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「三響會 二十周年記念公演」記者懇親会が行われました

 能と歌舞伎という、二つの異なる伝統芸能の世界で活動を続ける、亀井広忠、田中傳左衛門、田中傳次郎の兄弟による「三響會」が今年で結成二十周年を迎えます。
 その記念公演、「第九回 三響會 二十周年記念公演」が11月27日(月)に銀座・観世能楽堂で開催されます。公演に先立ち記者懇親会が行われ、亀井広忠、田中傳左衛門、田中傳次郎が、二十周年記念公演に向けての意気込みを披露しました。

【亀井広忠】
 いつの間にか20年も歳をとってきてしまったなと、自分の中ではそんな気持ちでございます。20年間いろいろなことをやってきた事を思い出します。番組も、いろいろなバリエーションを作らせていただきました。今年で43歳になりますが、一つの良い節目の公演ですし、これからどうするのかと考え直す時期に来たのかなと思います。
 20年かけて積み上げてきた集大成などとおこがましいことは言えませんが、三人兄弟の積み上げてきたものを、それぞれの音なり、間なり、空気なりに、その思いを精一杯込めさせていただきます。どう感じられるかはお客様次第、その辺の感想などを伺うのも楽しみにしております。皆様には是非とも銀座の新しい観世能楽堂に足をお運びいただければと思います。

 「三響會」の結成当初は「囃子を通じての能と歌舞伎の融合」というのを掲げておりました。そして能のお客様が歌舞伎に、歌舞伎のお客様が能へと、それぞれのお客様が交流していただきたいなという野望を持っておりました。少しはその願いも叶えられたのではないかと思います。
 20年を経て、これからは能と歌舞伎をそれぞれの立場で守っていかなければなりません。例えば、同じ題材、似たような題材で歌舞伎はこういう表現をする、能はこういう表現をするといった、それぞれの世界の良さというものもお客様に観ていただきたいと思っています。

 我々は、新しい銀座の能楽堂の前身である松濤にあった観世能楽堂の舞台で小さい頃から稽古をして参りました。母親の手を傳左衛門がつなぎ、その手を私がつなぎ、傳次郎は母親(田中佐太郎)におぶさって・・・小さい頃から能楽堂や歌舞伎座、国立劇場というのは我々の遊び場だったような気もします。祖父の舞台を観て勉強させられた場でもあり、松濤・銀座というのは我々が育ってきた場所であると思っています。
 今度、歌舞伎の聖地である銀座に能楽堂が乗り込みました。近くには帝国劇場、日生劇場、東京宝塚劇場もあります。そして新橋演舞場に歌舞伎座があり、ちょっと足を伸ばせば国立劇場と国立演芸場もある。ここに能楽が乗り込んだ、ここがまさに日本のブロードウェイになるのではないかなと思います。三響會は、能と歌舞伎の共存共栄というものをこれからも目指していきたいと思います。
 そして、やるべきことは一つです。先輩達、先生方から教わってきたものを次の世代の若い方々に伝えていきたい。普遍的なもの、当たり前にやらなければいけない技術というものを、きちんと舞台と言葉と両方で説明できる人間がいなければいけません。おこがましいですが、その一端を担えるようになれればと思います。


【田中傳左衛門】
 この度、「三響會」が二十周年ということで、20年前と申しますと歌舞伎の方では大阪松竹座がその年の3月に新開場いたしました。同じく3月に私共の祖父・十一世田中傳左衛門が身罷りまして、いろいろなことが20年前にはありました。今回5年ぶり、20年という一つの節目を迎えて、何かしらの会をしたいなということで、開催を皆で企画いたしました。

 20年前に、ひたすら純粋な勉強会として始まり、現在もこれからも純粋な勉強会としてやっていきたいなというのが三響會に対しての思いです。20年いろいろあったなと、いろいろやらせていただいたあっという間の20年だったと思います。今いる方も、亡くなられた方も、いろいろな方に出演していただいて幸せであったなと思います。

 我々も20年経ちまして不惑を迎えまして、これからの三響會は、引き続き我々自身の勉強会であるとともに、同世代の俳優さん、演奏家の方々と次代に伝えていく会にしていければと考えております。
 家元の立場というのは何だろうと考えた時に、やはり守る人間がいないといけないと思います。自分の場合は、ひたすらホームグランドたる歌舞伎座で先人達から受け継いだものを、余さず次の世代に伝えていくということが課せられた使命だと思っています。


【田中傳次郎】
  20年前に結成された「三響會」、その時私はまだ20歳でした。20歳で会をするということの重さということがあまりないまま、最初は兄達についていき、まだまだやんちゃ盛り、生意気盛りだったことを凄く思い出します。それでやってきて、なんとなく自分達で父(亀井忠雄)から学んだこと、母から学んだこと、いろいろな師匠や先輩から学んできたことが積み重なってきて20年来たのかなと思います。
 今回は市川猿之助さんがお怪我ということで出演できませんけれども、今まで出演してきてくださいました数々の俳優さんや同士の皆様、我々と十代の頃からずっとご一緒させていただいている藤間勘十郎さんと共に会ができるということは凄く嬉しく思います。

 振り返ると、我々は幼少期に八世観世銕之丞師に預けられておりまして、そこから会を始めたいという気持ちがあり、最初は銕仙会能楽研究所で第一回目をさせていただきました。その時は200人のお客様を前に会をするということの重さであり、緊張感というものを経験しました。次に博品館劇場でさせていただいて、第三回目からはずっと新橋演舞場でさせていただき、ホームとさせていただきました。その時は、私が24歳で、傳左衛門が25歳、広忠が27歳でした。この歳で、演舞場でリサイタルをやるという大それたことをよくやってきたなと、その頃は“やってやれ”という気持ちが強かったわけですけれども、今考えればなんという生意気なことをしていたんだろうと思います(笑)。
 けれども、そのお陰をもちまして、囃子の家の人間がリサイタルをやるということが、波紋というか、影響というか、いろいろな方に知っていただくことができました。この20年で我々の企画した中で、相当のお客様に伝統芸能というものを観ていただけたと思います。それは、若い時の勢いプラス、その時に出演してくださった方々が会に華を添えていただけたからだと思います。
 当時は同志としてやってきた役者のみんなも今となってはスターとなり、座頭という位置にまで来てしまいました。同士のみんなも忙しく最前線で、伝統芸能の中に身を投じてきたと思います。三響會で、いろいろな各方面の方々とコミュニケーションをとれたことが、今でも自分の活動に生かされていると思います。

 今回は20周年ということで、お客様から三人での演奏を久しく聞いていないというお声をたくさんいただいております。ならば、今回は囃子を聞かせる演目でいこうということになりました。最初の『三番三』で、我々の気迫みたいなものを見ていただければと思います。『二人椀久』は演奏の中でもとても難しいといわれている演目です。『井筒』は広忠がさせていただきます。『船弁慶』ですが、囃子方としては、やはり打てる人間が限られており、『船弁慶』という演目をこの歳で打ち切りたいなという思いもございます。その当時の若さと勢いと、今の感覚とが自分の中でどう対比できるのかなというのも一つの挑戦だと思っています。

 三人で演奏をしていると何か空気が違います。普段は考え方から、何から何まで違います。思考が全く違うわけですけれども、最後の共通点というか、舞台の演奏でのテレパシーというのでしょうか、思いの行き交い方が普通の方達とはちょっと違うと思います。これがまさに、阿吽の呼吸と申しましょうか、兄弟間ならではのものではないかと思います。今回は、囃子の聴かせどころ満載の演目ですので、是非、楽しんでいただければと思います。