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團十郎が、国立劇場3月歌舞伎公演『一谷嫩軍記』ゆかりの地を訪ねました


国立劇場3月歌舞伎公演は、開場45周年記念企画「歌舞伎を彩る作者たち」第五弾とし、て並木宗輔の絶筆となった傑作『一谷嫩軍記』の上演です。
平家討伐の総大将・源義経の命令に端を発して物語が2つに分かれ、歌道に秀でた薩摩守忠度(さつまのかみただのり)の和歌が“よみ人知らず”として『千載和歌集』に選定される経緯を描く二段目「林住家(はやしすみか)」(通称「流しの枝」)と、無官太夫敦盛(むかんのたゆうあつもり)討伐を命じられた熊谷次郎直実(くまがいのじろうなおざね)の悲劇を綴る三段目「熊谷陣屋」。
今回は序幕に、義経が命令を下す大序「堀川御所」を98年ぶりに上演。続いてこちらも37年ぶりの上演となる「流しの枝」、そして近年カットされることの多い冒頭部分からの「熊谷陣屋」へと続く話題の舞台!公演に先立ち、薩摩守忠度、熊谷次郎直実の二役を勤める市川團十郎が、埼玉県美咲町、同深谷市のゆかりの地を訪ね、公演への思いを語りました。


十条熊谷蓮生堂 小林良純住職と供に


市川團十郎

本日、熊谷次郎直実の遺骨が納められたと伝えられる「十条熊谷蓮生堂」、そして薩摩守忠度を討った岡部六弥太忠澄(おかべのろくやたただずみ)が忠度の供養のために建てた「清心寺 平忠度供養塔」を訪れました。直実の祠(ほこら)の質素さにとても驚いたと同時に、六弥太、忠度、直実がこの近く一帯に祀られているということを知り不思議な縁を感じながら、並木宗輔あたりはそれを熟知して『一谷嫩軍記』がこういう物語になった可能性があるのではないか、そんなふうに思いました。
義経から2つの命令を受けた、直実と忠度という2人の主人公をどう演じ分けられるか、また私が以前白血病で闘病生活を送っていた頃、その後の直実はどうなったのか、助けられた敦盛はどう生きていったのか深く考え勉強したこともあり、熊谷には思い入れも強く、今回本当に良い企画で『一谷嫩軍記』が上演できることを嬉しく思っております。

二段目「流しの枝」は、昭和50年以来の上演で、当時、孝夫さん(片岡仁左衛門)が忠度を勤め、私が六弥太を勤めさせていただいた経験がございます。「流しの枝」というのは一体何だろうという方も多いと思いますが、今回はそれがどういう意味を持っているのかがとてもよくわかる本になっております。
今の我々よりも昔の人にとって詩歌は生活の一部で、ちょっと恋文を送るときにも和歌にのせ、その和歌の出来が良ければ「ああ、いいわね」、出来が悪いと見向きもされないというぐらいのものだったと思います。それだけに歌人として「千載和歌集」にのることは大変に名誉なことで、忠度も誉れに預かりたいと思うのですが、源平という壁があり平家のものはのせられない、その悲劇の中で“よみ人知らず”という形で入れる義経の慈悲、そうした経緯が見どころの一つになります。また、討ち死にを覚悟で出かけて行く忠度と恋人の菊の前の男女の機微を浄瑠璃にのせて、皆様にご覧にいれたいと思っています。


清心寺 平忠度供養塔にて


「熊谷陣屋」では、天皇のご落胤である敦盛卿は絶対に討てないというなか、義経から制札「一枝を伐(き)らば一指を剪(き)るべし」を託されます。ここで義経は、あなたの子を切りなさいとはひと言も命令していないにもかかわらず、直実は他人の子を殺せない、それならば我が子を身替りにしようという思いでいます。そして息子の小次郎は父のためなら命を差し出しますと快く受ける訳です。その万感というものは凄い、それを劇にした宗輔という人はやはり凄いと思います。
今の「熊谷陣屋」は九代目(市川團十郎)がひとつの型として完成されたもので、やはり武士の世界は九代目の創った腹芸というものが大変重要なものだと思います。例えば、首実検の後、我が子の首を妻の相模に見せる時も知らん顔をしています。それが武士といえば武士。我が子を渡すよ、なんて芝居はしません。心の中ではもう万感、許してくれよという相模に対する気持ちはあるのでしょうが、それだけで全ての思いを出す。それが九代目の腹芸で、熊谷の真骨頂なんだろうなと思っています。

平家物語では敦盛は直実に討たれたことになっていますが、並木宗輔は『一谷嫩軍記』で直実の息子を敦盛の身替りにするという面白い筋立てにしながら、それでいてちゃんと歴史にも忠実に描いています。宗輔が執筆に携わった『義経千本桜』でもそうですが、史実を上手く物語にしてちょっと自分なりのものを加えた後、歴史の中に流していくという作劇術といいますか、直実が間違いなく敦盛を討ったという話が残っている中で、それに疑いをかけてこうだったらどうだったんだろうと、歴史の事実にまた熊谷を蓮生として放しているわけですよね。その辺が非常に面白い。日本のシェイクスピアは近松門左衛門か並木宗輔か、それほどの作者であったのではないかと思っています。


熊谷市役所で国立劇場生まれの桜「駿河小町」を植樹