。飾り縄と印籠を外し、足袋を脱がし、帯の紐と裾を上げている紐を抜く。これらの仕事はすべて、お園の台詞のあいだ「これでほんまに落ち着いた」までに済ます。
次に裾を下ろして、帯上げを解いて、お園と呼吸を合わせて帯を前から右周りで後ろへ廻す。この帯の仕掛けは、演者によって様々な工夫があるが、京屋型はいたってシンプル。お園が土間で姐さん被りをするところも、竃の中に工夫がある。空炊きになって、六助がばたばたしている僅かなあいだに、前掛けを取り、帯を刀の下げ緒紐を使って固定させ、懐剣を渡す。
ここまでが大変で、後は口説きの中で、袈裟を出したり引っ込めたり、懐剣を消したり、守り袋を渡したり、肌脱ぎさせたり、梅の枝を渡したりと大したことはない。とにかく、お園の後見は、前半の虚無僧から、女姿に変わるまでが大変で、私が恐怖後見のひとつと云った意味をご理解いただけたろうか?。
亀治郎さんは、雪姫に引き続き師雀右衛門をよく写され、上々吉!
3月2日 正午 国立大劇場初日
芝雀丈二度目の「葛の葉」。14年前の地方公演での初役の折、私も母柵を勤めさせて頂いた。お互い二度目とあって緊褌一番!。
それはともあれ、この葛の葉という芝居も仕掛けやら引き抜きやら手の掛かるもので、後見の仕事もてんやわんやである。私も師の葛の葉で3度ほど後見を勤めたが、初めての折は無我夢中だった。
まず、女房→姫→女房→姫の早替わりが大変で、衣裳・かつらを脱がせるグループ、着せるグループ、一緒に走る後見等々の連携プレーが大事。早替わりの秘密は明かせないが、どうしても知りたい方は、今公演の上演資料集の解説をご覧下さい。
童子を抱いての奥への引っ込みも、ジャリ糸での暖簾の開け方が難しく、「沈痛な葛の葉の気持ちになって開けなさい」と散々叱られた急所。
奥座敷では木戸口の開閉、二枚折(屏風)の回転、布団の移動などの仕掛けが、演者との呼吸、間、手加減が難関で、芝雀さんの若いお弟子に教え込むのが一苦労。
曲書きも筆の手入れが肝心。演者によっては、墨の粘度にも拘って膠を混ぜたりする。
童子を保名に託して、下手に引き枠で消えて、そこで衣裳を脱いで奈落に走り、引き抜きの衣裳を着せて、笠と杖を渡して、スッポンに乗せるまでも時間がないから大慌て。
引き抜きもひと息の間しかないから、2本の袖玉のみで、裾はマジック。幕外の引っ込みは先代以来の京屋の型だと師から伺った。
私が葛の葉に限らず、師の後見を曲がりなりにも勤められるのも、先輩の故京右衛門さんの教えと、そして何より克明な型附け、書付が現存するからで、京右衛門さんの書き残して下さったものは私の命綱であり宝物である!。
1月2日 11:00  浅草公会堂初日
浅草歌舞伎に初参加。亀治郎さんが師雀右衛門の指導のもと、「金閣寺」の雪姫を勤められるので、その後見を仰せつかった。
雪姫は縄後見、鼠の後見、散り花の後見等等まことに手が掛かるもので、私の三大恐怖後見のひとつ。あとの二つは「妹背山御殿」のお三輪、「毛谷村」のお園。
さて雪姫は、まず冒頭、上手亭屋体のモジ張り障子の上げ下げと、開け閉めが難しい。姫の気持ちになって早くもなく遅くもなく、それが芝居心。次に肝心の縄。これはウコン色の木綿を縒り合わせたものだが、毎日ふたり掛かりで引っ張って伸ばさないと、すぐ縒りが甘くなるので油断がならない。
姫を縛るのもコツがいる。以前は(鼠が喰い切る)仕掛けの栓とジャリ糸を仕込んでいたが、危険が多くて(何度も栓が外れたり、切れたりして大慌てでした!)、現在は普通に縛って、きっかけで後見が解いている。その場合、振り下げ帯をうまく捌いて左右の振り袖の下に入れ、万が一の場合を想定して、右手(利き手)が自由になるように縄を両の手に絡める。
爪先鼠の段になってからは、姫の動きの邪魔にならないよう、縄を伸ばしたり縮めたり、引っ張ったり緩めたりと、師匠からさんざん怒られた件り。差し金の鼠も姫の所作に合わせての動きが難しく、また散り花の緩急も、姫の身体や竹本の浄瑠璃に合わせて芝居心が肝要。
亀治郎さんは師雀右衛門敷き写しで、古典の継承のお手本。私もお世話の仕甲斐があった。
---歌舞伎レクチャーデモンストレーション公演(インドネシア・フィリピン)の間の日記はこちらに移動しました!---
2007年
11月24日 13:00 新大久保グローブ座 「欲望という名の電車」
篠井英介氏3度目のブランチ。北村有起哉氏が繊細で神経質な、だからそれ故に暴力的なスタンリーを見事に造形。小島聖氏のステラもか細く哀れで、こういうスタンリーとステラもあったかと目を見張った。主客転倒、反対に篠井氏のブランチは精神が常に安定していて逞しく、少しも傷つかない。それは4年前に観た時と変わらない。期待したのに・・・。
11月23日 16:00 国立小劇場「舞の会」
舞踊の夕べでお世話になった楳茂都梅咲師が出演されるので、御礼のご挨拶に伺う。○○歳とは思えない艶姿!ご自前の青海波に貝尽くしの引き着に黒地に金の細縞の帯をお太鼓に結び、今では珍しいざっくりと結ったやき出しの潰し島田の頭に本鼈甲の櫛と中挿し。蹴出しも濃いとき地に赤の梅模様という凝り様。歌舞伎座に飛んで戻らねばならず、舞台は拝見出来ず残念だったが、その爛熟の美しさはしっかりと目に焼き付けた!
11月12日 22:00 三軒茶屋大島やす子氏宅
松井今朝子女史への直木賞受賞のお祝いの品が、9月に注文してからやっと今日出来上がってきたので早速お届けする。吉原に因んで、花魁道中の箱提灯である(写真参照)。これには謂れがあって、以前、NHKのブックレビューという番組に「吉原手引草」の紹介で今朝子氏が出演することになり、私に連絡が来て「吉原に因んだ小道具があれば貸してほしい」ということだったが、芸者の扇子やブラ(根付)くらいしかなかったので、お役に立てなかった経緯があったからである。今朝子氏もマネージャーの大島氏もびっくりして大変喜んで下さった。早速、22日の朗読会の舞台で使用して下さるという。楽しみ!
11月9日 22:25 NHK教育 ブロードウェーミュージカル「カンパニー」
ソンドハイムの代表作。現代ニューヨーカーの(というよりも都会人全ての)病理的なまで の孤独。その絶望感が、スタイリッシュな装置と美しい音楽の中から粛然と立ち昇る。主演のラウル・エスパルザの孤愁に満ちた眼差しが実にいい。「ひとりはさみしい、ふたりはうんざり」という歌詞が、現代人の深層心理を鋭く突いている。
10月20日 19:00 両国シアターΧ 「禿の女歌手」
丸山里奈氏の企画・演出公演。昨年、常磐津絋寿郎師のご縁で、同じくイヨネスコ作の「授業」を観に行って驚いた!芝居の進行に常磐津の語りと三味線が絡むのである。イヨネスコと常磐津!?その大胆な発想が面白い。今回の「禿の女歌手」でも常磐津が進行役を勤める。「授業」よりもその絡み方がこなれてスムーズになったが、作品自体の面白みから云っても「授業」のほうが数等勝る。
9月28日 18:30 東京會舘 観世榮夫師のお別れ会
参集した方々を見て、改めてその多峡に亘る人脈に驚く。私達の世代には、能楽師というよりも演出家として、また個性豊かな俳優としてのイメージが強い。その師所縁の銕仙会で、師が作られた宗家藤間流の「海士」をもとに新たに「志度之浦」を再創造させていただけること(10月末の舞踊の夕べ)には、実に感慨深いものがある。武智塾で一緒だった林秀樹氏に久々に邂逅、懐かしかった。
9月27日 18:00 歌舞伎座 松竹特別舞踊公演
師が荻江の「高尾」を踊る。6月末の藤間流大会の「現在道成寺」の時よりも元気だったので一安心。終演後、親友のT氏が神楽坂のとあるバーへ案内して下さる。ここがなんと蝋燭の灯りだけで営業。余分な外光はすべて遮断してあり、まさに手暗がり!谷崎の陰翳礼賛を地でいったような貴重な体験でした。
8月22日 20:30 松井今朝子直木賞受賞パーティー2次会
淡々とした今朝子女史の笑顔が美しい。いつもは皮肉屋(?!失礼)の女史も今日ばかりは心底嬉しそうである。
私もひと言祝辞を述べよとご指名を受け、酔っ払って「今朝子さんの小説はすべては読んでいないが」と言うつもりが、「今朝子さんの小説は全然読んでません」とやってしまって、場内大爆笑!文藝春秋の武田君に10年振り位に邂逅。懐かしかった。それにしても、京都の今朝子さんのご両親のお喜びはさぞやとお察しする。大変な親孝行である。
8月4日 19:00 銀座某処
法政大学歌舞伎研究会OB現役合同で、私の日本俳優協会賞受賞記念パーティーを開催して下さったが、歌舞伎座の稽古が延びに延びて、ついに主賓不在のパーティーとなってしまった。それでも23:00前に、なんとか2次会には掛け付けることが出来た!創設者の足立先輩はじめ、先輩、同輩、後輩の皆様から祝福を受け、感無量。
8月3日 18:30 四季自由劇場 「エクウス」
1975年の日本初演を見逃しているので、念願の舞台だった。(初演の少年は、なんと市村正親!)
日下武史のマーティンは、入魂の代表作であろう。しかし、終幕のメッセージも含めて、もう少し第3者的立ち位置に徹してもらいたい。が、これは脚本の問題。金森馨デザインの金属製の馬の仮面が、官能的で実に美しく、舞台に詩的な奥行きを与えている。
8月1日 16:00 日比谷シャンテシネ 映画版「魔笛」
ケネス・ブラナー監督作品なので期待したが、音楽が映像より立ち勝り、それも間断なく流れるので、メリハリなく単調。まるで、オペラ「魔笛」のプロモーション映像みたいになったのは残念。
7月8日 早朝
私の手ほどきの師匠藤間勘千與師のもとで、長年いっしょに舞踊の研鑽に励んだ藤間千之助氏逝去。私が役者になってからは、彼も土浦に引っ込んでしまったので疎遠になっていたが、身体を壊していることは、なにかにつけて耳にしていた。人生の早仕舞いはいくらなんでもせっかち過ぎる!。またひとり親友が逝ってしまった。合掌
7月5日 18:00 札幌宮の森 佐藤笑子氏宅
今月は公文協東コースの巡業に出て、今日は札幌に移動。郡司正勝先生のお弟子さんで、私もお世話になった佐藤笑子女史と、お嬢さんの知香子さんに久々に邂逅。本間洋子さんはじめ、地元のお友達をたくさん招かれて、大宴会を開いて下さった。
今朝がた市場で吟味に吟味を重ねて仕入れてくださったタラバ蟹(写真参照)や獲れたての蝦夷鹿のお刺身などの珍味が食膳に並ぶ。特にタラバ蟹は、醤油も三杯酢もなにも付けなくても、旨みも甘みも充分!。笑子さんから「この蟹は一匹丸ごと貴方の分です!」と言われ、夢中で平らげてしまった!笑子女史のお元気な様子を確認出来て一安心。
6月29日 22:25 NHK教育TV 芸術劇場 創作舞踊劇場公演「YOGEN」
24回目のこの度はシェークスピアのマクベスが下敷き。藤間蘭黄氏のマクベスが、僭越ながら、見違えるように骨太で、野性味あり、押し出し充分で存在感抜群。それに尽きる。
6月28日 歌舞伎座 「藤間流大会」
勘右衛門派の久方ぶりの大会。師は昼の部の切に荻江の「現在道成寺」を勤める。舞台に立つのは歌舞伎座4月の口上以来。我が師ながら、風姿絶品!それが一曲の全てを語るから、芸は奥が深くて眩暈がする。
6月22日 正午 歌舞伎座地下稽古場
国立劇場10月公演、芝雀のスチール写真撮り。「うぐいす塚」なる芝居を、勿論観たこともなく耳にしたこともなかったので、芝雀の勤める腰元幾代の扮装決めに難渋する。資料も乏しく、やはり、高根宏浩氏のような美術監修者が必要である。
5月28日 14:00 大阪中ノ島 ロイヤルホテル
秋の舞踊の夕べで、「珠取海女」のご指導を頂く楳茂都梅咲師にお目に掛かりご挨拶。温厚な中に、キリッと光る眼差しを感じ、身の引き締まる思い。帰途、古ゆう師と落ち合い、祇園川上で晩餐。古ゆう師より、秋の会の激励を受ける。
5月26日 11:00 歌舞伎座 第34回俳優祭
この度、第13回日本俳優協会賞を頂くこととなり、この俳優祭昼の部の舞台で表彰式が行われた。名題になった折、師より拝領した師愛用の芥子色の袴を着用して臨席。協会会長である師より直々に表彰状を手渡され感無量!これは私にとって、一生涯の思い出となった。
5月6日 11:00 国立大劇場 家元吉村輝章師主催の「吉村会」
序開きは古ゆう師の長唄「吉原雀」。この度は女師匠が前割れ、後見結び姿の立役振りで舞うという、皮肉な手の込んだ趣向。衣裳、鬘、小道具等のセンス抜群で、さすが古ゆう師!
4月30日 11:00 国立大劇場 第15回「扇の会」
この度は、坂東勝友師の師籍50周年の記念の会。私もお招きを受け、勝友師の代表作「風流浮世床」の女髪結いを勤めさせていただくこととなった。
この作品は、杉昌郎先生作詞、勝友師振付・主演により、平成5年に同じく扇の会で初演された常磐津の新曲で、五月晴れの墨田堤で久方ぶりに出逢った幼馴染の女髪結いと鳶頭のちょっぴり屈折した心情を、いかにも江戸育ちらしい爽やかなタッチで描写した世話物舞踊。故常磐津菊助師の名作曲と相俟って、擬古典様式ながらリアルな心理描写も必要とされる、平成の名舞踊である。
私は以前拝見した折感銘を受け、将来是非させて頂きたいと思っていた念願の作品だった。今回、鳶頭には私が学生の時分よりご指導を頂いている三津二郎師がお付き合い下さる光栄に浴し、このような機会を与えて下さった勝友師に心より感謝申し上げる。勝友師の大切な作品故、心して勤めさせて頂く。
4月23日 20:00 沼袋 禅定院 中村四郎五郎丈通夜
またひとり、貴重な先輩俳優が逝ってしまった。合掌
4月5日 20:00 四谷 菊万
その菊万へ、歌江丈よりお誘いを受ける。
1、わらび煮 2、空豆の甘煮 3、大根とジャコの炊き合わせ 4、蛍烏賊と菜の花の酢味噌和え 5、鯛、さよりのひとシメ、こはだ、蒸し雲丹、しら魚、ほっき貝のお造り 6、白べいの真丈のお椀 7、こんにゃくの煮合わせ 8、海老、蓮根、独活の甘酢煮 9、山葵の花のお浸し、10、ふっこの塩焼き、とまあ、出るは!出るは!すべて女将さんの手造り。歌江さんお薦めの熊本の秘蔵の焼酎をロックで頂きながら、十分堪能致しました!
4月2日 20:00 歌舞伎座裏 なかむら
青木みどり女史と久々に邂逅。お互い、それぞれの相談?を持ち掛ける。ここ、カウンター割烹の「なかむら」も四谷の菊万同様、歌江丈のご紹介。
さすが、歌江さんは美味しいところをよくご存知で、お造りの素材といい、ご亭主の包丁裁きといい、グルメのみどり女史も絶賛!のっぺ汁とかの地方料理もあり、かにサラダのマヨネーズドレッシングも絶妙で、バラエティーに富み、美味しい!美味しい!
3月31日 13:00 日本橋三越劇場 吾妻流「花橘会」
家元徳彌師と息壱太郎丈の「賤機帯」が、いかにも春の物狂いらしく、さらっとしていて、しかも十分に踊り込んで見応えあり上々。
3月24日 11:00 南座千穐楽
今月は橋之助丈・愛之助丈に大変お世話になった。また、立派に成人した勘太郎丈七之助丈と共演出来たことも、子役の頃、後見でお世話したことがあるので感慨一入。終演後、祇園の三田さんに挨拶。
3月17日 15;30 小野随心院
小野小町の生家としてつとに名高い。私も「小町伝説」シリーズを立ち上げた時取材に訪れ、それ以来こちらには度々お世話になっている。いち時、荒れ寺であったが、英良彦主管のご努力により復興。
私としても近い将来、本堂の回廊を舞台に、お庭を借景にして、小町に因んだ舞踊の夕べを開催したいと腐心している。今を盛りと咲き誇っている梅園の蝋梅が美しい。恒例の「はねず踊り」は、今年は楽日の翌25日なので、拝見出来ず残念。
3月16日 21:00 先斗町三しま
三しまのお母さんが、蘭寿司のばらちらしを「いちどは食べてみなはれ」とご馳走して下さる。そりゃ、美味しいのなんの!
3月5日 19:00 祇園川上
友人のT氏来京。念願叶って川上での邂逅がやっと実現。杯を重ねる。川上の堅実な味は健在。高齢(失礼!)のご主人夫妻を援護して、チーフの加藤さん以下若い衆の立ち働きが誠に清々しい。
3月2日 16:00 南座初日
並木正三作の復活。頼朝亡き後の鎌倉幕府の内乱を題材にしているのが珍しい。私見では、野に下った頼家の遺児公暁を書き込んで脚色し直すのも手かと愚考する。私は愛之助丈の恋女房といういいお役。大阪の二の替わり狂言の味をふたりのやり取りで出さなくてはと、これは手前味噌。終演後、祇園のやすかわさんと木屋町の勇次さんのお店に立ち寄り、挨拶。
2月26日 20:00 博多駅
博多座千穐楽。胡蝶も三の君も無事に勤め上げ、ほっとしてタクシーに乗ったのも束の間、携帯電話を楽屋に置き忘れ、取りに引き返すというてんやわんやの末、のぞみ56号にようよう飛び乗り京都に向かう。
明日より南座の稽古。3日後には初日という強行軍、それも見たことも聞いたことない復活狂言!脚本も2稿3稿と変更。明日からさあ大変、嗚呼!。京都は比較的暖かだが、のどのケアは油断がならず、加湿器をバンバン効かせて早目に就寝。
2月2日 11:00 博多座初日
13:20、「鏡獅子」の幕が降りた。手前味噌ながら、不思議なことに8年前より肉体的にも精神的にも楽に踊れた。決して手を抜いたわけではないのに・・・・、8年前の身体の記憶であろうか?
気持ちも8年前は若く若くと無理に意識したが、今回は自然体で臨めた。誠に芸の限りない奥深さを改めて認識した次第。さあ、あと24回頑張らねばッ!
「おちくぼ物語」の三の君(写真)はシンデレラのいじわるなお姉さんのような役どころ。しかし身分の高い姫君なので品格を保たなくてはならず、その兼ね合いが難しい。こちらはしゃべり倒しているので、喉のケアが一苦労である。
1月29日 20:00 博多川端 遊膳
午前中に博多入り。稽古を済ませ、月極めマンションで荷解きをして、シャワーを浴びて、川端の遊膳に直行。貝柱と寒鰤のお造り、赤むつの焼き物、博多雑煮(あご出汁)、どれもこれも親方の包丁が冴え、神経の行き届いた逸品ばかり!お酒を二合頂いて、すっかりいい心持ちになった。
1月19日 12:30 渋谷松涛藤間宗家稽古場
まさかまさか! 来月の博多座、菊之助丈の鏡獅子で胡蝶(写真)を踊ることとなり、京紫さんと宗家へお稽古に伺う。8年前に歌舞伎座で、やはり菊之助丈の鏡獅子で京妙さんと踊らせて頂いたが、その時だって年齢的にギネス(!?)ものだったのに、この期に及んで胡蝶を踊るとはユメユメ思いもよらなんだ。体力的な不安を抱えながら稽古に臨む。大人が子供の振りを踊る難しさを改めて痛感。勘祖師の厳しい稽古が続く!嗚呼!
1月4日 22:00 杉並松ノ木谷川邸
ご主人の渥先生はイタリア遊学中でご不在だが、奥様の雅ゑでさんが恒例の新年会を開いて下さる。舞踏の和栗由紀夫さんやモダンダンスの江ノ上陽一さん率いるSOUKIのメンバー達と久々に邂逅。深更まで話しは尽きない。奥様から渥先生の近著、「芸術をめぐる言葉II」(美術出版社)と「日本の色」(平凡社・コロナブックス)を頂戴する。
1月1日 8:30 目黒区碑文谷公園
住まいの近所の碑文谷公園の中にある弁天様のお社が、一昨年放火によって焼失したが、この度ようやく再建が叶ったことは、年初早々目出度い限り。早速、木の香芳しい新しいお社にお参りに行く。
2006年
11月28日 19:00 紀尾井小ホール
富田清邦地歌筝曲演奏会 友人T氏のご配慮で拝聴に伺う。「雲井弄斎」の艶冶な味わい、「寛濶一休」の洒脱で飄逸な風味、そして「残月」では米川文子師の筝と相俟って、繊細巧緻な撥捌きと、どれもこれも見事な名人芸の数々!至福の一夜だった。
11月25日 14:00 国立小劇場楽屋
川口秀子先生に久々に御目文字する。今夜は舞の会で、秀子先生は「山姥」を舞われるが、私は歌舞伎座の出番と重なり拝見出来ず無念この上ない!ならばお顔だけでもと、歌舞伎座の竹の間を勤めてから国立へ急行し、舞台稽古を終えてお休み中の楽屋を直撃した次第。かなり体調を崩されていると聞いていたが、果たしてかなりお窶れのご様子にもかかわらず、私の手を取って再会を喜んで下さった。お言葉の端々はとてもしっかりした感じで、お付きの方の話しでは舞台稽古をされてから俄然元気になられたとのこと。流石!秀子先生である。当夜の本番もご無事どころか、客席を魅了した由。日の本一の舞の名手、川口秀子先生には千年も万年も舞続けてほしい!
11月20日 13:30 日比谷公園
女性誌クロワッサンの取材。園内の三笠山!?という小高い丘で黒紋付袴姿で正月用の写真撮影、その後「松本楼」に移り小一時間ほどおしゃべりをする。師より拝領した芥子色の袴を着用して行ったが、それが絶妙な色合いで、副編集長や記者の方がとても気に入って下さった。
10月3日 19:00 国立小劇場
花柳基師のリサイタル。「権太」が洒脱でいい味。帰途、五條雅之助氏と赤坂で会食。ビルボケというビストロのポークハムステーキが美味しい。
9月19日 21:00 三軒茶屋松井宅
ご実家の祇園川上から、おせちの見本が届いたから試食せよと今朝子姐御よりの号令が掛かり、それっとばかり日本酒持参で掛け付ける。試食せよと言ったって、不味い訳があろうはずもなく夢中で頂く。平目の求肥巻きなど絶品!。
8月28日 16:30 表参道
大学時代の旧友、栄さんといずみさんに久々に邂逅。栄さんが大学生の次男を伴い、我々もそんな年代になったのかと感慨一入。蛙の子は蛙で、その次男坊も芝居に嵌まり、俳優を志しているという。おっかさんの栄さん、気を揉むこと頻り。
8月4,5,6日 国立大劇場 宗家藤間会
2世勘祖師の17回忌追善である。この度は作詞、作曲、振付、主演と4役をこなす若宗家勘十郎師の新作発表会の様相を呈し、その縦横無尽の活躍振りが見事で頼もしい。
7月21日 19:00 ジャンジャン横丁「八重勝」
地元の知人の案内で、今夜は生まれて初めて新世界を探訪。地元で1番という串揚げや「八重勝」へ連れて行って頂く。行列の出来るお店。私はソースというものが基本的に苦手だが、豊富な食材を目の前で豪快に揚げて、それをカウンターでみんなとワイワイ言って食べる楽しさはまた格別!興味深々の新世界は、しかし串揚げやの乱立でテーマパークみたいで実感がなく少々がっかり。通天閣も改装中で入塔出来ず残念。
7月20日 20:00 「英ちゃん福久鮨」
ここは道頓堀筋を東へ向かい、御堂筋を渡って一筋目を左にはいって10米ほど行ったところのお鮨やさん。いつもお世話になっている某姐御(!?)にお誘い頂く。まず、鱧が湯引きではなく、生をさっと炙ったお造りがほんのり香ばしくて美味しい。鳥貝も肉厚つで濃厚な味。酢味噌で頂く。御品書きに「えりまき」とあるのでなんのことか?と思って注文すると、これがなんと握った酢飯のまわりを1匹丸ごとの穴子がとぐろを巻いていてビックリ!大変なボリューム。「半えり」(笑!)というのもある。また、海外おみやげ用「鯖の棒鮨」ともあるので、またまたビックリして聞いてみると、2日間もつので、飛行機での移動時間が丁度馴れるのに頃合だと伺い納得。
7月18日 18:30  三ッ寺筋「四季の味」
葵太夫師をお誘いして、「山月記」の打ち合わせがてら会食。旬の岩牡蠣がひとつしかなくて、葵師と半分ずつ。美味しくて白ワインがすすむ。
7月14日 19:00  京祇園「川上」
今月は17:30に松竹座を出られるので、このチャンスを逃してなるものかとばかり、京阪電車に飛び乗り祇園「川上」へ直行。ここでも鱧にはじまり夏の味覚を満喫して直帰。京都でいつもお世話になっている他のお店の皆様、ごめんなさい。
7月13日 21:00  堺筋長堀 旬味「節」
東京からお見えのいつもお世話になっている方々に、今夜は鱧尽しのお招きをいただいた。湯引き、天ぷら、にこごり等々、そして鱧と松茸のしゃぶしゃぶ。スライスした玉葱が脇役に添えられ、これが美味しさを倍増。十分にお出汁が効いたところへご飯を入れて雑炊。至福の時。
7月9日 19:30 道頓堀西側 与太郎
赤井のお父ちゃんが、みづ穂のママさんと松竹座の公演を観に来て下さって、帰りにふぐをご馳走して下さる。お父ちゃん曰く「ここのふぐは一流や、大阪のふぐの相場はここと○○とで決まる」とお父ちゃんはそう豪快に言い放すと、焼酎のグラスをぐっと飲み干した。ふぐ刺しとふぐちりを十二分に堪能。
6月30日 20:00 三ッ寺筋 四季の味
こちらのステーキハウスは上村吉弥さんのご紹介。従業員の奥田君は大の芝居好きで、伺う度に歓迎して下さる。海老、帆立、平目、またアスパラ、じゃが芋、椎茸など海の幸山の幸の鉄板焼き。かぼちゃの冷製スープ、グリーンサラダをはさんで、牛ヒレのサイコロステーキ。しめはにんにくタップリの蟹肉入り焼飯。ワインがすすんで、東京から引き摺って来た疲れがこの3日間で吹っ飛んだ!
6月29日  19:00  道頓堀東詰 赤井
こちらはおととしの夏、ふらりと入った居酒屋。カウンターで翌月の台本を開いてひとりで飲んでいたら、ご主人らしき方が「あんさん役者でっか?」と声を掛けてきた。たちまち意気投合!この居酒屋赤井はご主人のお父ちゃんと息子のリョウちゃんと数名の若い衆がチームワークよろしく切り盛りする東京には絶対ありえない(!? 店の規模、食材、親近感等々)お店で、お父ちゃんの包丁さばきが冴える。明石の蛸刺し、鱧の天ぷら、鰹のたたき等々今が旬の美味しいものがてんこもり。
6月28日 20:00 天満天神表門前「豊」
大阪に着いて、松竹座の稽古が済んで、南森町の月極めマンションに直行。荷物を解いて、歩いてすぐの「豊」さんで遅い晩御飯。こちらは、女将の豊子さんのお母上の代より京屋のご贔屓で、またお嬢さんのイクちゃんは、山城屋のお弟子さんで私の大親友の扇乃丞さんの奥様という深いご縁。お客筋も文人墨客多士済々。豊さんのお人柄を慕って、実に様々な職種の方々が集う。豊さん手作りのおばんざいで、神の河のロックがすすむが、やはり夏の定番の水茄子の浅漬けは絶妙な酒肴。醤油を浸けず、おろし生姜をのせて、あっさりといただく。
6月28日 14:50 東京駅
大阪行きのぞみに大好きな「日本橋」という弁当を買って乗り込む。しかし、なんとまあ我ながら、信じられないような強行日程である、嗚呼!
6月27日 正午 浅草公会堂 「たけのこ会」2日目。
昼の部は私も三津右衛門さんもさすがにバテ気味だったが、夜の部は俄然盛り返した!記録撮影は昼の部だったので、お互い悔やむことしきり。ご覧下さった方々に懐かしいお顔が多かったのが嬉しかった。終演後、青山の三津五郎師宅へ御礼の挨拶。三津五郎師から「よく稽古を積んだ」とのお言葉を全員に頂き、次回を約して乾杯!帰宅して「たけのこ会」の荷物を片し、翌日からの大阪公演の荷作り。
6月26日 10:00 浅草公会堂 「たけのこ会」舞台稽古。
15:00 初日開演。今日は三津五郎師の芸術院賞受賞式の慶事と重なり、皇居から駆けつける為、順を入れ替え「三ツ面子守」が大喜利となる。私もパワー全開だが、明日は昼夜2回だと思うと気が重い。早めに就寝。
6月25日 19:30 浅草公会堂
明日の荷入れ。
6月24日 19:30 松涛藤間宗家稽古場
「藤間会」稽古。
6月23日 14:00 青山三津五郎師稽古場
昨日録音したテープで最終念入り稽古。さすがに草臥れ果てて、帰途、行きつけのスポーツマッサージで全身をほぐしてもらう。
6月22日 16:00 赤坂見番 「たけのこ会」下浚い。
「鬼次」の三味線のノリも長龍郎師のお蔭でうまく運び、無事終了。しかし、大変な汗のかき様で当日が思い遣られる。
6月19日 13:00 青山三津五郎師稽古場
「鬼次」引き続き「俄七福」の稽古。
6月18日 13:30 松涛藤間宗家稽古場
8月の「藤間会」の稽古。
6月16日 夕刻
三津右衛門氏、ロスの坂東会より帰国。「鬼次拍子舞」の稽古再開。
6月15日 21:30 銀座ロビー 「山月記」打ち合わせ。
村上氏、高澤師、葵太夫師と私の4人の初会合。葵師のスケジュールが難航するが、すでに詳細な下調べをされていて、いつもながらその熱意には頭が下がる。高澤師は物静かな方だが、かなりの酒豪とみた!? 村上氏と8月上旬に脚本脱稿を約して散会。武者震いと興奮で酩酊し、その勢いでひとりMori’s Barへ直行。
6月14日 17:00 小石川涵徳亭
石川鐵男氏出版記念会。勘定奉行のCM監督の石川氏が「ぼくの細ぃ道」を処女出版された。以前から俳句に目覚めたとおっしゃっていたが、失礼ながら、こんなに味わい深い俳句をものされていたとは知らなかった。そこには、目の前に立ちはだかる苦難に呆然と立ち竦む中年男の悲哀がものの見事に活写されている。酒の当てになる男の手料理も実に美味しそうだ。私も石川氏の出版を祝って、恥ずかしながら一句。
梅雨空に上梓を寿ぎて日矢射して
6月11日 松涛藤間宗家宅稽古場
8月の「藤間会」の稽古。後見を5つも受け持っており、責任重大。帰りに勘紫満師が、東急本店8階の「なだ万」でご馳走して下さる。ここもたまに利用するが、季節の食材をふんだんに使い、器も綺麗で、盛り付けも手が込んでおり、全体に行き届いた心遣い。勘紫満師も大変お元気で、ぺろりと平らげ、健啖家振りを発揮!(失礼)
6月9日 18:00 銀座松屋8階宮川
ビール(小瓶)と日本酒(常温1合)と白焼きと鰻丼で癒しの時間。
ここの鰻丼は見事のひと言。ホクホクの鰻は蒸す、焼く、タレの具合、いずれも完璧。かためのご飯も申し分なし。
6月8日 17:00 青山三津五郎師宅稽古場
「俄七福」稽古。やっと纏まりが付いて来た。三芙美師初め、坂東女流の先生方にご苦労をお掛けし誠に申し訳ない。
20:00 青山すし清
佐藤博文氏と久々に邂逅。お鮨とビールでホッと一息。
6月6日 8:30 新宿金内クリニック
年に1度の半日掛かりの人間ドック。バリウムは未だに苦手。
6月2日 18:30 新宿紀伊国屋前
谷川渥先生、萩原朔美先生と「山月記」打ち合わせ。谷川先生のご仲介で萩原先生と初めてお目に掛かる。ずっと以前、三島の「弱法師」を萩原先生が演出されたのを拝見しており、強烈な印象が今も脳裏に残る。三人で乾杯して、いい舞台にしましょうとのお言葉を頂く。心強く、嬉しい!
5月16日 正午 青山銕仙会能楽研修所
秋の創作の会の手続きと下見。客電の落ちた見所から見た、薄暗い深閑とした能舞台に犯すべからざる神が確かに居た!一瞬怯んだが、切に味方を乞うた。神の返事はまだない。
5月10日 22:00 青山三津五郎師稽古場
坂東勝友師による「鬼次拍子舞」の稽古。3月6日以来久々の稽古だが、これはよほど稽古を積まないとものにならない。身体に叩き込まないと芸の神様は味方をしてくれないので、鬼次に限らず、古典というものはそういうものである。さかしらな現代的解釈や疑問などは一切受け付けない。疑問に思ったら最後、がんじがらめになって身動き出来ない。「身体で覚えること」、今更ながらそれを実感した鬼次の稽古であった。
5月9日 11:00 蔵前葬祭場 三遊亭円彌師告別式
円彌師とは、古典空間の小野木氏とのご縁で2度ばかりご一緒に仕事をした。穏やかな口調が、よき時代の噺家といった風情だった。60歳台とは余りに早すぎる。合掌。
5月1日 11:00 歌舞伎座初日
久々の團菊祭。「外郎売」で、病気再発全快の團十郎師が花道から出て行くと物凄いという形容が相応しい万来の拍手!しばし鳴り止まない。本当にご自愛されて、これからのかぶきを背負って立っていただきたい方。やはり何事も人望が第一である。
4月22日 18:05 星ヶ丘三越映画劇場「ALWAYS 三丁目の夕日」
子役ふたりが素晴らしく、子役でもっている作品。あとの大人達は皆、生活感が希薄でミスキャスト。昭和30年代の東京の町並みや暮らしをCGを駆使してあらわしているが、あまりにも緻密で至れり尽せりで隙がなく、まるでテーマパークのようでこれもまた実感がない。過ぎたるは何とやらである。
4月19日 15:20 伏見ミリオン座 「寝ずの番」
マキノ雅彦(津川雅彦)氏の第1回監督作品。監督の人脈とて豪華な出演者。人間の死を茶化す客観性は南北なみのブラックユーモア。とりわけ、らくだよろしく死人の「かんかんのう」を踊る長門裕之が実に傑作。放送禁止用語が飛び交う下ネタ満載の応酬はむしろ爽快で、一種の日本的大人の遊び文化論であろう。中弛みするところもあるがまずは上出来!
4月16日 19:05 名駅前ゴールドシネマ 「プロデユーサーズ」
この映画はまず、1968年にメル・ブルックスの監督・脚本により、ひと捻りしたバックステージ物の映画として誕生した。これが傑作との評判高く、次いで2001年、同じくメル・ブルックスの製作・脚本・作詞作曲により、今度はミュージカルとしてブロードウェイで舞台化された。それが空前のヒットとなり大ロングラン。そしてそれがさらにパワーアップして、ミュージカル映画として再び映画化されたのが今作品。いわばシネマ版ブロードウェイミュージカルといった創りで、まるで本場の舞台を観ているような臨場感さえある。映画的手法と舞台的手法の融合という点では「シカゴ」に軍配が上がるし、前作の映画ほどの苦味や皮肉も足りない。しかしこの映画は9.11事件後の「I LOVE NY」的スタンスが根本にあり、つまりブロードウェイ賛歌。それを前提に観れば、演者は皆素晴らしくて、上手くて、いやもう楽しい楽しい!
4月7日  21:30 那古野神社へ花見
桜の梢から覗く明るい月が美しい。
4月1日 11:00 名古屋御園座初日
芝雀の「奥庭狐火」は珍しい常磐津が地。藤間宗家2世勘祖師が色々と工夫をされて振付られたものを、今回現勘十郎師がリニューアルされた。これがとてもよく創られていて、まず、雪景色の奥庭に柴垣を割って狐の人形が現れ兜の祭壇に消えると、本釣を打ち込んで下手の柴折戸より緋綸子地乱菊模様の振袖に白地織物の振り下げ帯姿の八重垣姫が手雪洞を持ち黒塗りの庭下駄を履いて登場。綿々と勝頼への想いを訴え、花道へ行って「飛んで行きたい、知らせたい」となる。本舞台に戻って兜へ思い入れをして、チチンチチンの合方で祭壇へ行き兜を盗み出す。この辺までは義太夫とたいして変わらないが、泉水に映る影に驚いて「アレー」と飛びのき、再度泉水をこわごわ覗き込むあたりから少しずつ狐が憑依する様を見せ、眺め入って立ったりしがでバッタリ決まり、「オオそれよ」の長台詞のあと、たちまち姿狐火ので、白綸子乱菊模様の振袖に黒繻子地流れ水に菊模様の帯に引き抜く。ここから置きの琴唄をこの兜と絡む件に持って来て、2面の琴がたっぷり入り本釣を充分に効かせる工夫が心憎い。百回りして、合方つき直しバッタリ決まると、今度は八方割れに黒の馬簾姿の力者が上下から4人梅の枝を持って現れ姫との立ちまわりとなる。再び雪降りとなり、常磐津の三味線もお琴も充分活躍して、トド、姫は松の木に岡ズッポンでセリ上がり、兜を引き寄せてチョンと決まって飛行の体。力者はトンボを返って姫を見上げて、雪ひとしきり降るうちに幕となる。客席の反応もよく、是非東京で再演してほしいものである。
3月29日 11:30 東京駅 今日から名古屋入り。
「日本橋」という名の幕ノ内弁当を買って、のぞみに乗り込む。この弁当がなかなか美味しくてびっくりした!オススメの一品。
3月20日(日本時間21日) 米国サンディエゴ
WBCで日本がキューバを10−6で破り優勝、世界一に輝いた!荒川静香の金メダルといい、様々な困難を克服しての快挙だけに喜びも一入!私のように海外で、日本を背負って立っているくらいの気魂で仕事をしている人間にとっては、彼らの気持ちがよく解かる。乾杯!
3月16日 18:00 高円寺斎場
元歌舞伎座大道具棟梁の阿部英夫氏逝く。享年60歳。私が学生時代からのお付き合いだから、もう30年近くになる。男気に満ち、いつも笑顔を絶やさず、誰からも愛され、昔ながらの職人肌の親方だった。「桜梅会」では、私達の無理な注文に「出来るわけねーだろッ」と憤慨しながらも、スペースゼロという不自由な空間に「鏡山」も「妹背山」も「関ノ扉」も「十種香」も見事に飾り込んで、両花道も設置して緊密な芝居空間を造り上げてくれた。これはいくら感謝してもしきれない私達「桜梅会」の大切な軌跡である。早過ぎる死は無念この上ないが、幸い阿部ちゃん(我々はそう呼んでいた)が育てた若い連中が皆よく頑張っているので、彼らは阿部ちゃんのその遺志を継いで、歌舞伎座大道具の伝統を死守してほしい。これは切実な願いである。
3月13日 19:00 恵比寿「ぶた家」
いつもお世話になっているI氏をお誘いする。ここはT女史に紹介された豚肉料理専門店。山形県から産地直送のハーブ豚を使用。1階の売店では自家製のハムやソーセージも販売している。豚肉が好物の私は一遍で嵌まってしまった。私的には「山葵ソースの蒸し豚」がオススメ。そして何と言っても「豚しゃぶ」はいくら食べても食べられる!にんにくと昆布でとったお出汁がさっぱりとしかし味わい深く、豚肉との絶妙なハーモニー。しめのラーメンでノックアウト。
3月10日 19:30 両国シアターX 「授業」
イヨネスコの不条理劇を丸山里奈氏が訳・構成・演出。なにより驚いたのは常磐津浄瑠璃を進行役兼BGM風に用いたこと。これには興味津々だった。演出の狙いとしては、ダンサーと役者と浄瑠璃が、フランス不条理劇を解体する点にあったらしいが、様々なアクシデントや怪我などにみまわれ、充分な成果が得られなかったこと、これは大変気の毒であり残念だったと言わざるを得ない。その困難を克服して、丸山氏が公演を敢行されたことは驚異に値する。ぜひまた万全の態勢で再演してほしい。
3月10日 16:30 神田岩波ホール 「死者の書」
折口信夫原作の小説を川本喜八郎氏が構想30年を掛けて製作した長編アニメ。主演?の藤原南家の郎女と大津皇子の人形が誠に美しく魅力的。だが、この不朽の名作にして難解な「死者の書」を映像化することは至難の技だったというより外はない。岸田今日子の語りがのべつ幕なし続くのが説明に過ぎ、単調で興を削ぐ。もっと人形の力を信ずるべきだ。エンディングで能「當麻」の舞囃子にのせて、資金支援者の連名を延々と流す・・・・。なにをか言わんや、ならば我々1500円なにがしを払って観に来ている観客は何なのか?他に広報の仕方があるはずだ。不快な空気が流れた客席だった。
3月7日 18:30 帝国ホテル光の間 中村雀右衛門後援会総会
詩人の高橋睦郎氏が「雀右衛門丈との四半世紀」と題して実に心情のこもった講演をして下さった。その後、朝日新聞の文化欄で同主旨の評論を掲載されたので、目にした方も多いであろう。日本の文化論にまで及ぶ貴重な御意見である。
3月3日 11:00 歌舞伎座初日
13世仁左衛門丈13回忌追善。この場を借りて、私なりの13世の三絶を挙げる。
1、
「吉田屋」の伊左衛門。これは昭和40年1月歌舞伎座所演を観ているが、子供心にも実に面白かった。色気があって華やかで賑やかで、繭玉がきらきらと揺らめいていた。常磐津連中の山台が障子が開くと、ぐっと前に押し出されてきたこともはっきり憶えている。
2、
「阿古屋」の畠山重忠。 これはもう幾度も観た。情理兼ね備わった見事な捌き役。じっと阿古屋の演奏に耳を傾けるその風情。絶後であろう。
3、
国立劇場所演時の「道明寺」の菅丞相。堂本正樹先生が寂光美と絶賛されていたが、まさに落ち行く聖者の神々しさに溢れ、客席がシンと静まり返った。先導する供侍のドンジャランと突く金棒の音が悲しみに客観性を持たせ、耳に残る。
番外
これも国立所演の「寿根元曽我」の工藤祐経。対面で「高座御免」の一礼の後、たいていは高座のうしろで支度が出来るまで待機するが、13世はこの時、舞台正先で一礼の後、ゆっくりと歩を進めて、そのまま高座へ上がった。その大きさ、悠然とした構え、辺りを払うとはまさにこのこと!実に立派だった。
他にも数えたら切がない。「角力場」の与五郎と放駒の二役。「寺子屋」の源蔵。先代中村屋代役の「馬盥」の光秀。「助六」の白酒売。思い出は尽きない。合掌。
番外 読書案内
「国家の品格」藤原正彦著ー新潮新書ー三津五郎丈から薦められて読む。目から鱗の国家論、文化論。サムライ魂で大和ごころをひとくくりするのは抵抗があるが、先頃のWBCの日本優勝を鑑みるとさもありなんと納得する。傾聴に値する藤原氏の諸説。オススメの一冊である。
初花月あれこれとは言い条、今月は連日お能狂言三昧の日々で堪能した。ご指示下さった友人T氏やK氏に感謝感謝。
2月26日 正午 目黒喜多能楽堂 「喜多流職分会」
長島 茂師の「東北」 以前から拝見したかったお能のひとつ。淡々とした情調だが、その淡々のもう少し先を感じたい。
松井彬師の「鞍馬天狗」 小柄な師であるが、白頭の後シテがいつもながら師一流の凝った拵えで目が覚める。子方連が誠に可愛い。
2月25日 13:00 目黒喜多能楽堂 「條風会」
狩野了一氏の「巴」。 型付けの問題として、後シテが軍装するのは、男(義仲)の面影の中に女(巴)がモンタージュするという意識がある。だから終盤、鎧を脱ぎ、武器を捨てた巴がまたぞろ義仲の形見の衣を羽織っては駄目押しが利き過ぎると愚考する。形見は胸に掻き抱いて橋掛かりを去りたい。
2月20日 15:30 銀座シネパトス 「SAYURI」
やっと観るチャンスを得た。小説は読んでないが、「おしん」の芸者版というところ。とある国のとある物語だと思えば腹も立たない。その点、ビジュアル的にはとても美しい。不思議な魅力があるのは確か。
2月16日 15:30 西新宿 新国立演劇研修所
実習2時限目 13日に教えた歌舞伎の色々な型や日舞の振りを駆使して、何班かに別れてショウトストーリーを作れと課題を出しておいた。時間の少ない懸念はあったが、皆それぞれ個性豊かに、その咀嚼力はなかなかのもの。少し私が手直しするだけで、見る見るうちに血の通ったものになる。それだけ彼らの素材がいいしるし。今後の授業も楽しみだ。帰途、久しぶりに渋谷のんべい横丁に寄り、軽く一杯。
2月15日 19:00 国立能楽堂 茂山千作米寿記念 第1回「千作千之丞の会」
齢88歳になりなんとする千作師の「枕物狂」が、素晴らしいとか、見事とかそんな次元を遥かに超えた、なにか芸の仙境に遊ぶがごとき、馥郁たる出来映えである!闊達自在な千作師の面目躍如だが、その奔放に見える師の芸が、実は修練に修練を重ねた上の結果であることを、茂山の若手連は肝に命ずるべきである。千之丞師の「千切木」も小言小兵衛的な太郎の存在感が少しも嫌味でないのは、現在の千之丞師の芸の境地であり、それが年功というものであろう。おふたり芸の深奥を拝観したというべき至福の一夜だった。
2月13日 15:30 西新宿新国立劇場演劇研修所
2時間30分の実習授業。まず、彼らが日舞の授業で学んだことを一通り見せてもらう。彼らは歌舞伎の俳優になるわけではないので、歌舞伎俳優の真似をしてもはじまらない。大切なのは歌舞伎の俳優の演技から“気”を貰うことだ・・・・・。とおしゃったのは故郡司正勝先生。私はそれを「心から入って形を整える」とも解釈している。かれらにはそういう教え方がベストで、その型の意味や感情を伝えるとかれらは目を輝かせ、ぎこちなくてもその型が活き活きとしてくるから不思議だ。次回までの課題を出して本日は終了。
19;00 新宿南口イタリアンレストラン「たべるな」 藤井昭子氏地歌ライブ
こちらもT氏のお薦めで、以前からお誘いを受けていたが、いつも芝居とかち合い果たせず、今回初めて拝聴する。「新松尽くし」と「尾上の松」の2曲。鷹揚で素直な芸風が「新松尽くし」で生きた。
2月12日 14:00 千駄ケ谷国立能楽堂
友人のT氏のお薦めにて、和泉流狂言師、高澤祐介氏の「棒しばり」を拝見する。仁、技術、精神性、申し分なし。なにより書生気質を忘れず、バックボーンにそれがきちんと通っているのが尊い。
2月9日 18:00 高幡不動保坂京子氏宅
今月やっと時間が取れたので、故保坂桂一氏の遺骨を安置している姉上京子さんのお宅へ弔問。納骨は桜の咲く頃ということ。こちらへ身を寄せている母上坦子さんが思いの外お元気なので一安心。かえって、後始末に奔走している京子さんの心労が気に掛かる。しかし、遺影の桂一はただ無邪気に笑っているだけだ。その笑顔を眺めながら母上は呟いた。「桂一は70年分くらいの人生を生きたと思います。本人は幸せだったでしょう。」
2月3日 15:00  西新宿新国立劇場演劇研修所
昨年より現代演劇の研修がスタートし、その講師を依頼された。実習は来週からなので、今日は金曜講座ということで、研修所主任の井上さんに聞き手になってもらい90分ほどおしゃべりをする。いくら研修中に頑張っても、卒業して現場へ行ったら1から出直し。それは歌舞伎も現代演劇も同じである。「何を研修所で勉強して来たんだ!」と指導者や先輩方から怒鳴られるのは必定、覚悟せよ!と開講式でも言い、今日もそれを強調したのは自分の経験からで、その時に潰されない強靭な精神を養ってほしい。しかし、来週からの実習は自分自身のブラッシュアップにもなるので楽しみだし、手応え充分な資質の彼らと視た。
1月23日 18:30 銀座でん八
青木みどり氏の音頭取りで、武智歌舞伎塾の主要メンバーが数年振りに集った。都合で竹本越京氏の欠席は寂しいが、五條雅之助氏、瀬戸千鶴子氏、前川文子氏と懐かしい顔、顔、顔。それぞれ年輪は重ねたが、当時からの生命力は健在。ことに女性軍は酔うほどにむちゃくちゃ意気軒昂になり、我々男性軍はもうタジタジ、お手上げである。
1月20日  20:00  用賀 鮨あら輝
暮れに京都祇園川上の御主人が「東京に戻ったら、娘の今朝子に案内してもらって用賀のあら輝に行きなさい。いい仕事振りですよ」とすすめられ、早速、お忙しい今朝子氏に無理を言って今夜を迎える。用賀の人里離れた?お店の暖簾をくぐり、カウンターに座って、ついと御亭主の顔を見上げると、はて見覚えが・・・・?そうそう!「情熱大陸」で以前、その厳しい鮨道が紹介されていたっけ。さすが川上の御主人のご推奨だけあって、素晴らしいネタのにぎりの数々。真摯でピュアなご亭主の人柄がよくその仕事振りに顕われている。書生気質を忘れぬこと、それを私も常に肝に銘じている。
1月5日 19:30  四谷 菊万
歌江丈に誘われ同行。こちらへは歌江丈に何度もお招きを受けているが、この四谷とんかつ三金裏の小料理屋は知る人ぞ知る名店。今夜もおかみの老練で見事な包丁捌きで、お造り、お椀、焼き物どれもこれも美味しいのなんの!菊正のお燗がすすむ。
1月2日 11:00 歌舞伎座初春興行初日
何にも益して師雀右衛門が大変元気で、気持ちが快活になったのが嬉しい。体調が悪い日もあるだろうが、それを寸分も見せない。気力充実!今年もお元気でっ!新藤十郎丈と師の夕霧伊左衛門は一幅の絵。しっかり目に焼き付けておこう。
2005年
12月30日 18:00  松ノ木 谷川邸忘年会
久方ぶりで、谷川渥先生御夫妻にお目に掛かる。また、SOUKIのメンバーや後藤光弥氏とも再会。深更まで語らい気が晴れた。来年も懸命に生きようと心に誓う。
12月29日 19:00 上野寛永寺 尾上松助丈通夜
今またここに、歌舞伎にとってかけがえのない方を送る。無念この上ない!合掌。今月は大切な友人や指導者を3人まで失った。
12月27日 18:30 日生劇場 「ジキルとハイド」
以前評判が高かったミュージカルだが、私は初見。鹿賀丈史氏は全てにおいて癖が強いが、それが個性となって魅力がある。作品としては、人格の二面性への葛藤を深めないと底が浅くなる。
12月26日 千穐楽
終演後 祇園三田さんと先斗町三しまさんへ挨拶。両ママともお元気で何より。明日早朝帰京。
12月24日 21:45  祇園 やすかわ
偶然、茂山千之丞師と再会。1992年、「土御門大路」の演出で御指導を受けて以来、14年振りの邂逅である。驚いた、齢80歳の師は気力、体力とも当時と少しも変わらない。素晴らしい年齢の重ね方である。もって範とすべし!と自戒。
12月22日 早朝
昨夜から降り続く大雪で一面の銀世界。七条大橋から望んだ雪煙に霞む北山が見事な水墨画である。
12月21日 正午 祇園 なか一
やすかわのママさんが、吉弥丈と御一緒に昼食にお誘い下さる。なか一さんのお鮨は江戸前のしっかりした仕事振りで堪能した。
12月16日 21:30 祇園 かぼちゃのたね
衣裳の志村嬢と夕食。かぶら蒸しと鰻とボジョレーヌーボーを堪能。
12月15日 京都在住の友人K氏と昼食。
亡くなった保坂氏は我々共通の友人なので、しみじみ思い出を語り合う。我々一組の客しかいない料理屋の二階座敷はシンと静まり返り、囲炉裏をはさんで向かいに座ったK氏はそっと涙を拭った。
12月14日 正午 東京より友人のT氏来京。
祇園の川上へ昼食にお誘いしたかったが、水曜は定休日なので叶わず残念。T氏が繩手を上がった東側のお道具屋を案内して下さる。T氏のお目利きで、永楽の酒盃を購入。
12月12日 正午
嵐山から周って、車折神社へ参詣。紅葉は終っていた。
12月9日 藤間宗家勘祖師が還暦を迎えられた。
いつまでも少女のようにチャーミングで初々しくて、なんとお若いことよ!我々若い者にも厳しく優しく、そして親身にお稽古をつけて下さる。勘祖師のいつも絶やさぬ笑顔を思うと元気が出る。親友の死を乗り越えて、前向きに生きようと心に誓う。
12月7日 早朝 友人の佐藤誠一氏の訃報届く。
彼は大学時代からの友人で、近年では新派「遊女夕霧」や小町伝説公演のプロデュースをしてくれた。8月の末に倒れ、ずっと闘病生活を送っていた。50歳前。残された夫人と坊やのことを思うと胸が塞ぐ。
保坂といい、佐藤といい、相次ぐ親友の死で言葉もない。東山が重い冬の雲に霞んでいる。
12月3日 早朝 友人の花太郎の保坂桂一の訃報届く。
愕然! まだ50歳前だ。彼とは駒沢での舞踊の夕べや浜名湖花博でお互いスクラムを組んでいい仕事が出来た。まだ一緒にやりたいことが山ほどあったのに!無念この上ない!合掌
12月2日(金) 13:00 小野 随心院
2年振りに再訪。お庭のひと本の紅葉が美しい。英 良彦氏と旧交を温める。
12月1日(木) 16:00 東福寺
紅葉の名所だが、今回はじめて訪れることが出来た。通天橋から見渡す紅葉はもう大詰めだが、夕映えに照り輝くもみじとはまさにこのこと!美しいのなんのって!
11月30日(水) 10:30 南座初日
鴈治郎丈改め坂田藤十郎襲名披露興行。京都の地で坂田藤十郎のまねき看板を見上げると江戸の昔にタイムスリップしたようで不思議な実感がある。山城屋丈も感慨一入のことと拝察。出番が終って客席に周って舞台を観ると、この劇場がいかに歌舞伎芝居の寸法と雰囲気にどんぴしゃりなのかを改めて肌で感じる。
11月29日(火) 20:00 祇園川上
南座の稽古終了後、すっ飛んで行く。御主人は言わずと知れた松井今朝子女史の父上。齢80歳だが、その御健在振りが嬉しい。鰆のお造り、かぶら蒸し、白味噌のお椀、どれもこれも舌が蕩けるほど美味い。これは絶対守らねばならぬ日本の文化である。歌舞伎に携わる人間もこの守るという作業を私自身の自戒を込めてよく反芻せねばなるまい。
店を出た途端、取材で来京している前川文子女史から呼び出しが掛かり、先斗町 し乃で飲み直し。
11月27日(日) 京都入り 暖冬でいつにもましてポカポカ
陽気である。紅葉真っ盛り。
10月31日(月) 19:00 渋谷オーチャードホール 能楽劇「夜叉が池」
梅若六郎師が長年温めてきた企画で、能の普及というよりもう1歩踏みこんだ企画。村上湛氏の脚本・修辞。六郎師の白雪姫の長絹の銀の鱗模様が照明に映えて美しい。全体によく纏まっており、見応え充分あるが、もう少しテンポを出したいのと、プロローグの主題歌?と百合が唄う挿入歌の曲調が余りに現代的で興を削ぐ。また、洪水の舞台表現を今ひとつはっきりさせたい。2000席満員の盛況。
10月29日(土) 19:25 渋東シネタワー  「春の雪」
昨今の純愛ブームから思い付いた映画化かもしれないが、三島の難物をよくもまあ今時取り上げたものと唖然。しかし、三島の「春の雪」とは別物と思えば腹も立たない。見事な映像美だし、主演の妻夫木聡も竹内結子も周りがミスキャストが多い中、大変良く演じていると思う。だから、充分情状酌量の余地があったのに、ラストの、来世では清顕と聡子が結ばれるという暗示に一気に血の気が引き、エンディングの宇多田ヒカルの主題歌が全てを水泡に帰した。行定監督には、商業主義を排した映画を思う存分撮ってほしいが、それは実は本人が望まないことかもしれない・・・・・・・。
9月13日(火) 19:00 三軒茶屋世田谷パブリックシアター 「敦−山月記・名人伝」
野村萬斎 構成・演出による中島敦の小説の舞台化。中島敦の作品は、冥の会をはじめとしてこれまでも様々に劇化されてきたが、私はいずれも見逃しており、舞台作品は今回が初見である。
私は学生の頃から中島敦を愛読しており、特に「山月記」、「名人伝」、「弟子」などには深い感銘を受けたから、これらの作品に対する思い入れも一入である。今回、萬斎氏は中島敦の自分捜しという大枠を持ってきて、この2作品そのものよりも、まず敦自身を優先させた。敦の視線が常にあり、特に「名人伝」は萬斎自身が敦であり、また主人公の紀昌でもあるという2重構造。「山月記」の主人公李徴は野村万作師が演じるが、そこにも萬斎演じる敦の眼差しが常に存在する。萬斎の目の付けどころは面白い。が、なぜこうも舞台が白々しく、少しの感動も私に与えてくれないのはなぜなのか?やはり大事なのは萬斎が「山月記」と「名人伝」をどう読んだかであろう。では、かく言う私はこの2作品をどう解釈したか。端的に言う。「山月記」は生きることの下手な男の苦悩と挫折とその果ての狂気がポイントである。「名人伝」は、その道を極めようとする人間の狂気と凄みとその到達した果ての砂漠のような、しかし崇高な虚無の世界である。私はそう読んだ。
萬斎氏が言う、能狂言の技法を用いて、現代劇をつむぎ出すという試みには私も大賛成である。私自身も歌舞伎の可能性を探るべく色々と試みているからである。しかしそれならば、萬斎氏はもっと傷ついて、苦悩して、裸になって、そして能、狂言をいっぺん捨てて、そこから再出発せねばならぬ。
端的に言う、萬斎氏は「山月記」も「名人伝」も少しも読めていない。しかし、超満員の客席は萬斎のファンで埋め尽くされ、スター野村萬斎は、舞台の真中にただただ屹立するばかりである。嗚呼!何をか言わんや!
9月9日(金) 19:00 両国シアターX 「ラコタの月」
サンフランシスコを拠点に活動するシアター・オブ・ユーゲンの土居由理子氏が「ラコタの月」(旧題 クレイジーホース)を引っさげて、初の日本公演を実現した。私は1994年に郡司正勝先生の「サロメ」、また1997年にロルカの「血の婚礼」で土居氏に招かれて、彼の地サンフランシスコで、土居氏の演出の元で一緒に仕事をした経緯がある。土居氏は、日本の能楽、狂言に精通し、歌舞伎にも造詣が深いので、その点をベースに伝統と現代の狭間で、また異文化同士のぶつかり合いの中で、新しい演劇の地平を拓こうとしてこられた。私は土居氏の意図することを理解し、その苦労を思い、これに賛同して、彼女と共同作業をしてきたのである。
今回の「ラコタの月」も、土居氏のその志しの延長線上にあり、シアター・オブ・ユーゲンとしてはシンボリックな作品に仕上がっている。が、今ひとつ観客の心を打たないのは、土居氏が余りに能楽の形式やアメリカ原住民族の儀式性にこだわったからではないのか?その様式美や音楽のコラボレーションは十二分ながら、そこにとどまってしまったのは、はなはだ残念である。
猛暑のニューヨーク紀行
8月16日
正午 39丁目257番地スタジオ リハーサル最終日。ムーブメントの接点を見つける作業。高瀬氏の提案で、カレンに私が歩くという行為、踊るという行為の日本的表現を教える。真似をするのではなく、心理的な入り方や身近な音楽からリズムを掴むことを提案。彼女はよく理解してくれた。しかし、小道具の用い方など高瀬氏と私の意見の食い違いも多く、道は険しい。
19:00 47丁目ドンブリヤ カレンのリクエストで日本食のお店にて打ち上げ会 一樹氏の友人で映画関係の仕事をしているMASA氏も同席。一樹氏との議論は尽きないが、何とか実現に漕ぎ尽きたいものだ。明日出国。中身の濃いニューヨークの一週間だった。(了)
8月15日
午前 昨夜の雨のおかげでだいぶ過ごしやすくなった。 正午 39丁目257番地スタジオ カレン、一樹氏とミーティング及び下稽古。新しい演劇の地平は何処にあるのか?またそれを模索する方法は?つくづく考えてしまう。もっともっと突っ込んだ話し合いが必要だ。
15:30 NY近代美術館 谷口吉生氏設計による新装相なった館内、ピカソをはじめとする近代美術の数々。見所満載だが、トイレへの目配りの不行き届きと商魂たくましいのには呆れるばかりだ。維持が大変なのは何処も同じということか?
19:30 いつも渋谷の某店でお世話になっている福井先生のお嬢さん、晴子女史にはじめてお目に掛かる。学生の時からニューヨークに住み、ニューヨークを熟知した彼女から、人々の気持ちや街の様子など最近のニューヨーク事情について貴重なお話しを伺う。また、グラマシーの美味しいイタリアンのお店 NOVITAを紹介して頂いた。
8月14日
正午 ワールドトレードセンター跡地 フェンスに覆われたグラウンドゼロをのぞき見て、そのまま目を雲ひとつない夏の空に移すと、あの大惨事の虚しさが込み上げてくる。合掌。それにしても、いまだ事故の痕跡を残す周辺のビル群が生々しい。
15:00LUNT FONTANNE劇場 美女と野獣 アニメそのままで、底は浅い。が、ガストン達が酒場で繰り広げるジョッキを使ったダンスシーンは圧巻だ。 終演後、劇場を出ると遠雷が聞こえる、と思いきや数分後に猛烈なスコール。やれやれ、これでやっと涼しくなった。
8月13日
あまりの暑さに午前中ダウン。近代美術館行きを断念。
15:00 カレン、一樹氏とミーティング及び下稽古。カレンはなかなか手の内を明かさない。私が正直過ぎるのか?一樹氏曰く あなたを値踏みしているんでしょう って? ええっ!!
17:00 REIKO BAUMさんに4年振りにお目にかかって夕食をご馳走になる。一樹氏を我が子のように可愛がっているのが言葉の端々に滲む。
23:00 REIKOさんのもとを辞して、イーストビレッジで一樹氏と深更まで飲む。このあたりは一樹氏がはじめて渡米した時住まいを構えた思い出の地。若者や学生が多く集うバーや日本食の店が軒を連ねている。若者に混じって、我々も学生時のような演劇論議に時間を忘れた。
8月12日
正午 39丁目257番地スタジオ。共演するカレンとの下稽古。
15:30 韓国飯店で一樹氏と遅い昼食。
20:00 ブロードウェイMINSKOFF劇場。屋根の上のヴァイオリン弾きTevye役のHARVEY FIERSTEINは愛敬たっぷりで肝っ玉父さんの面目躍如。サンライズサンセットはやはり不朽の名曲である。
8月11日
正午 メトロポリタン美術館。光琳の八つ橋図がみたかったのだが、常設展示ではなく、また日本ギャラリーも閉鎖中で残念。マチスの特別展が開催中でこれは見応え十分。
20:00オフブロードウェイ ユニオンスクエア劇場。SNOWSHOW ピエロの、いわゆる道化パホォーマンスだが、ロシアの俳優達の自在な演技が見事である。笑いの中に終末感と寂しさと凄味がある。歌舞伎の大太鼓の雪音の効果を用いていてびっくりした。ラストの客席を巻き込んだ猛吹雪は窒息しそうである。
8月10日
ニューヨーク入り。暑いっ!東京以上の猛暑である。これまで二度、寒い時季のニューヨークしか知らなかったから、いささかびっくりした。街全体に熱がこもって、いわゆるヒートアイランド現象の極みみたいなものである。さて、この度はニューヨークに在住して独自の活動を展開している演出家の高瀬一樹氏と再会して、来年ふたりで計画していることの詳しい打ち合せと演出の方向を見定める為の下稽古。だんだん煮詰まってきた。夜半、四年前に来た時にも彼が連れて行ってくれた美味しいシーフードレストランDOCKSで夕食。岩牡蠣と海老のカクテルと白ワインで乾杯!旧知を温める。時差ぼけのせいか酔いが早い。
巡業グルメ紀行
旅から旅の毎日は、籠の鳥にとって、その土地土地の美味しいものをいただくことが何よりの楽しみであり、慰みです。以下、取り敢えず…。
7/5 盛岡 夕刻、偶然入った居酒屋で、本日のオススメのボードに「モーカの星」とあった。何か?と尋ねたら、鮫の心臓!?だと言う。好奇心旺盛な私は即座に注文した。流石!フカヒレを量産している宮古から食材が流通する土地ならではの珍味、レバーに似た食感に私は我を忘れて舌鼓を打ちました。
7/11 郡山 昼下がり 薄皮饅頭で有名な柏屋本店。ここの名物は薄皮饅頭はさておき、黒蜜をかけて食べる豆寒天。健康にもいいし、まさに絶品の味!是非お試しあれ!
竹に雀の平盃(九谷焼き)
7/16 金沢 この地は美味しいものがあり過ぎて紹介しきれません。その中の一店、ビールのぴるぜんの姉妹店「だんだら」。元公邸料理人の永田シェフの作る品々はビールとの相性抜群!加えて、カウンター担当の日系三世のエルビス君の陽気で心温まるもてなしに旅人の疲れた心も癒されます。そうそう、忘れていました、夕方、諸江屋さんで大好きな九谷焼きのぐい飲みを買いました。竹に雀の柄の平盃で、出会うべくして出会ったという思いです(写真参照)。さて、旅はまだまだ続きます…。
6月某日
博多座出演は4年振り。博多は人々の気風がいいし、美味しいものがたくさんあるので、来演を楽しみにしていた。今月は昼夜出ずっぱりなのでいささかグロッキー気味だが、なによりのストレス解消は美味しいものと美味しいお酒をいただくことである。
まず、中洲の「ごっそう道楽」のとり貝のあぶりは絶品。トマトも濃厚な本物の味。近くの「KACHUSHA」は昔ながらのショットバー。様々なカクテルが楽しめる。多門通りの「鹿六」は地酒と田舎風のお惣菜が美味しい。
春吉橋まで足を伸ばすと、橋の西寄りのたもとに「BLUE BAR」。青い間接照明に彩られた小さな店内はセンス抜群。マスターの菊渕君が笑顔で出迎えてくれる。彼は二十歳前から修業を重ねているベテランバーテンダー。好みに応じて美味しいカクテルを作ってくれる。(写真参照)。
その橋のたもとを横切った路地奥に和食処「里」。ここは「ごっそう道楽」で修業していた里 和直君が今月6日に晴れて開店したばかりのお店。まだ、てんやわんやの状態だが、同級生のほしくま酒店の岩永君や養鶏場の末崎君の協力体制が涙ぐましい。その姫どりのから揚げやもも焼きは実に美味しい。
川端商店街には、お馴染み「遊膳」。ここのこぶ漬け明太子は全国的に有名。カウンターでいただく御主人稲益さんのおまかせのひとしなひとしなは、どれもこれも絶品のものばかり。色彩豊かな器の数々も楽しめる。劇場周辺では、割烹「えびす堂」。御主人河原さんはまさに直球勝負、食材のよさを最大限に引き出す。この時季、鱧しゃぶは至福のひととき。お猪口を使った酒肴の数々も楽しい。
BLUE BARのお馴染みジントニック ウォッカと紫リキュールとラズベリーリキュールとグレープフルーツのオリジナルカクテル
1942年創業の「Chocolate Shop]は老舗中の老舗。様々なチョコレートが楽しめる。この他にも美味しいお店は数々あれど、とても御紹介し切れません。またの機会に御容赦あれとほゝ敬って・・・・・・・・おゝ満腹。
5月3日 11:00 歌舞伎座初日
18代目中村勘三郎襲名披露興行3ヶ月目、東京最終月である。当代中村屋丈には色々思い出がある。
1、1989年 奇しくも先代中村屋丈一周忌追善。歌舞伎座興行の楽日近い4月23日。舞台を了えた私は三原橋交差点を横断しようとして、前方不注意の右折車にはねられた。大変な大雨の晩だった。
木挽町病院に入院した私を、翌日昼の部の舞台を了えた当代中村屋丈が見舞って下さった。耳に白粉を残したまま仰天した表情で病室に駆け込んでこられた姿を私ははっきり憶えている。舞台に穴を空けてしまった私を咎めもせず、早くよくなってと励まして下さったその恩義を私は生涯忘れません。
2、1995年9月 故郡司正勝先生の作・演出「青森のキリスト」が両国のシアターXで上演された。私はマリアで出演していた。いわゆるアバンギャルドな郡司ワールドだったが、初日の翌日、朝日新聞の夕刊にいい劇評が出た。それを読んだ当代が舞台の合間を縫って早速掛けつけて観て下さった。幕になって楽屋に来てくださり、「何だか訳わかんなかったけど、面白かったよっ」と目をまるくしてしていられた姿も私ははっきり記憶している。
3、1997年10月 歌舞伎座夜の部「鏡山」の通し。当代初役のお初。私は尾上方の腰元に出ていたが、序幕の竹刀打ちで、お初が余りに健気で可愛らしいので、私はそっとエールを送った。むろんわからないようにそっと。しかし、当代はそれに気ずいていて、とても喜んでいたと、後に関容子先生から間接的に伺った。
4、お岩さま東京初演の時、吹き替えに使って下さったのも当代だった。「紅葉狩」初演の折、名題さんに交じって、名題下だった私を腰元に使って下さったのも当代だった。「盲目物語」の侍女で、当代の弥市に三味線と撥を渡す時、間がいいとも誉めてくださった。その他、「勘定奉行」のCMがオンエアされた時も、新派の「遊女夕霧」に挑戦した時も、心から励まして下さった。まだまだ、当代の人情に触れた思い出は数々ある。勘三郎の名を継がれて、益々活躍され、大成されんこと願うや切。
4月26日 16:30 岩波ホール 映画「山中常盤(やまなかときわ)」羽田澄子演出作品。
羽田氏は社会派の監督として、老人問題や平塚らいてう、また、13世片岡仁左衛門丈の記録映画等々見事な作品をものされ、現代日本文化の中核に座す方である。私も20年以前、故小堀杏奴先生の御紹介で知遇を得た。この「山中常盤」は、浮世絵の開祖と言われる岩佐又兵衛作と伝えられ、常盤御前と牛若丸の受難と復讐の物語を古浄瑠璃から題材を得、一種異様な光彩を放つ全12巻からなる絵巻物である。羽田氏がこの絵巻を映像に納めようと思い立ってから37年目にようよう完成した。大変な労作である。鶴澤清治師の作曲がテンポよく、ともすれば単調になりがちな画面を飽きさせずにひっぱってゆく。しかし、実写の風景や人物が何度も挟まれるのはかえって興を削ぐ。もっと絵巻の力を信じてほしかった。もし挟むのであればプロローグとエピローグだけでいい。羽田氏の客観的な視点はそれだけでも充分伝わると思う。妄言多謝。。
4月24日 正午 目黒 14世喜多六平太記念能楽堂
春の昼下り、久々にお能三昧の半日を過ごす。
狩野了一氏の「忠度」がその仁のよさ、技芸の確かさで間然するところがない。花も実もある能楽界のホープである。忠度の文人らしさがもっとほしいところだが、喜多流の芸風とてしかたがないか?松井彬師の「湯谷」は清水寺へ向う牛車のなかで、つと前へ出て轅(ながえ)に左手を掛け東の空を振り仰いだ風情が抜群。母を想う気持ちと春を惜しむ気持ちがオーバーラップする。
会場で偶然、友人の某氏に久々にお目に掛かった。某氏はお能、歌舞伎、茶の湯等々あらゆる日本の文化に精通しておられ、私より年若だがいつも会話のなかで示唆されることが多い。浅学で能楽界のことにはとんと疎い私だから、今回も狩野了一氏のことを誉めたら、「それは当たり前です。私は彼の才能を彼の初舞台の時から認識していました!」と一蹴されてしまった(驚!呆!納得!)
4月11日(月)19:00 渋東シネタワー 「ハウルの動く城」
宮崎アニメは「魔女の宅急便」くらいしか観たことがなかったが、このハウルは久石譲の音楽「人生のメリーゴーランド」があまりに素晴らしくて、耳について離れないので、それに惹かれて観にいった。ハウルを恋する主人公の少女が魔女の為に老婆にさせられてしまう。しかし、少女はめげないでハウルに尽くす。その老婆の目線を通して描かれる少女の恋心が爽やかで客観的で観る者の心を揺さぶる。そのフィルターの使い方、着眼は目を見張るものがある。だから、途中老婆が何度も少女に戻る駄目押しは必要なかった。ラストに集約させたい。
4月7日(木)
春、桜満開!毎年楽しみな風景です。
 近所の桜並木です  同じく近くの公園  同じく公園
4月3日(日) 16:00 三軒茶屋 松井宅
小説家の松井今朝子女史から一昨日電話があり、京都の実家よりたけのこが送られて来て、私が調理するから参集せよとのお達しが掛かり、「それっ!」とばかり白ワインを抱えて喜び勇んで駆け付ける。今朝子女史は言わずと知れた祇園の料亭川上のご長女。まず、はじめは筍の木の芽和え、次が筍と生麩の炊き合せで、メインは筍、椎茸、ふきのとう、たらのめ、牛肉の天麩羅、シメは若布いっぱいの若竹汁と筍ご飯。さすが、お父上ゆずりの包丁さばきは見事なもの。特にお椀のお出汁は本格。ご飯の味付け、炊き具合も寸分の狂いなく、美味しいのなんのって!至福の時とはまさにこのこと!春の味を満喫致しました。さて、今朝子女史の新刊「家、家にあらず」が、今月下旬集英社から上梓されます。御殿女中が主人公の時代小説です。こちらもとても楽しみです。皆様も是非是非ご購読賜りますよう御案内申し上げます。
---2005年欧州歌舞伎舞踊レクチャーデモンストレーション公演の間の日記はこちらに移動しました!---
3月6日(日) 0:10
フジテレビ「僕らの音楽」 忌野清志郎35周年。
ロックミュージックなど私にはとんと縁がないが、忌野さんの名前だけは知っていた。初めてじっくり聴いてみて、その重ねた年齢の味わいが、たとえばメッセージ的な曲でも一種の哀調を帯びて胸に迫る。私は聞きほれてしまった。舞踏の大野一雄氏似の風貌(!?)と極彩色のパンクスタイルが素敵に決まる。これからも聴き続けていこうと思う。
3月4日(金) 正午 歌舞伎座楽屋
渡航前に師匠に挨拶。「気をつけて行ってらっしゃい!」と元気に励まされる。
夕刻 渋谷傍店
ニューヨーク在住の高瀬一樹氏来日。
久々にお目に掛かる。以前より計画していることの打ち合わせ。彼の演出プランが段々見えてきた。あとから無名塾出身の高川裕也氏合流。雰囲気のある実力派の俳優さんで、私は共演したい芝居がたくさんある。
3月1日(火) 早朝
もう3月だというのにこの寒さはどうしたことだ。春の雪という季語があるが、今年はとりわけそんな思いがけない天候がまだ続きそうである。「オペラ座の怪人」が渡航前にどうしてももう一度観たくて、稽古の合間をぬって上映館に駆けつける。
2月26日(土) 早朝 世田谷大蔵
来月の海外公演で使用する音響作成の為、五條師、高久氏(舞台監督)と3人で吉羽氏のスタジオに集合。正午過ぎ無事終了。今朝は大変な寒さで震え上がるが、この大蔵辺りはそこかしこに紅梅や白梅の見事な枝振りが点在する誠に長閑な風景。この寒さの中でキリリと咲き誇る梅の花を見ていると、異常気象の危惧などしばし忘れる思い。こうして三寒四温を繰り返しながら、待ちかねた春が確実に到来するのであろう。しかし、呑気なことも言ってられない。この寒さでどうやら鼻風邪を引いたようだ。ハックション!
2月11日(金・祝) 午後 国立大劇場
日本舞踊協会公演  長唄「楊貴妃」
五條雅之助師、林千枝師
いかにも雅之助師らしい振付で楽しめた。千枝師も適役。玄宗皇帝は出から酔夢までもう少し思い入れで運んで欲しいのと、ラストはやはり紗幕を降ろすべきだろう。常磐津「靭猿」は花柳流の女流お三方。これが早咲きの梅の花のような馥郁たる舞台で、私は目を見張った。ベテランの方々だから当然といえば当然だが、キチンとした振りの伝承、感情表現(芝居)の的確さ、間然するところがない。私はそこに歌舞伎舞踊伝承者としての日本舞踊家の本来あるべき姿を観た思いで感銘深かった。素晴らしい出来栄えであった。
2月9日 9:45  渋東シネタワー
「オペラ座の怪人」 作曲者アンドリュー・ロイド=ウェバー自らのプロデュースによる映画版。舞台版に近寄り過ぎているという批判もあるが、どうしてどうして映画ならではの醍醐味満載で150分近くを一気に観せる。見事な出来栄えである。ひとつだけ難点を言えば、これは舞台版にも言えることだが、ファントムの芸術家的側面 (つまりクリスティーヌを育てたという事実)がもっと明確に描かれれば、ファントムの愛も、作品としての深みも増したことであろう。しかし、必見の一作である。
二月某日
今月は舞台に出ていないので、油断して風邪をひき、熱が出た。思いの外軽く二日間寝込んだだけで済んだが、近頃、おのれの肉体との格闘が日に日に増して来た昨今である。
1月27日(木) 18:00 歌舞伎座
清元志寿太夫七回忌追善の会 師が切に「雁金」を踊った。師はまた一段と高い芸の境地へ行ってしまった。我々には絶対手の届かない芸の深奥へと・・・・・・・・。
1月19日 深夜 自宅
なんだか急に中島敦が再度読みたくなって本の山から引っ張り出す。中島敦を読みたいと思ったのは、以前つとに有名な「山月記」を知ったからで、むろん「山月記」も好きだが、私は孔子の弟子の子路を描いた「弟子」が一番好きだ。師と自分との関係がオーバーラップする。しかし、私は子路にはなれないし、子路の生き様は到底なぞれない。そんな自分が情けない。
1月16日(日) 16:30 日比谷シャンテ・シネ
「五線譜のラブレター」 紫若さんに是非にと薦められて観たミュージカル映画。作曲家コール・ポーターの生涯を描いたものだが、コール・ポーター役のケビン・クラインが抜群の上手さ。妻リンダ役のアシュレイ・ジャッドも美しく、存在感充分。こういう作品にありがちの編年体で話が飛ぶ荒さはあるが、それを補ってあまりあるのが、劇中使われるポーターの名曲の数々。中盤から一気に盛り上がる。最近のミュージカル映画では、「シカゴ」が抜群の出来映えだったが、それに優とも劣らない。ただし、「五線譜のラブレター」という邦題は陳腐。客足が伸びないのもそのせいではないのか?でも、お奨めの1作。
1月14日(金) 18:30 国立小劇場
若柳吉蔵師のリサイタル。吉蔵師とは面識はないが、2003年に踊った「石橋」が大変評判が高く、芸術祭の新人賞も取られた。今回東京初演ということになったので是非拝見したいと以前より思っていた次第。前ジテの扱い、舞台構成等々疑問点はあったものの、後ジテは精悍そのもので、将来を嘱望される大物と納得。
1月8日(土) 20:00 渋谷某店
吉村古ゆう氏と会食。古ゆうさんは地唄舞吉村流の若手で、昨年のリサイタルでは芸術祭優秀賞を受賞された逸材。その舞台姿は亡き雄輝師にびっくりするほど生き写しで見事な舞い振り。自身で絵も描かれるほど意匠のセンスも抜群である。
1月3日(月) 正午 国立劇場初日
師匠の女暫が踏み足の音高らかに揚幕を出て行く。その気魂に圧倒されつつも、なにせ高齢のこととて気が気ではない。こちらの寿命が縮まりそうというのが本音である。でも、師匠には千年も万年も長生きしてほしい。
1月1日(元旦) 早朝
昨日の猛吹雪が嘘みたいに今朝は凱風快晴。元日はこうでなくてはならない。ことに暗い幕切れの2004年だったから尚更である。今年も一生懸命生きようと誓って、すぐ怠け癖がでる心身に鞭打つ!
2004年
12月26日  千穐楽
師匠も元気で一安心。こっちがこれほど心配しているのに、「年寄扱いするな!」などと強がりを言ってふてくされる。可愛くない! 来月の女暫が思い遣られる、再び嗚呼!!なにはともあれ、無事に打ち上げおめでとうございます!
12月23日 早朝
今年は暖冬で気持ちが悪いくらい暖かだったが、このところやっと寒くなり今朝は北山時雨が降って京都らしい空模様。夜 師と一門の食事会。このところ毎晩宴席が続くので、少々内臓が疲労気味、嗚呼!
12月15日 21:30 祇園 グルメ三田
女形有志の忘年会。 三田さんの鶏の水炊きは最高!鶏肉自体に深い味があって美味しい!美味しい!
12月6日 21:00 木屋町 し乃
随心院の英 良彦氏に一年半振りにお目に掛かる。随心院は小野小町ゆかりのお寺で、取材の折に英氏には大変お世話になった。この度も色々と興味深いお話しを伺い、杯を重ねた。
11月30日 初日 
<正午> 楽屋入りの前に表に回って、まねきの庵看板を見上げる。顔見世へは4〜5年振りだが、やはり自分の名前をまねきに見届ける気分はまた格別。「お祭り」の師匠の後見と「助六」の揚巻付きの番新というこれまた責任重大な二役。気を引き締めて楽屋口へ向かう。
<14:40> 「お祭り」開演 花道から病気回復の成田屋が登場すると、超満員の客席は物凄い割れんばかりの拍手。成田屋の旦那の胸の内はいかばかり、こっちも胸が熱くなった。
11/29〜12/3
南座の顔見世興行は11月30日が初日だから、11月末から12月のあたま、芝居が落ち付くまではもうてんやわんやである。
そんな時、終演後に美味しいものを頂くのがなによりのストレス解消となる。とにかく京都は美味しいものが揃っているのである。まずはいつもご贔屓に預かっている三田さんで牛ヒレのステーキ、最後に頂くご飯におじゃことおこぶのハーモニーがたまらない美味しさ。次にやす川さんの明石の蛸!これを食べずしてなんの京都ぞ!そして湯葉のうすくず煮、まさに京ならでは!日本酒が進む。し乃さんでは、かつおの甘辛煮が絶妙。豚の角煮もとろける美味さ、いっしょについてくるお豆腐もたまらない!かぼちゃのたね(お店の名前です)さんでは、なんといってもかぶら蒸しを食べいでか!冬の京都の絶品のひと品。白味噌仕立ての雑煮も京都ならでは。丸餅と甘辛の味噌とのなんと相性のいいことよ!まだまだいっぱいありますよーっ!折角先月2キロ痩せたのに、この分だと・・・・・・(汗)まだ20日以上あると思うとぞっとする京蔵でした。
11/27
本日15:34、京都入り。一年の経つことの何と早いこと!夜、TVでサザンオールスターズのスタジオライブを見る。サザンは大好きで、カラオケもサザンオンリー!(汗)サザンは歌詞も曲もまさに傾奇(かぶき)で、日本語と英語が入り乱れているところなんか堪らないっ!桑田も野外ライブのTシャツに短パンなんかよりもこのド派手な正装のほうが傾奇らしくていい。今度の新曲「愛と欲望の日々」はTV「大奥」の主題曲だが、サザン傾奇の真骨頂!全曲サザンで小町シリーズの音楽劇を演りたくなったっ!

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