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雀右衛門取材会が行われました~歌舞伎座 三月大歌舞伎『男女道成寺』


 歌舞伎座「 三月大歌舞伎」昼の部では、四世中村雀右衛門七回忌追善狂言『男女道成寺』が上演されます。父・四代目中村雀右衛門の得意役でもある白拍子花子を、当代中村雀右衛門が勤めます。公演に先立つ2月吉日、都内の竹葉亭本店にて取材会が行われました。四代目雀右衛門にゆかりのある場所で、雀右衛門が父の思い出と公演に向けての意気込みを語りました。

【中村雀右衛門】
 あっという間に七年も経ってしまいました。私としてもその間に(五代目中村雀右衛門)襲名もございましたので、時の長さが意外と短いものだなということを改めて感じました。父は一番最後に、こちらの竹葉亭の鰻を食べたいということで食しました。その思い出の場所でこの度の七回忌追善狂言の取材会をしていただきまして、誠にありがとうございます。

 追善狂言の『男女道成寺』は、今回、尾上松緑さんに男の方で出演をしていただきます。父は、亡くなりました松緑さんの父、初代尾上辰之助のお兄さんと、よく『男女道成寺』を踊っておりました。私はその様子を傍で拝見をしておりまして、いつかあのようにできればいいなと思っております。そして、松緑さんのお爺様にあたる二代目尾上松緑の伯父にもとても大事にしていただきました。その伯父のお孫さんである松緑さんと共演させていただけるということはとても嬉しいことでございます。また、父と辰之助のお兄さんの年齢差と、私と松緑さんの年齢差が大変近いということも何かご縁があるのかなと思わせていただきます。今回は父のゆかりということで、藤間宗家の振付で踊らせていただきます。松緑さんとは小さい時からご一緒していますので、いろいろとお話をしながら振りを合わせるということも含めて、藤間勘祖先生のご指導を仰ぎながら、一つひとつ作り上げて初日に向かっていきたいと思っております。

 父は道成寺物、『京鹿子娘道成寺』を筆頭に、その他『豊後道成寺』であったり、『現在道成寺』や『男女道成寺』『二人道成寺』と、いろいろ勤めておりました。今回は父にご縁のある方と一緒に、ご縁のある狂言を勤めることが父に対する一番の追善になるのではないかなと思い、『男女道成寺』をさせていただくことになりました。本来は、私が父に「少しは成長したかな」と思ってもらえることが一番の追善になるのかと思いますが、それに向かって精一杯努力して、お客様に父の面影を思い出していただけるようなものにしたいと思います。『道成寺』については、振りの一つひとつの動きから、子供心にこの踊りは大変辛いんだなと、体を使って、使って、使い切らないと踊り切れないと感じた思い出がございます。

 若い時、父は時間のある時に、何故か『道成寺』と『藤娘』は自宅で教えてくれました。ここの形が違うとか、間の取り方とかを教えてくれていましたが、その時は踊ることだけで精一杯でした。頭には残っていましたが、お稽古をしているうちに父の言っていたことが“なるほど”と改めて感じることができました。それぞれの場面で、華やかに踊ったり、きっちりと踊ったり、色っぽく踊ったりという踊り方に変化があることなど、一生懸命教えてくれました。

 父が七十歳を超えて『道成寺』を踊っていたということは凄いことだったなと思います。何故かなと考えてみますと、若い時に8年間戦争に行っておりまして、トラック隊でしたから60キロぐらいの土嚢も運んでいたそうです。その時に鍛えていたことが、七十を超えても『道成寺』という大変な踊りを踊ることができたのではないかと思います。若い時からの父の人生の凄さというものを改めて感じています。

 父の『道成寺』は、色っぽいのと同時に柔軟な体の使い方が特徴だったと思います。父はよく、踊りに限らずお芝居の中でも、胸を横に動かすことがとても大切なことだと言っておりました。歩く時、動く時にもすべて体の中心から、体を使っていくということになるのだと思います。そういうところが、父の姿を見ていて柔らかかったんですね。そこが父の特徴的な部分だったのではないかと思います。

 普段はとても優しい父でしたが、芸に対しては非常に厳しいところがありました。やはり怒られたこと、ここも怒られた、あそこでも怒られたというような、怒られていたという思い出が今では逆にありがたいなと思い出されます。『男女道成寺』でも、踊りながら、ここでこんなことを言われたな、もっと体を使わなければいけなかったんだなとか、いろいろなことを思い出します。父から教わった役については、演じながらいただいた言葉をありがたく思い出すことが多いですね。三月歌舞伎座の舞台では、四代目雀右衛門はこうだったなということをお客様に感じていただけるように、精一杯、追善狂言を勤めたいと思っております。