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京蔵の気まぐれ日記 2011年を振り返って (上の巻)
1月3日 天王寺屋旦那逝去
私は天王寺屋の旦那に「旦那の芸風は、青年が青春の真っ只中をいつも疾走しているようですね」と臆面もなく申し上げたことがある。すると天王寺屋の旦那は「そうかもね」とニコニコして頷かれた。

昭和39年1月日生劇場での「勧進帳」。天王寺屋の弁慶は滝流しでの段で、花道揚幕までクルクル回りながら、まさに疾走した!9歳の私は、このまま弁慶は引っ込んでしまうのか!?と本気で驚いた!
昭和42年3月歌舞伎座夜の部 「忠臣蔵」11段目討ち入り奥庭泉水の場。 天王寺屋の小林平八郎、澤潟屋の竹森喜多八の一騎打ち!遂に浪士にとどめを刺された天王寺屋の小林は、断末魔よろしく泉水の橋の上で海老反りになる。舞台はそのまま炭小屋に回って行く。その眼をカッと見開いて両手を合掌して海老反る様が今も鮮やかに眼に浮かぶ。
そしてそのあとの切り狂言がなんと天王寺屋と澤潟屋の「連獅子」!両雄の獅子が石橋に見立てた二畳台の上を縦横に跳躍し、紅白の獅子の毛が名刀よろしく空間を切り裂く。後にも先にもこんなすごい連獅子を観たことない!
某年某月某日 NHK芸能百選 「二人椀久」 「団子売」。うちの旦那と天王寺屋の旦那の舞踊二題。年月日は失念した。椀久と松山が松林の中を疾走するスタジオをめいっぱい使ったテレビならではの「二人椀久」。 テレビに噛り付いて夢中で観た!再放送まで観た!月日は経って、役者になってからNHKの方に聞いたらその画像は消失したとのこと!嗚呼!なんたること!無念やるかたない。
昭和53年6月 第1回「矢車会」昼の部「二人椀久」。ふたりの恋の狂騒が頂点に達し松山がセリに消えた瞬間、客席は興奮のるつぼと化した!その一瞬を私は絶対に忘れない!

思い出は尽きない!旧演舞場での「娘道成寺」、「勧進帳」。平成9年12月のフランス公演での「吃又」、「二人椀久」・・・・・・・・・・・・・。しかし天王寺屋の旦那は、疾走したまま花道の彼方に忽然と消えて行ってしまった!
100歳まで生きると云っていたのに・・・・・・・・・。合掌
2月22日
8:51(日本時間)ニュージーランド クライストチャーチでM6.3の地震発生。
クライストチャーチは2004年8月の歌舞伎レクデモ公演で訪れた。
ニュージーランド南島中部に位置するこの都市はガーデンシティーと云われるほどの美しい街で、また訪れたいとずっと思っていた。
都市直下型の地震で震源も浅く、大聖堂をはじめ建物の被害甚大。日本人留学生の死者多数。ご冥福を心から祈る。
3月11日
14:46 東日本大震災発生。  1000年に一度の大地震!だと云う。
言葉が出ない。どう受け止めていいのか・・・・・茫然自失。
地震、津波、牙を剥いた自然に人間は為す術もない、この無力感・・・・。
しかし、原発事故は自然災害ではない!驕るな人間!
普通に暮らしている自分に罪悪感さえ感じる。驕る人間は自分自身でもある。
3月27日
14:00 紀州道成寺境内野外舞台  奉納舞踊「豊後道成寺」
三年目となる「桜・舞・道成寺」という地元日高町のイベントで、素踊りで「豊後道成寺」を踊らせて頂いた。
震災直後でもあり、今年は震災復興チャリティー公演として開催実現。
招聘下さった日高町の皆様、道成寺院代小野俊成様に心から御礼申し上げます。
4月9日
11:00 国立大劇場 若柳秀次朗三年祭「吉蝶会」
父親のやうに親しく、公私共にお世話になった秀次朗師の三年祭に、ご長男の市川新十郎さんと共に「振袖山姥」を踊らせて頂いた。
「振袖山姥」は先代若柳吉三次師が伝承されていた貴重な演目で、師雀右衛門も三回ほど演じていて、師も大変好んでいた舞踊。
秀次朗師も上演を望んでいたが果たせず、今回、夫人圓師が私に勧めて下さった。
有難かった!嬉しかった!夢中で踊った!
秀次朗師のご冥福を心からお祈り申し上げます。
(下の巻 次号)

【今月の京蔵】
 皆様、お寒うございます。お変わりございませんでせうか?
インフルエンザが牙を剥き始めております、くれぐれもご自愛くださいますやう。

 さて、お正月の新橋演舞場を振り返ってみますと、昼の部「加賀鳶」の口入婆お爪は、昨年3月の「筆屋幸兵衛」の長屋の婆お百に続き2度目の婆役でした。
 いつもはあんなにお婆さんにしなくてもいいのですが、私はまだまだ(いえ、中途半端に)若いし!?それに口入業ということも考えて役造りも扮装も工夫してみました。松竹衣裳の松本さんが着付も帯も半纏もドンピシャリのものを用意してくれましたので助かりました。
 頭はお百の時のをそのまま用意してもらいました。ああいう頭はごまと云いまして、白髪の度合いを役に応じて調整します。お百の場合はもうひとりの長屋の女房おつぎとの対称上あれだけ白勝ち(白髪が50パーセントでした)でもよかったのですが、このお爪では白勝ち過ぎて(つまり時代過ぎるという意味です)もう少し黒勝ちにすればよかったと反省しています。
 また、衿に掛ける手拭もかなり汚したのですが、舞台に出ると照明の具合で白く見えるのでよほど注意しなければなりません。足袋は一昨年の「佐倉義民伝」の折、刺し子の黒足袋を誂えたのですが、お百の時も穿いて今回も穿きました。ボロ加減がいい具合になりまして役に立ちました。
 出番は少ないものの、世話物の場合は色々工夫する楽しみがありますし、アンサンブルが大事ですからあだや疎かには出来ません。

 また、夜の部の天王寺屋の旦那一周忌追善の「連獅子」では、ご子息鷹之資さんの後シテの隈取りのお化粧を仰せ付かりました。
 お世話になった天王寺屋の旦那のご追善ですから責任重大でしたが、健気な鷹之資さんの舞台振りにこちらが励まされてなんとか楽日まで勤め遂せました。
 昼夜とも無事に勤められましてホッとしております。

 なお、今月も引き続き演舞場に出勤致します。昼の部の「河内山」、松江邸の腰元を勤めます。
 六代目中村勘九郎襲名興行に皆々様の賑々しきご来場を賜りますやうご案内申し上げます。
CM「勘定奉行」より
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