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旭日双光章を受章した市川左團次さんにお話を伺いました

 平成23年春の叙勲で旭日双光章を受章した市川左團次さんに、受章の喜びや芝居への思いなど、お話を伺いました。

<受章の喜び・芝居への思い>
 どうせいただけるのなら、もう少し上の勲章が欲しいなと思ったのですが(笑)よく考えますと、今まで賞といえば卒業証書ぐらいしかいただいたことがないもので、ありがたく頂戴致しました(笑)。
 役者ですから、若い頃は弁天小僧や助六、切られ与三郎などもやりたいと思いましたが、そうした役をおやりになる役者さんは大勢いらっしゃいますし、なかなか自分の声柄や体型には合いません(笑)。自分に合っていて良い役といえば敵役が多く、たくさんの先輩方のお蔭でそうしたお役を勤めさせていただけるようになり、このような章をいただけたのだと思っています。
 いくら主役の方が一人で一生懸命なさっていても、脇に出ている役者がいいかげんにしていればその芝居はダメになってしまいます。ですから舞台では、主役の方が今日は良かったとか、芝居が楽しく出来たなと仰っていただけるようにいつも心掛けているのですが、なかなかそう上手くはいきませんね。

<初舞台の想い出・父 三代目左團次のこと>
 初舞台は6歳の頃、昭和22年5月東京劇場『寺子屋』の菅秀才でした。松王丸を勤められていた六代目菊五郎のおじさんがどれくらい偉いのかもわからず、舞台で菅秀才の私にお辞儀なさるのですが、その時私が全然違う方を向いていたものですから「おいおい、こっち向くんだよ」と仰られて、見たら松王丸がお辞儀なさっているから、つい頭下げちゃって・・・そうしたら楽屋で「おめぇは頭下げなくていいんだよ」って(笑)。花道から見知っているお客様に手を振っちゃったり、手におえない子役だったと、芝翫のお兄さんに今でも言われます。その頃は(萬屋)錦之介兄さんと、(中村)嘉葎雄さんが子役の親玉みたいでね。東劇の屋上なんかでよく遊んでもらいました。
 人間国宝にもなった父(三代目市川左團次)はもっと良い賞をいただいていますから、今回の受章のことは特に報告はしていません(笑)。父はどなたとでも話しが合わせられるような人で、あれは特技だなと思うのですが、僕はどちらかというと「ああ、そうですか」って聞き手に回るだけで、なかなか話が広げられません。父は日本俳優協会の会長をつとめたこともありましたが、いい加減な会長で皆様にご迷惑をかけていたのではないでしょうか(笑)。


三代目 市川左團次

<プライベート・これから>
 普段はゴルフや麻雀、パチンコなどで息抜きをしています。舞台も楽屋も照明の下ですから、ゴルフでお日さまの下、緑の青々したところへ出るのは何か楽しいですね。麻雀はこの頃役者さんもお忙しくなったり、若い方はあまりなさらなくなったりで、今はお囃子さんや長唄さんたちに相手をしていただいています。
 先輩がよく「若いころはセリフもよく覚えたけど、今は言っている間にパッと白紙になっちゃうんだよね、もう歳かね」なんて仰っていました。その頃私はまだ若かったので、そんなことがあるわけがないじゃないかと思っていましたが、本当にポッとなくなっちゃうんですよね(笑)。今では周りの方にご迷惑ばかりかけていますから、今後は、舞台を右から左に通るような役で、なるべくセリフも一言、それなら覚えられますから(笑)。
 歌舞伎座はいま建替え中ですが、衣裳屋さんや床山さんといった裏方さんたちの仕事がしやすく、少しでもお疲れにならないような作りになるといいですね。裏方さんのお仕事は、常に衣裳を持ったり、鬘を持って走り回らなくてはならず、とても大変ですから。歌舞伎座にはこれまでたびたび出演させていただいて、舞台に上がって安心でき、自分の居所や間口もちょうど良い劇場だったように思います。新しい歌舞伎座も役者にとってやりやすい劇場にしていただけると大変有り難いなと思っています。