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吉右衛門、雀右衛門が「公文協中央コース」への思いを語りました


 恒例の公文協主催【中央コース6月30日~7月30日】「松竹大歌舞伎 中村芝雀改め五代目中村雀右衛門襲名披露」が上演されます。4月28日(金)、都内にて製作発表が行われ、中村吉右衛門中村雀右衛門が巡業へ向けての意気込みを語りました。

【中村雀右衛門】
 昨年3月、歌舞伎座におきまして襲名披露をさせていただき、この度、公文協中央コースにおきまして締めくくりとさせていただくことになりました。昭和39年に父(四代目中村雀右衛門)が襲名披露させていただきました折、『妹背山婦女庭訓 三笠山御殿』をさせていただきまして、今回、私も初役で「三笠山御殿」のお三輪をさせていただくことになりました。
 この襲名が始まる前から、播磨屋のお兄様にはいろいろとご指導をしていただきました。そのお陰でこの襲名が成り立ったとしみじみ思っております。襲名披露興行の最後に播磨屋のお兄様でお三輪をさせていただけるということは、私にとってこれほど嬉しいことはございません。精一杯勤めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 お三輪は父が襲名の時に勤めて、その後何度となく勤めている女方の大きなお役でございます。父が存命でございましたら色々と指導していただけたのですが、そうは参りません。ともかく心して勤めなくてはならないということを肝に銘じ、播磨屋のお兄様に色々お伺いをしながら一生懸命勤めたいと思っております。
 父は本当に女方を丁寧に勤めていました。お三輪は気持ちが大切だと、日頃よく言っておりました。御殿ではいじめられるという美しさ、色々な状況の中で最後に殺されてしまいますが、お三輪は芯の通った女性だという気持ちが伝わるような演じ方であったように記憶しています。

 まだまだ「芝雀さん!」と呼ばれれば「はい」と振り返ってしまうような状況です。体がその名前の大きさに合ってくるのはこれから、やっとスタートラインについたところだと思います。今回、公文協50周年でございますが、私も芝雀という名前になり、雀右衛門を襲名するまでが50年。60年になるのか、70年になるのか、一生芝雀で終わるのかと思っていた時期もございましたが、芝雀のときに播磨屋のお兄様に色々と教えていただき、ご指導を仰いで現状に至っております。雀右衛門という名前にはなりましたが、少しでも早く雀右衛門という名前が身に付いていけたらと思っております。


【中村吉右衛門】
 この度は、公文協主催中央コース松竹大歌舞伎の巡業、並びに中村雀右衛門襲名披露興行に私も参加させていただきまして、本当に光栄でございます。昼の部は『妹背山婦女庭訓』で雀右衛門さんのお三輪に金輪五郎という役で、今回は短こうございますが、全部をやりますととても面白い役でございまして、私の大好きなお役の一つでございます。
 また『襲名披露口上』にて「一座高こうはござりまする・・・」と口火をきらせていただきます事、誠に光栄と存じております。その際「こちらに控えております芝雀さん・・・」と申し上げるんですけれども、もうすでに雀右衛門さんというものがすでに体に全部入って、芝雀の頃より何十倍も大きくなっているように思います。もはや披露をしなくてもいいのではないかと思えるくらいです。今後とも、中村雀右衛門をよろしくお願いいたします。また、この巡業が成功しますよう、よろしくお願い申し上げます。

 『三笠山御殿』は、前半は鱶七という漁師の役、後半はそれが実は金輪五郎という侍であったという面白い役でございます。姿かたちも全く違うものになりますので役者としてはやりがいのある役でございます。お三輪を殺しますが、実は殺すにも理由がありますが、それは観てのお楽しみということで。悪い奴だなと思われますが、実はいい人であったというような役でございます。
 これは実父(初代松本白鸚)がとても得意とした役なので、一から教わりまして、それを今に伝えているという役でございます。全体的に今回やるところは“いじめ”が主になっておりまして、いつの世にもある問題が描かれた芝居でございます。それらを“憎たらしいわね”“お三輪が可哀想ね”などと思われながらご覧になってくださるとよろしいかと存じます。