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公文協主催「東・西コース 松竹大歌舞伎」製作発表で、芝翫、橋之助、福之助が巡業への思いを語りました

 今夏、恒例の公文協主催【 東コース 6月30日~7月31日】、【 西コース 8月31日~9月25日】「松竹大歌舞伎 八代目中村芝翫・四代目中村橋之助・三代目中村福之助襲名披露」が上演されます。3月27日(月)、都内にて製作発表が行われ、中村芝翫中村橋之助中村福之助、そして座頭の中村梅玉が巡業への思いを語りました。

【中村芝翫】
 どうにか皆様方のお陰を持ちまして、昨年の10月・11月の歌舞伎座、そしてお正月の大阪松竹座と襲名披露を終えることができました。今年は6月に博多座があり、それに引き続いての公文協の東・西コースでございます。全国の皆様に芝翫襲名披露、また倅の橋之助、福之助、本来ですと(中村)歌之助も一緒に連れて行くところなのでございますけれども、今年の4月から高校生になり、ちょっと勉強の方が大変ということで、今回は橋之助と福之助と私の三人で巡らせていただきます。今回は、特に梅玉のお兄様をはじめとして諸先輩方、同輩、後輩と大変に大きい座組です。東と西コース、少しでも皆様に喜んでいただける襲名披露にしたいといろいろと練らせていただきました。父(七代目中村芝翫)までは女方の芝翫で、私から立役の芝翫になるということで、10月にも勤めた、成駒屋にとりましても大切な演目である『熊谷陣屋』を選ばせていただきました。襟を正すつもりで東・西コースの演目として選びました。

 芝翫型について、熊谷は義経がこれから世に出るという時の最前線の陣地のリーダーです。それが、子供を差し出して出家をするというお話ですが、やはり團十郎型も素敵ですし、だからこそ今に脈々と続いてこられているわけです。芝翫型の方は、本行(文楽で上演された)通りの作品だと思います。團十郎型に比べると派手ですし、その分若々しさが出ているというような気がいたします。初役で勤めさせていただいた時には、何の資料も残ってございませんでした。唯一つのものは、二代目尾上松緑のおじ様のお勤めになった書き抜きにありました。確か、ペン字は成駒屋、鉛筆時は團十郎型と書いてありました。それを今の播磨屋(中村吉右衛門)のお兄さんの所へお持ちしまして、お兄さんが手伝ってくださいまして、一緒に復元させていただきました。芝翫型と言っても、熊谷だけが芝翫型として成立して残っていまして、周りの相模であったり藤の方も、芝翫型として本行通りもう一度見直したりすることも必要なのかなと思わせていただきます。演じる上で、いろいろと変わってくるところもあるのではないかと思います。

 この『熊谷陣屋』は、The歌舞伎といっていいものだと思います。決して、筋に関してもわかりにくいところがあるわけではないと思います。また公文協の公演に関しましては、イヤホンガイドというのが必ずございます。その中でわかりやすい解説もしてくれますし、幕間のあいだで私どものインタビューやいろいろなことがあるので、それも含めて楽しんでいただけたらありがたいと思います。

 橋之助を息子が継いだということで、確か10月の初日に一瞬だけですけれども、『口上』で、私の口上の後に彼が「父の前名である中村橋之助を・・・」と言った時には何とも言えない嫉妬がございました。絶対(橋之助という名前を)離したくないと思いましたけれども、それも一瞬、通り過ぎたらなくなりました。この間も、2月の(中村)勘九郎君のところのお子さんの初舞台の口上で、初めて「中村芝翫でございます」と言うのですけれども、本当に芝翫になったのかな、夢だったのではないかなとか、いろいろなことを思いました。全国を巡って、早く皆様に橋之助さんと言われないで、芝翫さんと言っていただけるように勤めたいと思います。

 今回は梅玉のお兄さんを座頭とした、とっても気心の知れたチームだと思っております。子供たちも舞台の上だけではなく、普段も先輩方に接することで、歌舞伎というのは舞台に上がって芸をするだけではなく、舞台に対する気持ちであったり普段の心構えが大事だということを知ってくれればと思います。先輩方が皆いらっしゃいますので、新たに自分自身を見つめる襲名の巡業でもあるような気がいたします。また、子供たち二人がいろいろと学ぶことを得てくれたら、親としてはありがたいと思います。


【中村橋之助】
 去年の10月・11月の興行で、父の前名である橋之助を四代目として襲名させていただきました。そして、今年の7月から9月と襲名披露興行として公文協の巡業、東コース、西コースと巡らせていただきます。『猩々』は弟の福之助と一緒に勤めさせていただきます。また『襲名披露口上』と、そして最後に福之助とダブルキャストで『熊谷陣屋』の堤軍次を勤めさせていただきます。朝から夜まで2回公演ということで、一日六役というのは人生で初めてのことでございます。巡業では、いろいろなところを巡らせていただくということで、体調管理というところも気を付けたいと思います。初めて勤めさせていただく『猩々』は、僕は踊りが凄く好きなのでいろいろなところでお客様に楽しんでいただきたいと思います。

 昨年10月の襲名披露興行の時に軍次を勤めさせていただきました。『熊谷陣屋』というお芝居の中で一番自分に近いお役というか、やらせていただけるお役という中では軍次が一番近いお役だなと思っていました。また、吉右衛門のおじ様、(中村)魁春のおじ様といった普段一緒に舞台に出る機会の中々ない、大幹部の先輩方と共演させていただいて凄く勉強になりました。巡業は梅玉のおじ様が出てくださって、(中村)扇雀のおじ様、(中村)歌六のおじ様と、歌舞伎座で得たこととは違ういろいろなことを軍次で勉強できれば良いなと思っております。弟の福之助とダブルキャストだから・・・ということはあまり考えておりません。むしろ、自分のお役を違う人が同じ月にやっているということは、自分がどういうふうにやっているかなと客観的に見ることができると思うので、その点は凄く楽しみというかいろいろと勉強できるのではないかと思っております。

 今回の『猩々』は三人でやらせていただきます。僕達自身も、これから稽古をして出来あがっていくものだと思います。7月は(中村)錦之助のおじ様、9月は(尾上)松緑のお兄様という中々ご一緒できない先輩方ですので、いろいろと伺ってしっかりとお稽古をして勤めていきたいと思っております。


【中村福之助】
 昨年の10月・11月に東京の歌舞伎座で福之助を襲名させていただき、翌1月に大阪松竹座でも襲名披露させていただき、共に大きなお役を勤めさせていただいてとても勉強させていただきました。巡業は初めてですが、『熊谷陣屋』の堤軍次と『猩々』を勤めさせていただきます。

 昨年10月の『熊谷陣屋』では、兄は軍次で、私と弟の歌之助は四天王で出ていました。もちろん兄が羨ましいなという気持ちはありました。今回は、兄とダブルキャストでやらせていただきますので精一杯頑張りたいと思います。

 『猩々』は三人ということで、どういう形になるかわからないですけれども、錦之助のおじ様と松緑のお兄様と一緒に出させていただくので、いろいろと教えていただき勉強して頑張りたいと思います。


【中村梅玉】
 今年も公文協の巡業に参加することができました。今回は芝翫さんと、二人のご子息の襲名ということで、親戚を代表してお供をするということでございます。普段、大劇場で歌舞伎を中々ご覧になれないというお客様も多いと思います。ですから、たった一日の巡業公演を、何日も前から楽しみにしていらっしゃるお客様がお待ちだと思います。毎日毎日が我々も真剣勝負といいますか、何とかご当地の皆様に満足していただいて帰っていただけるように、今回も東、西、数多くの場所に参りますけれども、芝翫さんを中心に良い舞台を勤めたいと思っております。

 『熊谷陣屋』の芝翫型については、ちゃんとした型が残っていないわけですから、変えるにしても、新しい想像の域でやっていかなければならないということです。もちろん、生半可な挑戦では成功しないと思いますが、それに挑戦することは良いことです。これだけ團十郎型で完成された狂言ですから、中々大変だと思います。義経に関してはあくまでも脇ですから、もちろんサポートはしたいと思います。

 話は変わりますが、何はともあれ“芝翫”と呼び捨てに出来るのは、今、嬉しいですね。お父様にはお世話になっているんですけれども・・・(笑)。