Home > トピックス一覧 > 勘三郎ゆかりの浅草に新名所が誕生

トピックス

勘三郎ゆかりの浅草に新名所が誕生


 4月10日(金)、十八世中村勘三郎を偲んで、「平成中村座発祥の地記念碑」と「勘三郎の鼠小僧」2つの除幕式が行われました。
 「江戸の芝居小屋を現代に甦らせたい」との十八世中村勘三郎の熱い思いが凝縮された「平成中村座」は、2000年11月に浅草・隅田公園で第一回公演が行われました。以来、浅草のみにとどまらず大阪、名古屋、さらにはニューヨーク、ベルリンなど各地で公演を行い、2011年11月から翌年12年5月(2月を除く7か月間)には発祥の地・隅田公園でのロングラン公演を実施。図らずもそれが勘三郎の出演した最後の公演となりました。
 この度、勘三郎への感謝の気持ちと「平成中村座」そして歌舞伎の発展を祈念する趣旨で、昨年より募金が行われ、「平成中村座発祥の地記念碑」の建立、また伝法院通りの浅草公会堂の前に勘三郎の顔を模した「鼠小僧」が完成しました。その除幕式が、中村勘九郎中村七之助が参加して行われました。


坂東彌十郎坂東新悟が加わって行われた鏡開き

【中村勘九郎】
 平成中村座は父の夢でした。19歳の頃、唐十郎さんのテントでの芝居をみて、「これが歌舞伎だ、こういうところで芝居をやりたい」という夢を持ち続け、2000年にこの隅田公園に平成中村座が建ちました。そのときの父の顔を一生忘れません。喜びの顔と、「さぁ、始まるぞ!」という覚悟の顔でした。
 その後、7ヶ月のロングラン公演もこの地で行いました。私の襲名ができたことも誇りに思います。父が一ヶ月舞台に建った最後の地でもあり、葬儀の際にここで皆様が御神輿を担いでくれたことも一生忘れません。
 こうして碑が建立されたおかげで、ここに最初に平成中村座が建ったという事が分かります。私たち兄弟も幼い頃、京橋の中村座の記念碑に父に連れられ、「ここには昔、中村座が建っていた」と教えてもらったことを覚えています。次は私が子どもや孫たちを連れてきて、「平成中村座が最初にみんなのお陰で建ったんだよ」ということを教えたいと思います。

 鼠小僧は、本当に似ているのでびっくりしました。『野田版鼠小僧』は想い出深い作品で、父が逝ってから、最後に鼠小僧が言う「おまえがやっていることは、必ず誰かみているんだよ、そう思わなくちゃ生きていられない、いや、死んでも死にきれない」というセリフをよく思い出し、私の支えにもなっています。想い出深い鼠小僧が、この想い出深い浅草の地に建ち、喜びを感じています。


鼠小僧の除幕式には野田秀樹も登場

【中村七之助】
 父が逝ってしまってから、父が皆様に愛されたことに対して、私なりに少しずつ恩返しをしていこうと思っていつも舞台を勤めているのですが、またこうして皆様から愛を頂くと、いつになったらちゃんと恩返しできるのかな、と少し不安にさえ思います。死してなお、こうして皆を一つの目標に引っ張っていける父を、かっこいいなと思います。
 この地には想い出が詰まっています。父だけではなく、中村座に出ている皆様の血と涙と汗が染みている地、そしてお客様の涙や想い出が詰まっている地に、こうして記念碑を建立させていただき、本当に嬉しく思います。

 鼠小僧の目の前の浅草公会堂は、毎年お正月に歌舞伎の若手の登竜門となる「新春浅草歌舞伎」が上演されています。私も16歳の時から大役を勤めさせていただき、今があります。その劇場の前に、父の鼠小僧がいるのは、ここに出演する若手の方々にも良い刺激になると思います(笑)。